わたしはたしかに、そのとき我が君のなかにある狂気を畏れていた。彼はおそらく、それを狂気とは微塵も思ってないし、そんなこと気にしてもいないと思うが、昔からその点に関してひどくわたしは畏怖していた。いつか自分も、思わぬ事故でミスを犯して、死の呪文により抹殺されてしまうのではないか。そんな疑念がわたしの体を這って、取り憑くように頭に渦巻いた。
我が腕には、まぎれもなく、まがまがしい、蛇の這ったような、死喰い人のしるし、闇の刻印が君主の手によって彫られていた。が、ベラトリックスのように拷問役ということでも、そのほかの部下のように、闇祓いを始末する役目を背負わされるわけでも、もしくは最下層の人間や新人のように、使いっぱしりをされているわけでもない。むろん、既に魔法学校は卒業しているので、身動きは一応、自由にとれる。イコール、外に出て、例えば街に襲撃に出たり、要人を暗殺しても、我が君的には問題ないわけだ、もちろん人道には反するけれども。以前まで、ベラトリックスのことを、きっと我が君の妾かなにかなのだろう、と踏んでいたのだが(あんなに主に忠実な部下はほかに誰が居るだろうか)、どうやらそうでもないらしく、そうなれば、よくよく考えてみればわたしこそその位置に居るのではないか、という結論にいたった。
しかし、さすがに側妾というのは誇張しすぎのように思える。我が君のお体に触れたことすらないのに、接吻、ましてや性行為など、想像しただけで…いや、有り得ない。おそれおおい。しかもわたしは、スリザリンの創設者と同じく、『パーセルマウス』であった。それがばれてしまってからというもの、寮生からは畏敬の目で見られ、ほかはわたしを疎ましそうに扱っていた。また、例のあの人もパーセルマウスである、という根も葉もない噂は、まるで伝統や七不思議のように言い伝えられたため、いつしか畏れのまなざしで見られるようになった。つまりわたしには、友達と呼べるような友達は居なかったのだ。成績も平凡、また、没落貴族のような立場のわたしは、殆ど孤独に近い形で7年間を過ごしていたのである。
そこから導かれる結論は、私が役立たずだ、というものしかなくて、果てしない虚無感に襲われた。
わたしには親がなかった。というのも、不慮の事故、病魔に侵され、両親ともども亡くなってしまったのである。わたしは、とくべつ純血主義というわけでもなかったが(マグル生まれに対する差別は多少なりともあるけれども)、きっと親がデス・イーターになったのは理由があることで、それが何かは知らないけれど、当時では唯一の両親の温もりを感じる、両親との絆を繋ぎとめる場所と認識し、蛇の刺青を我が君に入れていただいたのだ。それからここには大分よくしてもらったので、ずっとここに居着いている。しかし未だ純血に対する執着というのは自分の中になかった。これは問題なのだろうが、トップが黙っているのだから別によいのだろう。

わたしはあのお方にお呼びがかかっていなくても、必ず毎日邸には訪れている。今日も静かな廊下を、コツコツとヒールをならしながら歩いた。冬だったので室内にはしっかりと防寒魔法がかかっていたが、しかしなんとなく、この邸は暖かみが足りないような気がした。色味がないとか、気温の問題とかでもなく、ただ漠然とそんな印象がわたしにあっただけだ。
とはいっても我が君は自室でお仕事か外で暗躍するかのどちらかなので、一日のうち、あのお方のお姿を拝見できるのは、1回か、せいぜい2回くらいであった。わたしは、ほんとうに我が君から特別な寵愛をなされているというわけでもないので、話しかけられるなんてことは滅多にない。こちらからの挨拶や報告ならあるけれども。
人の気配がしたため、ちらりとそちらを一瞥すれば、そこには見知った顔があった。ルシウスであった。



「名前さん」
「おはよう、朝からお疲れさま」
「あなたこそ、ここにこの時間から居るとは、意外だったな」
「我が君に謁見したくて」
「我が君に?なぜですか」
「日課だからかしら」
「日課…、そんなにあなたは、主君の勅命を?」
「いや、いや。何も用はないの」
「名前さん、あなたは、」
「言っておくけど、ただの部下よ。我が君に触れたことすら…」
「…そうですか」




「わたしに我が君のお考えのところはわからないが、しかし、見たところあなたはよほどに─」
「わかっているわ」


ルシウスも感づいているそのおかしな関係こそ、わたしが不思議に思っていることなのだから。踵をかえすルシウスを横目に、我が君の部屋の前に立てば、中からはかったようなタイミングで、「入れ」という声が聞こえた。ドアを双眸でとらえてから、ひとつ嘆息をついた。



「随分、ルシウスと話し込んでいたようだな」
「ええ、少しばかり、世間話を」
「世間話、か」
「お聞きになっておられたのですか」
「耳に入った」
「それなら、教えてくださいよ」
「何をだ?」


「……、あなたは狡い、と、今この瞬間、わたしが言うのは、侮辱とお思いになりますか?」
「そうとられたくないのなら、誉め言葉として受け取っておこうか」

「怖いのだろう?私に問うのが」
「なにを…」
「お前は、母親によく似ている」
「私の母を?」
「無鉄砲で、とても闇に溶け込んでない、哀れなやつよ」
「…、私の母を、ご存知なのですか」
「そう怒るな」


質問にはすべて答えない方針に苛ついていたこの気持ちは、筒抜けだったようだ。


「あなたは、もう答えを用意していますか」
「答え?」

「なぜ、私を任務に就かせないのですか?どうして私を陣営に入れることを許可したんですか?あなたは何故私の母を知っているんですか?どうして私は、毎日ここに来ているんですか?」


曇っていく表情に気づかず、私は躊躇いながら、次の言葉を口にした。



「どうして、どうしてあなたは、そんなにもマグルを憎み、名をヴォルデモートと改めたのですか?我が君―なぜ――」「お前はいつだって気づかないのだな」






わたしの質問は、我が君のその言葉によって遮られた。考えなしに訊こうとおもったわたし、そしてそれに応えてくれるだろうとおもったことが馬鹿だったのだろう。わたしが鈍感だったのだ。目の前の男は、わたしの抱えているさまざまな疑問には甚だ興味などなく、ただ自分の秘めたる思いを吐露するために、わたしへ疑問という形で投げかけたのだ。このひとにしては随分とはずれた読みである。老いの知らない、目の前に居る男を静かに見据えて、彼の真意を汲み取ろうとした。しかしそれは無駄な行動だった。
鋭いものにかわる視線にわたしはどうすることもできず、まるで地面に根を這ってしまったかのように、動くことはなかった。




「どうしてこんなことを?」







ギリギリと掴まれた肩が痛いのは、目の前の彼が激昂しているのを示していた。目を皿にして、彼を見れば、歯をくいしばり、震えながら、私の瞳を射抜くように睨んでいた。すさまじい迫力に、今にも殺されておかしくない雰囲気がただよう。私は、漠然とした恐怖を感じた。





「こんなこととはなんだ」





動いたら確実に殺されると感づいたわたしは、浅く呼吸をするだけでせいいっぱいであった。調子に乗りすぎた自分の愚鈍さを呪いたい。




「つまりは、お前もあやつの子だったということだ。お前は何にもわかっていない、見当違いもいいところだ」
「そう、わからないのです、なにも、あなたのお考えが」
「そんなものは大した疑問ではない」
「ああ―我が君、わかりません――」
「それなら君はどうして僕に着いてきたんだ。闇なんて染まりきれないくせに、マグルへの憎しみも、そのくせ、純血にたいしてなにも執着していないのに!僕にしたら、君のほうが理解できない。いつだって君はそうだ――こんなこと、と称するならば、君なんかは、ここから出て行けばいい!そう、そうだ、君はいつだって、僕の心に、残していくのだ」





激昂した主君の腕はぷるぷると震え、苛つきを必死に抑えているように思えた。対して、ガタガタと震えるわたしは、まことに滑稽な姿であった。そして長く冷たい指がわたしの肉体に食い込むのは激しい苦痛であり、、喉の奥から、細い呻きを発すると、さらに瞳をナイフのように尖らせて、言った。






「僕は君のような、無知で無能で無神経な人間が、大嫌いだ、と」







まるで以前まで幾度も言っていただろうとでも言うような態度に首を傾げた。消え入った語尾からは、いつものような気迫は感じられない。肩への力がじょじょに抜けていくのを感じれば、主君は踵を返して、部屋の壁際にある、本革のソファに腰掛けた。



君のような。





このひとはわたしの何を知っているというのだろう。あなたに着いていったのは、母があなたを尊敬していたと思われるからで、つまりわたしはあなたを敬っているということであり、その思想を邪魔したこともなかった。一回だって逆らったことはなかったのに。





「…意味がわかりません」
「いい。お前には、わからん話だ」
「なぜあなたは、わたしがまるで旧友かのような口振りで激昂したのです」
「なぜそうも聞きたがる」
「不可解ですから」
「…なぜ」
「さっきの語り口、怒りの理由、わたしに自由をくださる、あなた」
「やはり愚かな生物だな、人間というのは。味をしめると、欲が沸いてくるだろう」
「しかし、先程動揺したのは紛れもなくあなたです」
「…食えない女だ」
「あなたほどでは」
「今、君の命は、僕の腕の中にあるのだよ」
「ええ」
「手にかけるのも容易だ」
「しかし、あなたは今、ヴォルデモート卿でないじゃないですか」


彼の整った眉がぴくりと反応する。痙攣というより、私の言葉でほんのすこし、動じたふうに見えた。しかしそれで、禍々しいオーラを感じることもなく、また、人を下賤の者と見做して嘲笑うそれを浮かべるでもなく、ただそこの瞳に、私だけをうつしていた。開心術を使われているわけじゃないのに、心の奥底を覗かれている感覚は、錯覚などではなく、実力の差をひしひしと感じている、私が格下であるという意識からくるものだ。大きくて綺麗なひとみに吸いこまれたのを気づいたのは、持ち主の男が深く息をはいているのに気づいたからだ。ブレスを深く、細く、歯の間から、ゆっくりと吐き出す。嘆息にも聞こえるそれは、微かに声が混じっていた。それを、私が言葉と認識するのは早かった。彼がパーセルマウスであるということは、真実だったのだ。私を知っているか?そんな問いが聞こえたため、



「いいえ、何も。あなたが私の卿であり、絶対の権力を持っていること、それだけ存じています」




今度こそ、その瞳は揺れ、2回だけ瞼をしばたいた。アア、という嘆きに取れる呟きとともに、ヴォルデモート卿は、その長い指を私の頬に滑らせた。先ほどより、幾分か感情が垣間見える真顔は、涙を浮かべてなどいないのに、何だか泣いているふうに思えた。背中に腕が回され、耳元で彼の心臓の鼓動を感じる。私とおなじようなリズムで脈打つそれは、同じ人間であることを示していた。ああ暖かい。人間味のあるこの人を、私はしらなかった。そう彼は紛れもなく感情をいま、私の前で吐露したのである。それが計算であるということはまずないだろう。まさかヴォルデモートとあろう人が、そうであっても馬鹿な真似はしない。ああ暖かい。一体感と既視感からか、何故だかノスタルジックな気持ちになった。懐古。郷愁。あなたとひとつになっている。あなたと共に生きている。あなたの傍にいたい。そしてまたこうして抱きしめあいたい。だって私は気づいてしまったのだから、そしてあなたも、いやあなたはそれより以前に気づいていたのだ。そう、あなたと私を繋ぐものを。だのにあなたは見てみぬ振りをしていたのだ、己の脆弱性から目を背けたのだ。つまり、つまりあ
なたは、わたしの…、



「貴方と還りたい」








110223/さりお
死からの飛翔に参加
ありがとうございました。
20110223
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -