※13巻ネタ





 暑い。小さな呟きは千鶴のはしゃぎ回る声とその被害を一身に受けて怒りを露にした要の怒号に掻き消された。夏も半ばの照りつける日差しを前にしても元気だなあ……仕返しをしようと要が千鶴を追いかければ、悠太が然り気無くその背を押した。勿論ばれて要の標的は悠太に変わる。楽しそう、ほんとに。
 寄せては帰る波に、裸足になってその感覚を楽しむ春の隣で、同じく素肌を晒したなまえが笑っている。回りで要と千鶴と悠太が走り回るもんだから水飛沫が二人にも掛かった。何するの!、なんて笑い声混じりに叫んだ彼女は、要に向かって水を蹴った。
「俺ばっかり狙うなお前ら!」
 ごもっともな意見だけど仕方無いよね、要だもん。そういう星の下に生まれてきた君の運命なんだよ。
「いや、むしろ試練?」
「何が?」
 いつの間にか喧騒を抜け出したなまえが俺の隣に腰を降ろす。追いかけっこにはなまえの代わりに春が巻き込まれていた。みんな帰りはまた電車だってこと忘れてるんじゃないかな、びしょ濡れになったら困るのに。まあ、そんなこと気にする性格でもないか(特に千鶴は)。
「要の巻き込まれ体質について」
「むしろ巻き込まれてるのは春ちゃんだけどね、要は弄られ体質かなあ」
「それが彼の試練だったんだね」
 何が面白いのか、なまえはお腹を抱えて笑いだした。息も出来ないくらいに笑うもんだから、大丈夫?と背中を撫でてあげた。小さな背中。どんなに春が女の子っぽく見えても、こんなに華奢じゃない。やっぱりなまえは俺たちとは根本的に違うんだと、誰に言われるでもなく思い知る。
 やっと笑いの発作が治まったなまえは、ありがとう、と言いながら目尻に溜まった涙を拭う。
「なまえって泣く程笑うの多いよね」
「そうかな……祐希が面白いこと言うからだよ」
 くすくす笑うなまえはいつも楽しそうだ。千鶴が馬鹿やっても、それに要が怒っても、春が慌てて止めに入っても、悠太が要を宥めても、その一挙一動の全てを嬉しそうに眺めてる。
 俺が何か言う度に頬を緩めてくれるのも、悪い気分じゃない。とろける様な微笑みが他の奴にも向くのはちょっと不満だけど。
「そんなに笑ってたら笑い死にしちゃうよ」
 なまえは一瞬きょとんと目を丸めたけれど、その表情はすぐに柔らかな面差しに変わる。嬉しそうに、笑う。
「もしそうなったら本望だよ」
「本望なの?」
「だって、祐希たちと一緒にいると楽しくて笑顔になるから、笑い死にする時は祐希たちが一緒にいてくれるってことでしょ?」
 そんなことを至極幸せそうに話すから、俺は言葉が出ない。暑い、顔も、熱い。
 抱えた膝に顎を乗せて、視線を悠太たちに戻す。まだ飽きもせずに走り回る三人を見つめたまま、ぽつりと零れた。
「俺が死なせないけどね」
 横目に見たなまえが首を傾げる。
「だって一緒に笑ってる方が楽しいでしょ」
「……そうだね」
 へらっとだらしなく緩んだ頬が、だんだんと海に還ろうとする夕日に照らされて朱に染まる。水面も、彼女も、きらきら。眩しいくらいに。







夏 の 落日

(春、知ってた?夕日が海に沈む瞬間ジュッ……って音がするんだよ)
(ええ!?そうなんですか!?)












何にも代えがたい時間を
13/09/01