※ハチの幼馴染





 小さい頃はよく見てた笑顔が見れなくなってから久しかった。いくら家が隣で母親同士も仲が良くても、私の目にも勇吾のお父さんは怖くて、学年を上がる毎にはっきりと減っていくそれがおじさんの所為であるのは明白だった。切羽詰まった様子で必死に机に喰らい付く姿は怖いというよりは悲しくて。それでも私には何も出来ないのだと。あいつを心配してくれてありがとう、と頭を撫でてくれた慎吾さんに泣きつくことしか出来なかった。幼い私の、思い出。
 高校受験を前にして、担任の先生から聴いた勇吾の志望校には驚いた。おじさんは何も言わなかったのかな、寮ってことは札幌を離れるのかな、休みには帰ってくるの、次に会えるのは何時になるの。色んなことが頭を巡る内に私もエゾノーを選んでいた。受かった事実を伝えると勇吾は唖然としていたけど、だけど来るなとは言わなかった。お祝いでもない、返ってきたのは興味の無さそうな相槌だったけれど、それで良かった。きっと勇吾が昔と同じように笑ってくれるだろう。そんな根拠の無い予感があったから。
 確かに、あんなに見たいと思っていた笑顔は此処に来てあっさりと見れた。嬉しいはずなのに胸を刺すような痛みを感じるのは、どうしてなんだろう。勇吾の傍に居る御影さんを目にする度に、苦々しく表情が歪んでしまうのは。
勇吾が御影さんを好きだという事実に、自分の口から紡がれた言葉に泣きたくなるのは、何故?

「って…こんなこと駒場君に話すなんて、おかしいよね」
 教室で席に座って机に突っ伏していた私に声を掛けてくれたのは駒場君だった。部活が終わったから寮に戻ろうとしたところで忘れ物に気付いて教室に来たらしい。情けないことに泣いていたので駒場君は酷く驚いて、きょろきょろと視線を彷徨わせた後にタオルを貸してくれた。使ってねーから大丈夫、と帽子を目深に被り直しながら言う。不器用な優しさに思わず笑みが浮かんだ。
 涙を拭う私に、駒場君は何かあったのかと訊いてくれた。前に勇吾のことを「人にかまって損するタイプ」なんて言っていたけど、駒場君も勇吾のこと言えないんじゃないだろうか。根底では優しいところとか、よく似てる気がする。
 小さい頃はね、なんて一つ零してしまうと言葉は止まらなかった。独り言にも近い、纏まってもいない羅列だったけど駒場君は隣に座ってずっと聞いていてくれた。駒場君と御影さんも幼馴染なんだよなあ、似たような経験ってあるのかな。そんなことを思ったけど、駒場君にはまったく関係の無い話だった。部活で疲れてるのにつらつらとどうでも良いことを話してしまって、今更になって申し訳なさが込み上げる。ごめんね、と呟く。
「…いや、」
 小さな声を落として駒場君が黙り込む。気に障ったかな、というかよく考えれば御影さんのことを良く思ってないようにも聞き取れる…気がする。幼馴染を悪く言われて気に喰わないのは当然だ。決してそんなつもりは無かったとはいえそう聞き取れてしまえばそんなことは関係ない。慌てて顔を上げると、何やら不満気に顔をしかめた駒場君と目が合った。やっぱり、ともう一度謝罪の紡ごうとした私を遮ったのは他でもない駒場君だった。
「お前、それって、八軒のことが好きなんじゃねーのか」
「……え…、」
 言われた内容が衝撃的過ぎて処理しきれない。私が、勇吾を、好き?幼馴染として、一人の人間として確かに勇吾のことは好き。それに間違いは無いけど……今、駒場君が言っているのはそういうことじゃないんだろう。恋愛感情を以ての好き、ということ。ぐるぐる、駒場君の言葉と勇吾、御影さん、色んなものが脳内を回る。
 その時、駒場君の手が私の頬に触れてはっと我に返る。野球や実習やらで節くれ立った手はそれでも優しくて、その温かさに何故か体の芯が震えた。
「駒場君…?」
 顔が近いのは気のせい、じゃない。真っ直ぐに見つめられて体が動かない。それどころか発した声が掠れて震えている。どうしよう、なんでこんなことになってるの?そんなことを考えている内に駒場君との距離が一層近くなる。
 あと少しで、ゼロになる。
「おい!!」
 突然の第三者の声に肩が跳ねた。その拍子に頬から手が離れ、駒場君はゆっくりとした動作で後ろを振り返った。私もつられるように視線を向けると、扉に手をかけたまま此方を睨んでいる勇吾がいた。心臓がどくりと震える。
「…俺、戻るわ。タオル、いつでもいいから」
「あ、えっと…うん…」
 鞄を肩に掛けて、睨め付ける勇吾を一瞥して駒場君は教室を後にした。いつもは気にも留めない足音が聞こえなくなってから、勇吾が早歩きで私に詰め寄ってきた。
「…お前、駒場と何してたんだよ」
「何って…普通に話だけど…」
「話?あんな距離で何を話すことがあるんだよ!」
「…何でそんな怒鳴るの、勇吾には関係ないでしょ!?」
 売り言葉に買い言葉とはこういうものだろうか。近距離で睨み合い、お互い声を荒げる。勇吾とこんな風に喧嘩するなんていつ振りだろう、なんて場違いなことが脳裏をよぎった。
「かっ、関係ないってなんだよ!俺はお前のこと心配して…!」
「何も心配するようなことなんて無い!」
「駒場がお前に何しようとしてたのかわかんねーのかよ!」
 かっと頬に熱が集まったのが分かる。近付く距離、熱を持った指先、真っ直ぐな眼差しも。全てが鮮明に思い出されてしまう。何をしようとしてたか、なんて。簡単に想像はつくけれど私の勘違いかもしれない。見た目だけでなく実際にストイックなことを知ってるから余計にそう思う。そう言い返せばいいのに言葉に詰まってしまい、それの何が気に喰わないのか勇吾が思いっきり机を叩いた。
「お前、駒場のことが好きなのかよ」
「はあ…?なんでいきなりそんな話になるの…」
「いいから答えろ!」
「何で?それこそ勇吾には関係の無いことだよ!」
「っ…だから俺はお前のことを、」
 また心配してるって言うのかな。そう言いながら頭ごなしに怒鳴るのかな。もし私が駒場君のことを好きだって言ったら?勇吾だって、御影さんのこと好きなくせに。
「は、…」
 心の中で呟いたつもりだったのに声になっていたらしい。勇吾を見れば、指摘されたことが事実だと言わんばかりに動揺して慌てふためいていた。なんだ、やっぱりそうなんだ。ばればれだもんね、わかりやす過ぎて笑っちゃう。
 駒場君と話している間に止まっていた涙がまたぐっと込み上げてきた。視界が滲んだことを認識する前に瞬きしてしまって、ぽたりと一滴が落ちる。勇吾が私の様子に気付いたのか顔を覗き込もうとするのが分かった。泣き顔なんて見られたくない。

 駒場君のタオルと鞄をしっかりと持って、勇吾の顔を見ないように駆け出した。制止する声が耳朶を打つ。止まれるわけが無かった。次から次へとぼろぼろ涙が零れて、嗚咽のせいで息がし辛い。
(好きなんかじゃ、ないよ)
 勇吾はただの幼馴染で、恋愛感情なんて無い。あの時に答えられなかった駒場君の質問に何度も繰り返す。勇吾は御影さんが好きで、なんとなくだけどあの2人はお似合いだもん。私は笑顔で祝福できるよ、何も問題なんて無い。
 じゃあなんで泣いてるの?ほんのちょっとだけ、寂しいからだよ。




















貴方とではそれさえ出来ないの
13/04/21