雁夜くんの提案に了承したのは特に意味など無かった。逆を言えば断る理由も無かったのだ。どうして頷いたのか、問われれば私は今でも「気分」としか答えようがない。
それによって導かれた先が幸であれ、不幸であれ。

 時臣が葵さんを幸せに出来るのか。その判断とはいえそれはあまりにも抽象的な事で、協力を頼んできた雁夜くんでさえ判断材料を、何とすれば彼の中でそれを良しとするのか定まって居なかったらしい。具体例の無い、エゴにも似た予測をしなければならない。しかしそれは、葵さんが時臣と居ることで衒いの無い笑顔を浮かべている、たったそれだけのことで良いのだ。
 だから、雁夜くんと私の間に一種の協力関係が結ばれた時から私たち4人は揃うことが多くなった。時臣が私の家に来れば雁夜くんに連絡をして葵さんと一緒に来てもらうことも増え、その逆もまた然り。時臣と葵さんが2人で居るだろうと予想が付けば、雁夜くんは必ずと言って良いほど私の許を訪れた。
 それは不思議な関係ではあったけれど嫌ではなかった。時臣の愚痴ばかり話していた雁夜くんが、時が経つにつれて少しずつ、自分のことを話してくれる。豪華で派手なものは苦手で、写真を撮るのが好き。時臣や、この家に居る間は魔術のことしか耳にしないけれど、彼が話すのは魔術とは関わりの無い…彼の目線で見た世界のこと。雁夜くんの話を聴くのは楽しくて、殆ど毎日のように私の許を訪れる彼とのその時間が私の中で大きな存在になるのにそう時間はかからなかった。

「雁夜くんは、葵さんが好きなんでしょう?」
 写真が好きだと言った雁夜くんに、庭を撮って良いかと聴かれて私は勿論だが了承した。花が好きな母が毎日欠かさずに手入れをする庭には様々な種類の花が咲き誇っている。特に薔薇を好む母が力を入れる白薔薇は、贔屓目が無くても確かに綺麗だと思う。
 カメラを構えて熱心に写真を撮っていた雁夜くんは、どうやらそっちに意識の大半を持っていかれてるようで、いつもなら赤面して言い返してくる(否定はしないけれど)のに「んー」と生返事をした。シャッターを切る音がまた私の耳朶を打つ。
「それなのに、どうして葵さんと時臣をくっつけたいの?」
 物心ついた時から母は固より父から、時臣が居るのだからと言い聞かせられてきた。時臣君と一緒になればお前はきっと幸せになれるよ。そんな飾りたくった既成の言葉は、しっかりとその裏が見えていた。誰か違う人を好きになって時臣との婚約を破綻させてしまうような粗相を起こさないように。はっきりそう言えばいいのに、と思いながら私もその一言が言えないのだけれど。
 高校卒業を数ヶ月後に控えた今になっても、好きな人どころかまともに友人すら居るか解らない。そんな私にとって誰かを好きになるという感覚は他人事で、取り巻く世界から時々聞こえてくる言葉を自分の中で解釈したものでしかない。結論から言えば、誰かを好きになるということは、自分の幸せに繋がるものだ。「好きだから付き合いたい」「好きだから一緒に居たい」自分が、そう思うから。
 雁夜くんは、私の見聞きした恋愛とは少しのズレを持っている。好きなら自分が結ばれたいと、彼は思わないのだろうか。訊いたのは単純な疑問だった。
 雁夜くんがやっとカメラから目を離す。私を射抜いた視線は何処までも真っ直ぐで、思わず息を飲んだ。
「好きだから、だ」
「……好きなら、結ばれたいと思わないの?」
「そうなったら確かに嬉しいけど。でも、自分じゃない誰かと一緒になって葵さんが幸せそうに笑ってくれるなら、それで良い」
 それは私には、まさに青天の霹靂に違いなかった。そんな感情は知らない。体感したことも、聞いたことも無い。
 雁夜くんの見せてくれる世界はいつもそうだ。その瞬間まで私に無かったものを、この掌にくれる。至極当たり前のことのように。そしてこの日私に与えられたのは、私を変える言葉だった。
「幸せになって欲しいって思うことが、好きってことだろ?」

 思えばその時、私は初めて人を好きになったのだろう。










藍色に沈むように、

落ちていくのは、はやい
















心の何処かで恐れていたこと
2013/04/28