劉院編-01
一瞬、ぽつりぽつりと雨が降り出した外の景色に視線を向けた。さっきまであんなに晴れてたのになあ、と呟けば降り出したなあ、と店長である隼人さんが応えた。聞こえていたのかと少し驚きつつもそうっすねと言葉を交わす。もう一度外の景色へ目を向ければ灰色の空がごろごろと音をたてていた。ふと、数年前の記憶が蘇る。
小さい頃、今の家に移る少し前のことだった気がする。お世話になっていた従姉弟が俺に聞いた。
『劉院、君の目にこの世界は何色に見える?』
いつも飄々としていて何を考えているか分からない人だったがあの時はついに頭がいかれたのかと思った。はあ?と冷たく返事をすれば生意気だねと頬を抓られた。軽くぺちんと叩きその手をはらったのを覚えている。
「劉院、今日は用事あんねやろ?あがってええで。」
「え、でも今日バイト俺しかいないっすけど。」
「かまへんかまへん。この雨じゃ今日はもうあかんわ。これから涼芽来るらしいしもしもの時は手伝ってもらうから。」
「…すみません。ありがとうございます。」
隼人さんの言葉に後ろめたさを感じつつも素直に頷いた。今日はついさっき思い出された従姉弟のお父さん、つまりは叔父さんが家に来る予定になっている。今の家に越してからもちょくちょく様子を見に来てくれる叔父さんには頭が上がらない思いでいっぱいだ。学院に通うお金まで貸してくれたし、いろいろとめんどうをみてくれているのは正直助かっている。しかし本人の代わりにあの従姉弟に様子見を頼むのだけはやめてほしい。切実に。
なんて、くだらないことを巡らせながら隼人さんに頭を下げカフェを出た。通い慣れた道を傘を差しぽつんと1人で歩く。商店街に差し掛かったところでふと立ち止まると、小さな子供が傘を差ししゃがみこんでいた。足元にはカタツムリが1匹。のそりのそりと動くそれに興味津々なその子は目を輝かせている。そこへ1人の女性が近づくのが見えた。するとその子は突然顔をあげ笑った。数秒後にお母さん!という子供の元気な声が響く。俺は黙って再び歩き出した。
「お母さん…か。」
家につくと玄関の扉は既にあけられていた。合鍵を渡してあるのでさほど気にすることもなく鍵のあいた玄関の扉を引いた。しかし、次の瞬間俺は嫌そうにげえ、と声を漏らした。そこにあったのは赤い一足の靴。叔父さんのものと見られるいつもの革靴は見当たらなかった。溜息をついて靴を脱いだ。とぼとぼとリビングに向かい、やっぱり嫌そうに顔をゆがませた俺に、ソファに座り込んでいた従姉弟がやあ、と声をかけた。
「相変わらずだねえ。まあそんな劉院の顔が見たくて来てるわけだけど。」
「嫌味なこった。飯は。」
「いただくー。」
「毎度毎度いいご身分だな。で、叔父さんは?」
「急な用事ができたから代わりに来ましたー。」
「たまには劉燐以外をよこせよ…。」
そう言って元気に手を挙げた劉燐にぐちぐちと文句を漏らせば、寂しいくせにーと彼女が笑った。冗談じゃない。毎度毎度振り回される俺の身にもなってほしいものだ。冷蔵庫を開けてカレーでいいか、と問いもちろん、と返事を受けとる。いつものようにエプロンを腰に巻いた。
「…お母さんの様子どう。」
「…相変わらず。最近は時々起きてくるけど、ソファに座ってずっとぼーっとしてる。」
「そう。」
急に部屋が静寂に包まれる。外で本降りになり始めた雨の音だけが嫌に耳に響いた。11年前、俺がまだ5歳の時、父さんが他界した。世界の中心が父さんだったらしい母さんは、その日から変わってしまった。毎日ふさぎ込みただ泣く毎日。今は落ち着いてきているのかもしれないが11年たっても現実を受け止めきれない母さんは生きる屍のようだと思った。俺は10歳まで劉燐の家にお世話になり11歳になってからこの家に母さんと移り住むことにした。これ以上母さんをあの場に置いておくのは心が痛んだからだ。近所の噂しかり、親戚の視線しかり。とにかく、あの場に住み続けることはできない、と幼いながらも俺は思っていた。叔父さんに相談し、この家を借りたのだ。あれから俺はバイトをしつつ母さんの面倒を1人でみている。
「劉院、世界の色、変わった?」
「…またその話かよ。」
静寂を打ち消したのは劉燐の方だった。先ほど思い出したばかりの話を振られ一瞬手を止めた。あれからこいつは思い出すたびにその話を振ってくる。はあ、と息を吐きあの日と同じように答えた。
「変わんねえよ。…灰色のままだ。」
頭のいかれた質問に真面目に答える俺も相当頭がいかれてるなと思った。
小さい頃、今の家に移る少し前のことだった気がする。お世話になっていた従姉弟が俺に聞いた。
『劉院、君の目にこの世界は何色に見える?』
いつも飄々としていて何を考えているか分からない人だったがあの時はついに頭がいかれたのかと思った。はあ?と冷たく返事をすれば生意気だねと頬を抓られた。軽くぺちんと叩きその手をはらったのを覚えている。
「劉院、今日は用事あんねやろ?あがってええで。」
「え、でも今日バイト俺しかいないっすけど。」
「かまへんかまへん。この雨じゃ今日はもうあかんわ。これから涼芽来るらしいしもしもの時は手伝ってもらうから。」
「…すみません。ありがとうございます。」
隼人さんの言葉に後ろめたさを感じつつも素直に頷いた。今日はついさっき思い出された従姉弟のお父さん、つまりは叔父さんが家に来る予定になっている。今の家に越してからもちょくちょく様子を見に来てくれる叔父さんには頭が上がらない思いでいっぱいだ。学院に通うお金まで貸してくれたし、いろいろとめんどうをみてくれているのは正直助かっている。しかし本人の代わりにあの従姉弟に様子見を頼むのだけはやめてほしい。切実に。
なんて、くだらないことを巡らせながら隼人さんに頭を下げカフェを出た。通い慣れた道を傘を差しぽつんと1人で歩く。商店街に差し掛かったところでふと立ち止まると、小さな子供が傘を差ししゃがみこんでいた。足元にはカタツムリが1匹。のそりのそりと動くそれに興味津々なその子は目を輝かせている。そこへ1人の女性が近づくのが見えた。するとその子は突然顔をあげ笑った。数秒後にお母さん!という子供の元気な声が響く。俺は黙って再び歩き出した。
「お母さん…か。」
家につくと玄関の扉は既にあけられていた。合鍵を渡してあるのでさほど気にすることもなく鍵のあいた玄関の扉を引いた。しかし、次の瞬間俺は嫌そうにげえ、と声を漏らした。そこにあったのは赤い一足の靴。叔父さんのものと見られるいつもの革靴は見当たらなかった。溜息をついて靴を脱いだ。とぼとぼとリビングに向かい、やっぱり嫌そうに顔をゆがませた俺に、ソファに座り込んでいた従姉弟がやあ、と声をかけた。
「相変わらずだねえ。まあそんな劉院の顔が見たくて来てるわけだけど。」
「嫌味なこった。飯は。」
「いただくー。」
「毎度毎度いいご身分だな。で、叔父さんは?」
「急な用事ができたから代わりに来ましたー。」
「たまには劉燐以外をよこせよ…。」
そう言って元気に手を挙げた劉燐にぐちぐちと文句を漏らせば、寂しいくせにーと彼女が笑った。冗談じゃない。毎度毎度振り回される俺の身にもなってほしいものだ。冷蔵庫を開けてカレーでいいか、と問いもちろん、と返事を受けとる。いつものようにエプロンを腰に巻いた。
「…お母さんの様子どう。」
「…相変わらず。最近は時々起きてくるけど、ソファに座ってずっとぼーっとしてる。」
「そう。」
急に部屋が静寂に包まれる。外で本降りになり始めた雨の音だけが嫌に耳に響いた。11年前、俺がまだ5歳の時、父さんが他界した。世界の中心が父さんだったらしい母さんは、その日から変わってしまった。毎日ふさぎ込みただ泣く毎日。今は落ち着いてきているのかもしれないが11年たっても現実を受け止めきれない母さんは生きる屍のようだと思った。俺は10歳まで劉燐の家にお世話になり11歳になってからこの家に母さんと移り住むことにした。これ以上母さんをあの場に置いておくのは心が痛んだからだ。近所の噂しかり、親戚の視線しかり。とにかく、あの場に住み続けることはできない、と幼いながらも俺は思っていた。叔父さんに相談し、この家を借りたのだ。あれから俺はバイトをしつつ母さんの面倒を1人でみている。
「劉院、世界の色、変わった?」
「…またその話かよ。」
静寂を打ち消したのは劉燐の方だった。先ほど思い出したばかりの話を振られ一瞬手を止めた。あれからこいつは思い出すたびにその話を振ってくる。はあ、と息を吐きあの日と同じように答えた。
「変わんねえよ。…灰色のままだ。」
頭のいかれた質問に真面目に答える俺も相当頭がいかれてるなと思った。