地区予選決勝で帝国に赴く機会はあったけれど、通院と重なってしまい来るのは今日が初めてだ。電車と歩きで向かい、着いた頃には優に一時間が過ぎていた。
 厳格な門の前に立ち、サッカー部の部室はどこかと誰かに訊きたくても、通り過ぎる生徒は雷門の制服を目にすると避けて行くように思えた。四十年の無敗を誇っていたサッカー部を破ったのだから敵視されても仕方ないのかもしれない……当のサッカー部員たちはそんなことはない、と思うけれど。
「ねえ、あんたってもしかして芦川瑞希?」
 どうしたものかと途方に暮れているところに、一人の男子生徒が声を掛けてきた。帝国学園の制服に身を包み、何故かヘッドフォンを首に掛けている。突然の不躾な質問も特段気にならなかった。恐らくはサッカー部員なのだろう。でなければ名前を知っているはずがない。
「そうだけど」
 男子生徒はふうん、と呟いてまじまじと僕の顔を眺めた。小首を傾げると、不意に手を差し出される。
「俺は成神健也。宜しくね、瑞希先輩」
「……宜しく?」
 後輩なんだな、と場違いなことを考えながら自分も利き手を差し出す。握手に応える為に伸ばした手は、何故か手首を掴まれるに終わった。
 驚いて声を上げるより早く成神が歩き出して、有無を言うことも出来ないまま校内の奥で王者たる風格を滲ませるスタジアムの中へと連れて行かれた。広い通路を引っ張られるようにして進み、やがて人工的な芝生の敷き詰められたサッカーグラウンドが見えてきた。その中心で成神と同じく制服を纏った生徒が佇んでいる。
 中央に立っていた茶髪の選手は、流石に知っている。キングオブゴールキーパーの別名を持つ帝国の守護神、源田幸次郎だ。源田は成神を目に留めると呆れたように嘆息した。
「成神、遅いぞ」
「すいません、源田先輩。でも、捜してた人連れて来ましたよ」
 成神に背中を押され、前に出る。源田の隣に立つ眼帯をした色素の薄い水色の長髪の選手は、確か佐久間だ。……音無に、試合の前に見せてもらったことがある。そんなに昔のことじゃないはずなのに酷く懐かしい。
「お前が芦川瑞希なのか?」
「……ああ、そうだよ」
 佐久間は訝しげに僕をじっと見つめる。視線が頭の先から脚にまで注がれるのがわかる。流石に居心地が悪くて目を逸らせば、源田が顎に手を添えて深慮する様が映った。
「先に言っておく」
 佐久間の声に視線を戻す。
「俺たちは鬼道さんから、今の雷門サッカー部で起こっていることを聴いている。お前も多少は想像していたとは思うが……お前に対して肉体的にも精神的にも制裁を与えるように頼まれた」
 ぴくりと身体が揺れたのには自分でも驚いた。身体は受けた痛みをそう簡単に忘れないし、更なる苦痛を恐れているんだろう。無意識のままに俯いて拳を握り締めていた。身体が、強張る。
「……だが、俺たちは俺たちの判断で、信じるものを決めたい。此処に居る全員の総意だ」
「え…?」
「結論から言う。鬼道さんのことを信じたい気持ちは強いが……、どうもお前が鬼道さんから聞き及んだような奴だとは思えない」
 源田の言葉を続けるように、佐久間が綺麗な髪をわしゃわしゃと掻き乱しながら告げる。鬼道さんを信じられればそれが一番なんだけどな、と溜め息混じりに零して橙色の瞳が僕を射抜いた。
「妹のことが絡んでいる。冷静な判断に欠けていると否定出来ないからな」
「まあ、要するに俺たちは瑞希先輩を信じるってことですよ」
 成神の手がぽす、と僕の背中を叩く。こんな展開は考えてもみなかった。頭がついていかなくて、どんな顔をしたらいいのかわからない。思わず泣いてしまいそうな、くしゃくしゃな顔になっている気がする。
 成神の言う通りだな、と源田が穏やかに呟く。それに呼応してみんなの表情が綻んで、張り詰めた空気がふっと消えた。緊張の糸が切れて膝から力が抜けた。どさ、と音を立てて鞄もろとも芝生に座り込む。
「大丈夫ッスか?!」
 慌てて成神が顔を覗き込む。源田も、佐久間も、他のみんなも。
 何か言わなくてはと逡巡して、結局口から零れたのは「ありがとう」だけだった。みんなが照れたように笑うから、きっと正解だったのだろう。

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