力強く、手首を握られる。
その瞳に自分の姿が映し出されると、もう目がそらせない。
あたりが暗くなり、眼球の瞳を取り巻く円盤上の筋肉が伸縮しても、その綺麗さは変わらず、美しかった。整っている顔、服装から見受けられる人柄は、確かに好青年である。
うっすら、唇が歪むのを見ると、今度こそ事切れたように動けない。緑色のせいか、妙に冷たく見える瞳が鋭く光り、瞬きひとつしない。
十秒もたっていないだろう、その見つめあう時間が、長く感じられた。美男に見つめられているというのは、はたからみたら少女漫画のワンシーンのようだが、そんな生温いものではない。彼の瞳が、全く感情というものを語ってくれないからであった。
それは、いわゆる未知なる恐怖というものに似ていて、結局わたしは、たまらなくなり、視線をフッとそらしてしまった。
瞬間、ミシミシと音を立てるような、圧迫による痛みを、掴まれた手首に感じる。
その細い肉体からは、けしてこんなに強い力が出そうもないのに、どこにそんな力があるのか、尚もわたしの手首を、まるで握り潰すように、ぎりぎりと押さえつけていた。動脈が締め付けられ、血の通いが悪くなるのがわかった。再び彼に視線を戻すが、気にしないようすで、手首にかかっている力も弱まることはなかった。指先がじんじんと痺れ、徐々に冷たくなっていく。
しかし、案外彼の眼は冷静すぎるほどにどこまでも澄み渡り、冷たかった。表面上の優しさからか、はたまた狂気なのか、深いそれとは裏腹に、どことなく薄っぺらい印象を受ける。ブラックホールのごとく吸い込まれそうな危険は感じず、新緑の瞳は、まるでアクリル絵の具を厚く塗ったような色をしていた。
彼の彼女は、わたし一人ではない。いつもの学校に居るような、御伽の取り巻きから、デートをする仲のような人も居る。むろん、性行為までいく人も居る。
これは彼の嫉妬なのか。
これはというのは直前に挙げた彼の日常的な行動でなく、今、この場で起こっていることだ。
わたしは彼のようにいわゆる浮気などしないし、他に意中の相手が居るわけでもないため、彼を激怒させるような行動は、起こしていない。ではなぜ、彼は痛いほどの力と視線を加えてくるのだろうか?



「愛しているんだ」



形のいい唇からでたその言葉は、稚拙ともとれるものであった。あまりの滑稽さに、思わず嘲笑が浮かびそうになるが(その嘲笑は、はたして御伽に向けてのものかそれとも)、御伽の眼があまりにも鋭いので、声をだすのはやめておいた。
彼は、ふてぶてしいほどに、易々とわたしの体を包み込み、優しく背中を撫でた。いやな香水の匂いが学ランに染み付いており、少し、眉を寄せた。彼の彼女はわたしだけではないから、しかたがない。ただ、低い体温を感じながらぼうっとしていた。彼が本性を観せるのはきっと私だけ、そう思えるだけ、今は幸せだったのだ。それで淡く優しい恋に溺れられるならば、それでいい。
なぜなら、わたしはまだ確かに御伽のことが好きであって、けれども御伽は、わたしを愛していない。否、わたし以外の誰も愛していないのだ、もしかしたら自分自身の世界でさえも。それでも彼が別れようとせずに、わたしに執着するのは、自分のプライドや自尊心からだろう。これは嫉妬心からではない。

「名前、お前が好きなんだ」
「ばか言わないで」
「ばかなんて言うか。僕は君が、大好きだ」
「ねえ」
「お前の隣は僕しか居ないんだよ、僕しか要らないだろ」
「御伽、聞いてよ」
「どうして他の奴が必要なんだ?僕だけを見てろよ」

「名前のことを誰より、俺は愛しているのに」
「御伽、ねえ…」
「龍児って呼べよ」

悪びれもせず、甘えるような、色っぽい、男の声をだす御伽は浅ましいほどだったが、耳元で聞くと、骨まで溶けてしまいそうな言葉。
結局、彼の意図している術中に嵌ってしまうのだ。
それはある意味必然であり、さもわたしを愛しているとな見せ、けれど少しのぼろを出し、わたしの心の奥底で悩ませる。彼のはかりごとというのはそんなところなのだろう。とどのつまり、名前もまた、彼の人生という名の幼稚すぎる物語で働く歯車にすぎず、それは、彼の意思の薄すぎる瞳で充分に理解できた。幾ら愛の言葉を囁いたって、文字の羅列に変換すれば、なんてことはない。芝居めいた言葉だと思えば、滑稽にさえ思えてくる。けれど彼は様になりすぎるのだから、最高の脚本、そして、最高の主役である。ヒロインなど居ないこの物語の終焉は、どこにもない。有り得もしないできごとなのだ。
幾らでも並べられる綺麗すぎた嘘は、結局、虚言に過ぎなくて、わたしはすこし、泣いた。

「龍児」

たった4音、ただの文字の羅列にすぎない、口に含ませていた4字を口に出せば、御伽はうっすら、満足げに笑った。それを見てわたしも、口角を上げて嗤う。この茶番を馬鹿にするかのように。そんなことしなくても、私は君しか見ていないのにね。


綺麗な言葉と嘘を並べて

100526
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