浦原

2011/01/27 21:08

小さい頃の日課が、お皿洗いだとか洗濯物の取り込みだとかのお手伝いをして、それで手にしたお小遣いを、浦原商店で、30円の駄菓子を買うことだった。エプロン姿に眼鏡で強面なおじさん(お兄さんだったかも)と、だいたいは帽子を被ったお兄さんが店番をしていて、赤褐色の3枚をわたし、引き換えにもらう甘いお菓子は、そのころのわたしにとって宝物に思えた。たまに500円くらいをもって、大量に買い込むと、いくつか帽子のお兄さんがおまけをいれてくれたものだった。その人とはあまり話したことがなかったけれど、向こうはそこそこわたしのことを知っていたように思える。うすい紅茶色に脱色した髪と、下駄をからんころんと鳴らす後ろ姿で、すぐに駄菓子屋さんのお兄さんだとわかった。
中学生になってからは、その駄菓子屋さんのこともすっかり忘れてしまい、学校をさぼっては渋谷に行ったり、夜は彼氏の家や他校の友だちと朝まで馬鹿みたいに遊び呆けていたので、すっかり地元のそれとも疎遠になってしまった。しばらく中学の制服を着なくなって、今日もまた寝坊したため学校に行く気も失せ、ああ誰か暇なやつと遊ぼう、と、携帯に手をのばす。日常になりつつある、この体たらくな生活。髪を伸ばして、ヴィトンの財布を持ち歩き、しかし、身に纏っている服は安物で、外に出るときは化粧して、彼氏とおそろいのサムライの香水をふりかけて、それで彼氏と会うときは髪を38ミリのロッドで巻いて、自分を着飾る。安い装飾。携帯に入った、同じようなクソみたいな生活してる暇人の電話。最高の連れ、いつも馬鹿やってる人間からのメール、連絡。ベッドの脇に、いつかの友だちが泊まりにきたとき忘れていったアイブローがおきっぱなしにしてある。最近、たまにこんな感じの焦燥感というか、むなしい気分にひたってしまう。一人で居るときはなおのこと。でも全部がどうでもよくなる。自分がよくわからなくなる。むしょうに悲しい気持ちになってくる。
浦原商店に足が自然に向いたのは、小学生までの思い出に浸りたかったからかもしれなかった。



「お兄さん、これちょーだい。あとラムネ」
「ハイハイ」


奥の方から出てきたお兄さんが7年前となんら変わりない風貌なのに驚いた。変な帽子に隠れてよく見えない素顔、髪、下駄。このひとだ。わたしの思い出に生きる人間。



「お兄さんさ、変わんないね。7年前と」
「大人はそういうもんなんスよ」
「大人になったら、変われないのかな」
「変わろうと思えば」
「変わりたいな」
「アナタがそう思うなら」
「そっか、そうだよね」



バッグの中のケータイがわたしを呼ぶ。わたしと彼の間で鳴る、安い歌の着信音。好きな歌手の新譜だった。彼氏用に設定した、愛の喜びを歌うそれだった。安直だ。着信をかきけすように、わたしは店の縁に腰掛けて、彼の隣に駄菓子やらなにやらを置いた。それにならって、お兄さんも、その場にあぐらをかいて座りこんだ。


「彼氏がね、束縛したがりで、暫く連絡しないとしつっこく電話とかかけてくんの。たぶんわたし、そういうの好きじゃないみたいで、最近彼氏と会うのが億劫。あと、連れとかと呑んだりすんのも面倒。でも普通に学校行くのもつまんない。かといって一人は寂しい。だからきっと、別にタイプじゃないひとを彼氏にしてるんだと思う、心の寄りどころとして」
「いいんスか、電話」
「…よくないけど」
「後悔しても遅いっスよ。時と縁は、失ったら戻らない」
「まだ中学生だもん」
「……そっスね」

すっくと立ち上がり、店先に出る。古ぼけた浦原商店の文字がある看板の前で、ラムネを開けたら、しゅわしゅわとソーダ水が手首を伝っていった。ぱちぱちと口内に、泡が弾ける刺激に、舌が少しだけ、ピリッとする。沈んだビー玉を空にかざしたら、キラキラと太陽光で反射される。ふと店内に視線を戻したら、お兄さんが、足を組んで、にこりとわらっていた。目元は帽子の影にかくれてやっぱりわからなかったけれど、私がわらい返したら、さらにその笑みを深くしたので、私は機嫌をよくした。携帯の電源を切ったら、きっとあのチープな歌も聞こえなくなるだろう。この、私を満たす、高揚感にも似た思いも、ずっと続いていく気がする。



「お兄さん、名前教えてよ」



「浦原、喜助っス」

「……浦原さん、」



名前を一度呼んだなら、彼はつばのある帽子を取って、その顔を露わにした。ゆったりとして、まるで、わたしを受け止めてくれそうな、そんな優しい顔をしていた。
ありがとう。



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