※彼女持ちの氷室






 インターハイが終わった、その直後に陽泉に編入してきた氷室は、それまでアメリカに住んでいた所謂帰国子女というやつだ。外国で生活をしていた内に身についた紳士的な行動だとかそれ以前に整った顔立ちとか、日本人にしてみれば高い身長だとか……彼が「王子様」なんて印象を周りに与えて女子から持てはやされるのは当然のことだったのかもしれない。
 かく言う私も、初めて見た時は驚いたものだ。こんな人類っているんだね、と岡村に囁いて岡村が「何故じゃああああ」と喚きだしたのにも驚いたけれど。福井は「イケメン滅びろ」とか物騒なこ言い出すし(彼は自分がイケメンに属するとは解っていないのだろうか)。
 黄色い声援を受けて多くの女子に好意を向けられても、氷室の一番はバスケだった。勝利と、才能への執着。決して自分では踏み込めない領域があると理解していながら、諦めきれずに手を伸ばし続ける。表面上だけを見るミーハーには解らないんだろう。気付いた後にどう転ぶかは、神のみぞ知るところだ。
 私は何も出来なかった。というよりは、しなかった。中学生の時からマネージャーとしてバスケに触れて、バスケに関わる人たちに触れて、ある程度の見抜く力はあったと自負する。はっきり言ってしまえば氷室みたいな人間は少なくない。誰にだって才能があるなら皆それを望みはしない。諦めてしまう人間もいれば氷室のように諦めない人間もいる。それは普通のことで、何も特筆すべきことではないのだ。
けれど彼女は違ったんだろう。事あるごとに優しい言葉や応援、時には叱咤していた(ような気がする)。私の一個下の後輩であるあの子が氷室に恋心を寄せているのは誰の目に見ても明らかだったけれど、他と違ったのは彼女が上辺だけでは無かった所だ。それが、きっと「本当に好き」ということで、氷室も心を動かされたんだろうな。

「みょうじちんてさー、室ちんのこと好きだったの?」
 WCが終わった。3年は言わずもがな引退する。当然、マネージャーもだ。
引退式…なんて大袈裟なものでは無いけれど、バスケ部は3年の引退に細やかながら送迎会をするのが習わしだ。1年と2年はその準備を、3年は今までお世話になった部室や体育館を掃除する。岡村たちは体育館の掃除に向かったので部室の片付けを始めた私の元に、紫原が来たのは30分程前のこと。
 自分の仕事はどうした、とは思ったが紫原がマイペースなのは入部した時から知っていたことだし、周りもそれを承知で敢えて何も仕事を割り振っていないのかも…と注意するのは止めておいた。ベンチに座ってだらだらとするだけなら別に邪魔にもならない。珍しいことにお菓子を持っていなかった。
 黙って私の作業を見ていた紫原が、ふと思い出したように「氷室とあの子についてどう思うか」を問い掛けてきた。答えた私に、紫原は笑って言う。
 氷室を好きだったか、なんて。
「そんな風にしか聞こえないけどねー」
「……だったら、何」
 こうしてれば良かった、ああしてれば良かった。そんな反実仮想を繰り返したって何も変わりはしない、解ってはいるけど。
 ああ、ああ、ああ。あの子の立ち位置が私だったなら。私もあの子のように可愛い子だったなら。何度も思った。でも遅かった、そうだ私は何もしなかったんだ、否定されるのが怖かったから、自分の感情に蓋をして逃げた。だから何も言わない。資格がないのも解ってるから。
 それなのに、なんでこいつはこじ開けてくるんだろう。
「泣くくらい好きだったの?」
「っさい、なあ…」
「馬鹿だね、みょうじちん」
 紫原の手が、私の腕を掴んで引っ張る。痛くない程度の力だったのに私は糸が切れた人形のように紫原の胸に倒れ込んだ。
「忘れちゃえば良いじゃん」
「…簡単に、言うね」
「だって簡単だよ?俺が忘れさせてあげる」
 頭を撫で回す手は予想外に優しくて、涙が止まらなくなる。込み上げてくる嗚咽が情けなくて唇を噛んだ。
 あの子は頑張って、私は逃げたくせにあの子を羨む自分が嫌だ。幸せそうに笑う2人を見る度に悲しいと感じる自分が嫌だ。氷室のことを相談してくるあの子に、黒い感情が湧き上がる自分が、嫌なのに。
「見えなきゃいい、そうだろ?俺を見てなよ、ねえ」
 紫原の指が頬を撫でる。自然な動作で上を向かされて、目を伏せた。
吐息が唇に触れた瞬間、がちゃりと部室の扉が開く音が耳朶を打って紫原の動きが止まるのを肌で感じた。振り向こうとするのをぐっと制止される。
「……なーに室ちん、邪魔しないでよー」
「…あ、いや…準備、出来たから…」
「あーそっか。すぐ行くー」
 凛と張りつめた沈黙は、氷室が扉を閉めた音でかき消された。躊躇ったようなそれを耳にしてやっと深く息を吐く。
 そんなことはお構いなしだとばかりに噛み付くようなキスが降ってきた。今度こそしっかりと目を瞑り紫原の背中に腕を回せば、抱きしめてくれる腕の力が増した。

 氷室の笑顔が、ぼんやりと脳内で消えていった。


















こうして酸化するぼくのなにか

アツシとみょうじさんが、なんで、みょうじさんはオレのことが好きなんじゃなかったんだろうか。遠くから控え目にオレを見ていたあの人が。アツシにはあんな風に甘えるんだ、オレには気丈に振る舞う様しか見せないのに、どうしてアツシなんだ、どうして、オレじゃないんだ。

どろどろ、心臓が濁る。





















どっちもどっちな2人
title by へそ様