※男主





 忘れてた、まだこいつ家に居たのか。
「ああ、おかえりなさい、なまえさん」
「……いやいや、あんたいつまで人の家に居座る気なんすか」
 黒を基調にして赤いラインが映える着物から不健康的にさえ見える白い肌が覗く。日本人らしいぬばたまの髪は絹のように滑らかで、ただその額の中央から存在を主張しているのはまず間違いなく……角だ。
 こいつが初めて俺の目の前に現れたのはもう随分と昔のことになる。あれから二十年以上の月日が流れていた。まだ小学校にさえ入学してない頃の俺は、こいつの存在がとてつもなく怖かった。それはよく覚えている。しかもどうしてか俺にしか見えず、両親兄弟ともども突然のように泣き出す俺に困惑していたし「鬼がああああ!」と惜しむこともなく正体を口にしていたので何かに憑りつかれたと考えた母親は霊媒師を雇ったこともある。結果としては無駄だったけど。霊媒師の人が本当に見えてたかは知らないが、こいつはお祓いの言葉なんか馬耳東風で、ただただ俺に話しかけていた。
 そんな日常をもう四半世紀も続けていれば慣れてもおかしくない。明らかに人間ではない存在を目の当たりにしても俺はこんな態度を取るまでに成長した。
 普段なら10分とせずに(あの世に?)帰るのだが、今日は出社する前に人のベッドの端に現れてまだ此処に居る。しかも当たり前のように寛いでいやがるので呆れてしまう。
 名を、鬼灯と言うらしい。
「言ったじゃありませんか、貴方を連れて行くと」
「それすんなり受け入れられると思います?死にたくないんすけど」
「大丈夫です。私の補佐に抜擢しますから亡者と同じ扱いは受けませんよ」
「話聞けよ」
 補佐ってなんだ。この人って何かの役職に就いてるのか?あの世に役職って……なんだろう、鬼だから天国ってことは無いし……地獄か。
「え、地獄なの、俺」
「まあ普通に天国逝けますけどね、貴方は」
「じゃあ普通に天国逝きたいよ!……いや待ってまだ逝きたくないから!」
 まず死にたくないんだっつーの、なんか流されるところだった。
「駄目ですよ、ずっと待ってたんですから」
 ゆらりとしなやかに体を揺らして鬼灯がベッドから立ち上がる。いつもその手に握られている金棒は床に置いてあって、おいおい傷が付いちまうんじゃねーか、なんて場違いな心配が脳裏を掠めた。
 音も無く距離を詰める鬼灯。やっぱり人間というか……この世に居るべき存在じゃないのだと思い知らされる。鋭い眼光はしっかりと俺を捉えていて、縛るものは何もないはずなのに俺は縫い付けられたようにその場から動けない。情けない、ビビってるんだ、足が竦んでしまってる。気を抜いたら腰まで抜かしそうな勢いだ。
 血色の悪い鬼灯の手が、俺の腕を掴んだ。びくりと肩が跳ね上がるが振り払うことは出来ない。あんなに大きな金棒を持っている割にその手は細く、無骨ではない。
「貴方を初めて見た時から、私が貰うと決めてたんです」
 真剣な眼差しに言葉が詰まる。そんな身勝手な、というかそんなこと許されるのか。それとも俺は天命とやらで今日が命日だと決められているのだろうか。ああ、それなら、
「……痛いことは嫌い、なんで」
「?、はい」
「金棒で殴ったりしたら天国に逃げますからね」
 意志の強い双眸を見つめ返せば、驚いて見開かれたのは一瞬で、気付いた時には満足そうに黒檀がとろけて見えた。本当に僅かながら口端が歪んでいる。なんて分かりにくい笑みだ。
「しませんし、私から逃げることは許しませんよ」
 初めからそんな風に定められた運命だったのかもしれない。まあ、でも……悪くは無い、かな。











地獄の沙汰は貴方次第
(鬼灯君!勝手に連れてきちゃダメでしょ?!)
(煩い)ゴンッ
(……え、閻魔大王?これが?)












全ては貴方の掌に
20140109