リドル

2013/11/07 23:44

わたしは小さな花屋を営んでいた。北の方で、海が見えるところに立地された、小さな小さな花屋だった。冬になると雪が降り、あたりは人ひとりいなくなる。ここ数年のなかで、いろんなことがあった。戦争が終わった。そのおかげで、夜は海沿いにぽつりぽつりとカップルが歩いている姿が見受けられた。それまではほとんど獣道だったところもしっかりとコンクリート舗装され、夏には今まで以上に、浜辺で花火をする若者の姿があった。
ちょうど5年前、わたしは、ホグワーツ魔法学校を卒業し、イギリスから本土に戻ってきた。1948年のころだった。数年間はあちらで生活をしていたものの、諸々の事情で母国に帰還してきたのである。花屋はとてもじゃないが儲からなかった。副業で魔法薬をつくっていたので、むしろそちらが収入源といってもよかった。そして、魔法薬以外に、わたしは卒業して以来、めったに魔法を使うこともなかった。だから、大半の難しい呪文は忘れてしまったし、同窓生が何をしているかも知らない。この国に居るのはわたしだけであったから、ここのところわたしはひとりだった。来たばかりは、少しばかり、日が陰ると寂寥の念が心に在ったが、最近ではこのあたりの立地も覚え、代わり映えのない日常を過ごしている。すでに孤独に対する恐怖はなかった。今後の人生はわからないけれども、当分のあいだはこんな生活でも構わないと考えていた。


わたしのそんな思案を消したのは、コツリ、コツリという、紳士靴がタイルを鳴らす音であった。それに目を向ければ、逆光ぎみではあるものの、なんとなく背広を羽織った、身長の高い、スラッとした男性が店に入ってきているのがわかった。接客をせねば、と丸椅子から腰を上げると、そのときに初めて彼はこちらに気づいたようで、ぺこりと頭を下げてきた。


「いらっしゃいませ」
「花束が、欲しいんだけど」
「ご希望は」
「この花を入れてくれ」
「ツツジギキョウですか」
「見舞いなんだ。はらからの」
「ああ。それなら、淡い黄で纏めますね」


男は、きれいなバリトンの声質で、その声で歌われたらきっとリラックスできることだろうと、私は花を選びつつぼんやり考えた。バラやガーベラを入れながらバランスを考えていれば、わりと落ち着いた花束になったと思う。とくに大輪の花はないが、華やかなものがちょこちょこと入れてあるため、見栄えは悪くないはずだ。本来黄色で纏めるならヒマワリなのだろうが、まだヒマワリを入れるには時期でないと考えたのである。それに、この人のイメージに、なんとなくそのような元気な花は似合わないと思ったのだ。いや、悪い意味でなく。

「いいね」
「それでは、お包み致します」

レジスターがあるところまで行き、包装紙をひとつとりだして、茎をカットする。男は目の前でそのようすを静かに見ていた。


「まだお若いのに、おひとりでこの店を?」
「そうです」
「このあたりで、いつから営んでいるんだい」
「1年も経っていません。暫く海外に居たので」
「へえ、どこに?」
「イギリスで、10年ほど」
「イギリス。奇遇だな、僕も向こうで暫く暮らしていた」
「もしかしたら、近くで会っていたかもしれませんね」
「そうだね。君、本当にここでひとり?」
「そう。ほんとうは残るつもりだったんだけれど」
「何かあったのかい」
「…大切な人が、居なくなってしまって」
「………恋人、か」
「恋人、だったのかしら。わたしを置いて、遠くに」


フッ、と目線を男に向ければ。彼は微笑をたたえ、花ではなく、わたしの目を見ていた。澄んだ深い湖のようなひとみ、くっきりした二重、彫りの深い顔立ち、白く陶器のように、すべすべしていそうな肌、育ちの良さそうな振る舞い、初めてこの男をまじまじと見て、わたしは思わず固まってしまった。彼は、そんなわたしの様子を見て、頭に疑問符を浮かべていた。そして、わたしの喉から鳴る、ひゅうひゅうとした息づかいにのせ、答えた。






あの人によく似ているから







そのふとみせる優しげなまなざし、柔らかな物腰、しかし腹を探ることができぬその態度、まさにそれは彼そのものであった。とてもよく似ている。あの人よりは毒をもっていないけれど、しかし黙っていれば、確実に、闇に魅せられたあの人そのままの容貌であった。目の前の男に、「どうしたんだい」と言われるまで、双眸から涙のでていることすら気づくことができなかった。それほど驚愕していたのである、そして7年間にわたる彼への思い、彼との思い出が、走馬灯のように駆け巡って、わたしは感傷に浸る間もなく、先に鋏を落としていた。机にゴトリと音を立てたそれは、無機質に輝きを放っていた。





「リドル」





一言そう呟いて、わたしはそれから何も喋らず、作業に戻った。目の前の男も、それからは何も言わない。静寂が支配する。波のさざめきが、ザザア、ザザアアと、戸口から入ってくるようだった。磯の香りが風に乗って運ばれてくる。そうしてわたしは彼のことを忘れることができるけれど、この思いを消し去ることはできなかった。今頃あの人は何をしているだろうか。もうすでに、闇の組織を作りあげているだろうか、わたしのしらないところで。そう思えば、また熱いなにかがこみあげてきて、わたしはまた、「リドル」と言う。もうこの男の顔を見ることはできない。そうしたらイギリスに帰りたくなるから。またあの人に会いたくなるから。
だからこの思いを、わたしは海に流すことにしたのだ。彼に似合わぬヒマワリを、一輪添えて。100628



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