「瑞希、大丈夫か?」
 差し出された一之瀬の手を躊躇いがちに掴んで立ち上がる。背中も横腹も、すぐに痛みが消えるなんてことはなくて、足がどうしても覚束無い。一之瀬に支えてもらいながら倒れ込むようにベンチに腰を降ろす。
「……行かなくていいの?」
 問い掛けに対して、一之瀬は木野の頭を撫でながら頷き、土門は肩を竦めて笑った。
「あいつらは周りが見えてないんだ。目先のことに捕らわれてる……」
「そうだなー、別にどっちの味方とか考えてるわけじゃないんだ。ただ、何があってもそれが他人を傷付けていい理由にはならないだろ?あいつらには賛同出来ないってとこだ。……で、確認しときたいんだけど」
 言葉を切った土門の表情が変わる。真面目な顔つきでじっと僕を見下ろした。
「お前が本当にやったのか?」
 真っ直ぐな眼差しに射抜かれてなんとなくばつが悪い。緩く目を伏せて首を振る。
「眞藤なんだ……昨日のことも」
「音無も頷いたよな。なんでだ?」
「わからない。二人が何を考えているのかは知らない。……部室に来た時には、音無の様子はおかしかったけど……」
 どうして、と訊きたいのは僕の方だ。特に音無に関しては。眞藤には悪意がある、それははっきりとわかっている。理由は知らないけど。でも音無は……そんな風には感じない。どことなく僕に怯えているようにすら感じるあの態度は、何故――
「っ、なんでそれを言わないんだよ……!さっきの!あの場で!」
 一之瀬が当然大声を上げて、思考が止まった。土門も驚いて目を丸め……呆れたように嘆息し、確かにな、と呟く。
「言ってたら何か変わってたかもしれない。染岡はともかく風丸たちは迷ってたし……」
 意味なんてない。胸の内に秘めたはずの言葉は音を成して口から溢れていた。はっとして顔を上げると、三人とも僕がそんな反論をするなんて露も思っていなかったようで、酷く困惑していた。
「……誰も信じてくれないんだから…」
 声を張り上げ、必死に駆けずり回った記憶。助けて欲しくて真実を訴えても、誰もまともに取り合ってくれなかった。もうあんな想いは、したくない。
「俺は信じるよ」
 一之瀬の静かな声に引かれて視線を向ける。強い意志を宿した瞳が、逸らすことなく僕を映している。
「俺は瑞希を信じる。だから、瑞希ももっと俺たちを信じてよ。秋は危険が及ぶかもしれないのに染岡から瑞希を守ろうとした。俺も土門も、自分の意志で此処に居る。それが答えにならない?」
 言葉が喉の奥で詰まって何も出てこなかった。そんなこと、今まで言われたことがない。澄んだ眼差しが痛くて思わず俯く。……ごめん、と掠れた声しか零れなかった。
 はああ、と長い溜め息が聞こえる。何か言わなければ、と顔を上げるより先にぽすんと頭に手を置かれた。恐る恐る見遣ると、それは土門の手だった。困ったように眉尻を下げて、でも口許には柔らかな笑みが浮かぶ。
「謝って欲しいわけじゃねーの。まあ、なんつーかさ、少しは信用してくれたって良いだろ?」
 そのままわしゃわしゃと撫で回される。ぽかんと口が半開きになるのも構わずに土門を見上げている僕の手に、何かが触れた。反射的に視線を向けるとそれは木野の手だった。白く細い指が震えながら僕の手をぎゅう、と握り締める。重なり合った手にぱた、と涙が落ちて弾ける。
「私…っ、どうしたら良いのかわからなくて…、でも、瑞希君は酷いこと、しないと思ったから……!」
 ぽろぽろ、溢れては零れる粒が頬を伝って僕の手に跳ねる。ごめんね、何も出来なくて、ごめんね。涙の間で途切れ途切れに紡がれる声に、胸がきゅうっとなる。木野は何も悪くないのに。誰も信じてはくれないのだと勝手に一線を引いたのは僕なのに。
「……泣かないで、木野」
 木野も、一之瀬も、土門も。軽い気持ちで此処に今残っているわけじゃない。僕を信じるということは、眞藤を……音無を選ばなかった、と同義なんだ。あの短い時間の中でどれだけのことを考えたのか。苦しい答えを出してくれた。僕を信じるという答えを。
「ごめん……、ありがとう」
 そっと指先で涙を拭う。一瞬だけ驚いて目を見開いた木野はすぐ耐え切れない様子で僕に抱き着いた。肩口に顔を押し付けて、泣いているのがわかった。僅かに震える背中を撫でながら一之瀬と土門を見遣る。何処か拗ねたように唇を尖らせ、一之瀬が僕にジト目を向ける。
「わかってくれればいいけど。……でも、大変なことになったね」
「そうだなー。瑞希はまず自分の身を守ることに徹しなきゃな。自分から殴る蹴る好きにしろーなんて言うもんじゃないぞ、馬鹿」
「……はい、すいません」
 返す言葉もございません、と続けると、二人がふっと笑った。
「俺たちが瑞希のこと守るから」
「ちゃんと頼れよな?」
 その言葉を後押しするように、抱き着く木野の腕が僅かに強まる。……こんなに、僕のことを想ってくれる仲間がいたのだ。
 失いたくない居場所が、此処に、あるのだ。





幸せを綴るぼくを許せ


150122/へそ様より拝借

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