悲しい、とか虚しい、とか苦しい、とか。言葉で表せるものなら大した事はないのだ。 私は今日も鏡に写る自分に言い聞かせて部屋を出る。
初代はまた朝から本家を賑わせているようだ。鴉天狗様は騒がしく廊下を飛び回り、一ツ目様は不機嫌そうに煙管を吹かし狒々様はいつもと変わらず高らかな笑い声を響かせ。引き締めた緊張が、思わず零れた苦笑に伴って緩む。 「おはよう、なまえ」 「あ…おはよう御座います首無様」 「キミは相変わらず固いね…オレに対して様付けなんて不要だよ」 首無様がほんの少し困った色を交ぜて微笑み、空いた手で私の頭を撫でる。私はまだまだ新人ですから、と返せば首無様は一層撫でてくれた。 妖怪任侠一家…奴良組に拾われて二十余りの年が流れたけれど、私はまだ新米。本来なら本家に足を踏み入れる事すら憚れるのに、こうして本家住まいなのは私に身寄りが無く、そんな私を拾ったのが総大将の鯉伴様だから。 私の母は狐の妖だけれど父親は人間。つまり私は半妖……妖怪から見ても、人間から見ても、どちらにも分類の出来ない灰色の存在。そんな私が母方の一族に認めてもらえるはずも、人間に成れる事も無く…傍に居てくれた母も闘う力を持たず、他の妖怪に襲われて死んでしまった。 ぼろぼろで……このまま母様を追って消滅してしまおうかと衰弱しきっていた私を、鯉伴様は自分の百鬼夜行に入れて下さった。「オレも半妖なんだよ、仲間だな」と手を差し伸べてくれたあの方に、私は感謝と尊敬以上の感情を抱いてしまった。 そして時は流れ続けている。馬鹿みたい、あの方には決してその与える愛が変わらない奥方様が…山吹乙女様がいらっしゃるのに。 「ふぁーあ…何だい?お前達…早いねぇ」 「…何があったんだ鯉伴様、アンタがこんな時間に起きてくるなんて…」 欠伸を洩らしながら歩き寄る鯉伴様に、首無様が愕然とした表情で呟く。 相変わらず失礼だなお前は…と言う鯉伴様の声に私は慌てて頭を下げ、おはよう御座いますと挨拶をした。 「ん…元気そうだな、なまえ」 「はい、お陰様で…本家の皆様が良くしてくださいますから…」 「ほーお、特に首無がかい?」 先程までの光景を見ていたのだろうか、からかう様に片目を伏せた鯉伴様が問い掛ける。 皆が気にかけてくれるけれど、その中で殊更に世話を焼いてくれるのは確かに首無様で、私ははいと頷いて見せた。 「そーかい…そりゃあ、良かったな」 「…ほら、さっさと奥方様に挨拶して来てくださいよ」 廊下の先に山吹乙女様の姿が見え、首無様がそちらに向かうように言う。 鯉伴様は少し考えるような…ほんの少し、無表情に近い顔色を浮かべた。微妙に不穏な空気が漂い、それを肌が感じ取り私は震えが走った。 「…まあ、仲良くやんな」 「は、はい…鯉伴様」 ゆったりとした足取りで鯉伴様が場を離れる。空気がふっと和らいで無意識に深い息が洩れた。 「…なまえも大変だな」 「え?」 「いや…あまり無理はしないようにね」 軽く私の髪を撫で付け、首無様もまた歩き出す。 鯉伴様に寄り添われて微笑む山吹乙女様。……あの場所に佇むのが、私なら良いのに。なんて…いっそ、嫌いになってしまえたら楽なのになあ。 小さな嘲笑を落とした私を、鯉伴様も首無様も見ていたとは、知る由もない。
幼い手で引き寄せたふしあわせ
叶わぬと理解していながら、なまえはその恋を自分の意志で制御する事など出来ない。まだ幼い心が傷付いていくのを、気付いていながら鯉伴は止めない。少しでも余所に移ろうものなら許さないと雰囲気が語る。盲目的とさえ思うその想いが一心に向けられている事が心地好いのだろうか。
何れにせよ哀れなものだ。首無は誰にも聞こえぬ声で呟いた。
前サイトからこれだけ引っ張ってきました title by へそ様
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