露伴先生は集団行動にむいていない。義務教育のあいだどうやってのりきってきたんだろうと私はつくづく不思議に思う。漫画家という職業はチームワークを必要としないので、露伴先生もストレスがたまらないのだろう。たしかに集団で行動したりしていると、たまに気を使うのがとてつもなく煩わしくなる。それはわたしにもわかる。そういう気遣いみたいなものは、人と接してる以上しかたのない義務みたいなものだ。しかし露伴先生はそれをうっとうしく思ってか、人付き合いがキライだった。彼は自分で人がキライだみたいなことを言っているのを耳にしたことがあるが、それはおそらく露伴先生がめんどくさがってはしょって発言しているだけであって、べつにお喋りすること自体は、案外好きそうなほうにみえる。たぶん、露伴先生は自分のペースをだれかに乱されるのがいやなのだ。人目を気にしないからとんでもない行動にでることもある。蜘蛛とかの下手物をためらいなく食べてしまう……否、味をみてしまうのがいい例だ。わたしはそんな露伴先生を、ちょっと遠くで見ているのが好きだった。というか、露伴先生のことを、たいへんに好いていた。

「あっ」

わたしが声を出したのはそこに苦手な虫があったわけでもなく流れ星が目に入ったからでもなくいままさに思いを馳せていた岸辺露伴大先生がわたしの眼前をよこぎっていったからだ。こんなに近くをとおったのだからわたしにはもちろん気づいているだろうにこのお方は無視を決め込んでいるらしい。いや、もしかしたら、まんがのネタについて、わたしが露伴先生のことを考えていていたときみたいに、没頭しているのかもしれない。なんかそんな気もしてきた。露伴先生ならたいていのことはおかしくても納得がいく。この人は常識では計れないから。


「露伴先生、こんにちは!」
「名前くんか……学校は?」
「今日は、テスト期間ですから、2限アップなんです」
「へえ、出来はどうだったんだい」
「ヤマが当たったので、数学は平均越えてると思います!」
「志が低いな君は」
「これでも頑張った方なんです」
「そうか、お疲れ。じゃあな」
「え〜先生〜折角だしお茶しましょうよう」
「高校生の分際で何を言ってるんだ」
「康一くんや仗助だってコーコーセーですよ、でもよくドゥ・マゴいるでしょ」
「悪いがぼくは人目につくとこで茶など楽しめんのだ」
「えー!やだ〜露伴先生ともっとお話ししたい〜」
「鬱陶しいぞ、ぼくは帰る。君も家に帰って出来の悪かったテストの見直しでもしてるがいいさ」


シッシッと犬を追い払うときみたいな目をしていたのでおとなしく引き下がった。いや、彼の場合は、犬か。きっと漫画から解放されてひとりを楽しみたい気分なのだろう。そういうときもある。わたしにだってわかる。だから露伴先生の意見を尊重した。でも、仕事が終わった露伴先生とお茶すらできないなら、わたしはいつ露伴先生とお話ししたらいいんだろう?仕事中なんて話しかけてもこたえてくれないだろうし、一段落ついたとこでも、先生の集中を切らせたくないし、でもいまみたいに仕事外でも話しかけられないなら、もういっそ、仗助とまた殴り合いでもして病院送りにしなくてはならないのではないか。そしたら一ヶ月は露伴先生は仕事をしなくていいもの。でも漫画を描いてない露伴先生の機嫌たるやそれはそれは1月の気温より下をいってる数値だからやっぱりお話はできない。これまでか、はあ……とわたしは黙ってしまった露伴先生の顔を不満げにみた。何なんだよ君はとでも言いたげに眉間にシワを寄せる。あなたがわたしのもとから立ち去らないからわたしはこうやってあなたを睨み付けてるだけで、それを不満に思うならさっさといってしまえばいい。そう思ったけど口にはださなかった。口喧嘩はしたくなかったからだ。ややあってハアアと先生が深いため息をついたのがわかった。なかなか芝居がかっているなぁと思ったがどうやらこれは露伴先生の心からの嘆息らしかった。

「おい、着いてこい。ちょっとだけだぞ」

露伴先生のありがたいお言葉にもわたしは着いていけなくてきょとんとした顔をうかべた。露伴先生は、フンと鼻を鳴らし、きびすを返した。顔だけ私の方に向けて、スケッチブックをもっていない左手でわたしを指差す。時間差で言葉の意味を理解したわたしは、 思わずにたあと口元をゆるませた。あの!露伴先生の家に!ひとりでお邪魔できる!ということは、二人きりでお話ができてしまうということに他ならない。素直でない露伴先生はなにかと正当な理由や講釈を垂れてから行動をおこすのが常であるからわたしは露伴先生の次にいうセリフを待った。

「別にぼくは君みたいなたいして漫画の題材にもならないような女に興味はない。康一くんのよしみだ。勘違いするんじゃあないぞ」
「はーい!わかってまーす!」

露伴先生はなんだかんだ言ってごねれば家にあげてくれたり譲歩してくれる。わたしはここのところ思うのだが、別に露伴先生は人間嫌いとか、そういうわけではないと思う。取っ付きにくいからどうしても先生と気のあわないひとはたくさんいるが、そんな人とも一応口喧嘩をしたり(仗助なんかがいい例だ)何らかのアクションをおこしているきがする。まあ康一くんのことをあれだけ気に入っているんだからきっと好き嫌いがものすごく激しい、というか嫌いなものがものすごく多い、そして異常にマンガへの情熱をかけている、悪いひとではないのだろう。変人なのはかわりない。そう。本当に変わった人だ。奇特な人だ。

商店街を抜けると住宅地に入る。この辺りは暗くなるとなかなか閑散としたところだが、まだ昼間なので、子供連れのママさんや、いまからカメユーへ遊びにいくのであろう中学生らがぽつぽつあるいていた。わたしと露伴先生は、ほとんどなんの話もしないで、ならんで彼の家にむかっていた。

「そういえば、先生のお家にひとりで伺うのは、初めてですね」「そうだったかな」
「今更ですけど、何も手土産がなくて、すみません」
「ほんとに、いまさらだな」

先生は主に康一くんとかに対しては、つまり有人にはたいへん饒舌で自分からぽんぽん好き勝手なことをしゃべるが、どうやらわたしのような興味のわかない相手に対してはあまり口を開かないらしい。ともするうちに、露伴邸に到着した。
露伴先生の家はひとりで住んでいるのになぜか5LDKという間取りの邸宅だ。ワンルームのアパートとか、そうでなければマンションでいいのではないかと思うのだが、そこは岸辺のプライドに関わってくる問題らしかった。彼らしいといったら、彼らしい。


「お仕事は終えられたんですか?」
「当たり前だろう。じゃなきゃ君なんか呼んでないよ」
「いつもお一人で、書いてるんですもんね」
「人が居ると煩わしいじゃないか」
「まあ、先生の性格ならたいへんでしょうね……」
「帰れ」
「先生って本当にお優しくてかっこよくてスタンドだってあって素晴らしい方だわ」
「口の減らない女だな君は」

ハアとためいきをつく。わたしにたいして露伴先生はよくためいきをつく。そんなに困らせているのだろうか?なんだかおもしろくてフフッと笑ったら、かなり怪訝そうな表情を向けられた。失礼な人だ。わたしもひとのことは言えないけど。

「そこに腰かけてくれて構わない」

視線の先にはロココ調のソファがある。なんだが高そうなアンティークな感じの家具だ。スカートのひだを伸ばして座った。ふかふかして、あ、やっぱり高いなこれ、と感想をひとりでごちた。一応客人だからか露伴先生がじきじきに紅茶をいれてくれるらしい。かちゃかちゃと食器を出す音がきこえる。3分くらいたったあと、露伴先生が戻ってきた。

「先生のお家、ほんとにきれいに片付いてるんですね」
「煩雑に散らかった空間のなかで気持ちよく仕事はできないだろ」
「私の部屋よりはるかにキレイ」
「ああ……君の部屋は統一感のまるでない家具や要らないものでいっぱいにしていそうだ」
「あっ、ひどーい。そんなに汚くないですよーだ」
「どうだかなあ」
「こんど露伴先生が私の家きてください!証明してみせます!」
「なんでそうなるんだよ……」

先生の淹れた紅茶はさわやかなダージリンの匂いがした。先生のことだからきっとそこそこ値打ちのある茶葉を使っているにちがいない。香り高い紅茶のそれを鼻腔に吸い込みつつ、目の前でわたしと同じティーカップに口をつける露伴先生をちらりと見やった。なにをしても絵になるひとだ。彼は町中のいろんな建物や品物、人を観察しスケッチしているのをたまに見かけるが、もっと自分のこともしっかりとスケッチしてみるべきだと思う。肌だってきめこまやかで一点のキズもない陶器のようだし、日本人離れしたハッキリとした目鼻立ちは、そこらのモデルさら顔負けのかっこよさだ。この性格さえなければモテモテなんだろうなあ、引っ越す前は東京にいたらしいから、業界の人に言い寄られてたりして。なんていう想像をしていたら、長いこと彼のことをじっと見てたらしく、「そんなにぼくがめずらしいか?あまりジロジロと見るなよな」などという厳しい一言をもらってしまった。だって、好きな人が目の前にいたら、多少見つめてしまうのはしかたがないことのように思う。露伴先生はこういう甘い気分を味わったことはあるのだろうか。このひとは好奇心のかたまりだから、案外はやい段階でひとのことを好きになっていそうな気もするし、恋愛に興味すら示さないようなタイプな気もする。

「露伴先生って……」
「なんだよ」
「いやー、なんでもないです」
「なんなんだ」
「聞くのが怖くなっちゃいました」
「ひとりで話を進めるな。意味がわからない」
「露伴先生に言われたくないな〜」
「なんだと」

売り言葉に買い言葉というやつでちょっと冗談目かしていってみれば、むすっとした顔で先生は応じてきた。こういうところが、このひとはかわいい。二十歳にみえないくらい煽りに弱い。

「先生、小腹が空いてはいませんか?」
「なにもないぞ、ぼくの家の冷蔵庫は」
「わたしがつくってあげます!」
「だから、食材が……」
「だーいじょうぶです。わたしが持っています!」

合皮でできた茶色いスクールバッグから意気揚々とだしたのはホットケーキミックスと書かれた箱だ。

「最近海外で流行っているでしょう、パンケーキ。だからね、私も練習しているんですよ。大切な人においしいっていってほしいでしょ」
「ぼくは実験台か」
「人聞きの悪い」


わたしがいまいちばん食べてほしいと思っているのはあなただけなのに、その一言は、遠慮のないわたしでも憚られた。この好意をつたえてしまったら二度ともう先生と話ができないだろうと踏んだためだ。わたしもいままで露伴先生くらいに好きな人ができたことがなかったから、恋愛にたいして、この恋心にたいして、どうむきあったらいいか、わからなかった。

キッチンを案内してもらって、2つボウルとフライパンをとりだす。露伴先生の冷蔵庫には、さいわい卵も牛乳もあった。牛乳は鍋にかけて、レモン汁を投入し、ホエイとチーズに分離するのを待った。最近はこのリコッタチーズをつかうのがはやっているらしかった。
粉をふるっているときに、背後に気配を感じた。ちらと見やると、壁際に先生がよりかかって、こちらのようすを観察している。そしておもむろにいつもの大きなスケッチブックを開いて、えんぴつを動かしていた。料理している場面を、つぎに漫画で使う予定なのかもしれない。なににせよ、見られながら料理するのははずかしいものの、露伴先生のモデルになっている、というだけで、なんだか気分が高揚した。うかれたせいで牛乳を沸騰させてしまったが、まあ、問題はないだろう。
この家には電動の泡だて器がないらしいので、しかたなくふつうの泡だて器でメレンゲをつくる。なかなか骨の折れる作業なので、休み休みうでを動かした。

「君、体力ないんだな」
「いつもは電動ですもん」
「パンケーキ一枚でそんなに時間がかかるもんなのか」
「手間隙かけるんです、おいしいものは」
「そんなものなのか」
「……おいしいの、先生に食べてもらいたいから、」

ぼそりと言った言葉が先生にはっきりと聞こえていたのかはわからないが、沈黙をかきけすようにガシャガシャとメレンゲ作りに専念した。露伴先生も、変わらずスケッチの手を止めていないらしかった。

焼き上がったきつね色のパンケーキに、バターを添える。キッチンに甘い匂いが広がって、食欲がそそられた。露伴先生は、隣で紅茶を入れ直しているらしかった。予想通り、高そうな缶に入った茶葉を、ポットにいれていた。

メープルシロップをかけるとなかなか様になっているパンケーキだった。露伴先生が、ナイフで切り、口に運ぶまで、じっとわたしはその様子を観察していた。

「先生、おいしい?」
「クシャクシャいってるから粉が少ないか卵が多すぎるんじゃないか」
「……うまくできたとおもったんだけどな」
「これじゃ焼き方もハンパだぜ。どうせ弱火どトロトロ焼いたんだろ。強めの火をよわめるだけでいいんだよ」
「はい……」

説教をいただいたあとわたしも自分で作ったものを食べてみた。自分的には次第点に達していたので、露伴先生はなんて美食家なのだろうなと感じた。しかし、好きな人にここまでだめだしを食らうというのは、なかなか気が滅入ってしまう。はあとひとつため息をついて、ぱくりとパンケーキを口に運んだ。露伴先生はそんなわたしをじっと見て、また、あの嘆息をもらし、言った。

「また、練習すればいいだろ」

「……まずかったわけじゃない」

そして大きめに切ったそれを乱暴に口に運んでいた。わたしはメープルシロップを足しながら、


「おいしくなったらまた食べてくれますか」
「…………牛乳は、いつでも冷蔵庫に入ってる」
「……それって…………」

それって、また来てもいいってことなんだろうか。

「悪くなかったよ」

「先生〜!!」
「なんだよ、大きい声をだすんじゃあない」
「先生やさしいー!!」


そうしてすっかり気分がよくなったわたしは、露伴先生が完食してくれたのを確認して、さらに機嫌がよくなった。にこにこを絶やさないでいたら、「なにをひとりで笑ってるんだ、気色悪いな」などと辛辣なセリフをもらったが、露伴先生のそんな言葉にはなれっこなので、ふふ、と笑いで返しておいた。こんどは露伴先生になにをつくってあげようかな?素直じゃないこのひとがやっぱり好きなんだなあ、とあらためて感じたわたしは、食器を片そうと、流しに立って汚れをスポンジで洗った。その様子をまた露伴先生がスケッチしていた。なんだか新婚さんみたいですね、と調子にのって冗談をいったら、意外と露伴先生が、そうだな、と返してくるので、わたしは食器を落としそうになった。くるりと振り替えったら、すぐ真後ろで露伴先生がにやにやと人の悪い笑みを浮かべていたから、このひとは本当につかめないな、と口を尖らせた。きっとこのしがない小娘の淡い恋心に、彼は薄々気づいているんだろう。こんな可愛くていじわるな人を、好きにならないわけがない。

20130512 さりお
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