蜜柑編-04

双葉の伝言通り理科室にやってきた俺は姉の怒鳴り声に一瞬驚いて、思わず扉の影に身を潜めた。そっと中をのぞいてみると、いつだったか一度自主練に付き合ってもらったことのある伊吹さんに掴みかかる姉が見えて、それはまずいだろと一歩を踏み込む。しかし、それは背後からかけられた言葉に邪魔され行き場のない虚無感に支配される。

「まだダメよ。」
「花鈴さん…。」

どうしてですか、と言葉にするよりも早く花鈴さんが俺の口を塞ぎしっーと自分の人差し指を立てて見せた。

「あんたは知るべきなのよ。」
「…どういう意味ですか。」
「そのままの意味さ。」

そう言って姉達に視線を向ける花鈴さん。仕方なく俺も黙ってそちらに視線を戻し、事の行方を見守ることにした。

「あの子のこと何も知らないくせに!勝手なこと言わないでよ!」
「知ってる。この前自主練に一度だけ付き合ったからな。それで確信した。あいつはもう伸びない。学院辞めた方がいいんじゃねえの?」
「っ…。」

伊吹さんの言葉が刺さる。薄々感じてはいたが、やっぱり直接言われると少しだけ落ち込むというか、やっぱり自分はダメな奴なんだなと思い知ってしまう。

「決めつけないでよ!あの子は誰よりも努力してきたの!私なんかより!いっぱい!いっぱい頑張ってるんだから!」
「努力だけじゃどうにもならないことだってあんだよ。」
「何よ!じゃあ、あの子の努力は無駄だったっていうの!?」
「そこまで言ってないだろ。」

はあ、とため息をつきめんどくさそうに首を振る伊吹さん。少しだけ申し訳なく思えてきて、そろそろ止めに入ってもいいのではと花鈴さんをチラリと横目に見る。しかし、彼女はまたダメよとだけ言うのだ。やめてくれ。これ以上、惨めな思いはしたくない。

「何よ…何よ何よ!あんたなんか嫌い!大っ嫌い!蜜柑のこと、私の弟のことを馬鹿にしないで!あの子はこんなことでへこたれない!」
「だってさ。」
「うっ…。」

ついさっき折れかけたとこなんだけどと心の中で呟く。胃がきゅっと締め付けられるのが分かった。そんな期待に応えられるほど、俺は強い人間じゃないんだよ姉貴…。

「私は信じてるもん!あの子は強いのよ!」

姉の目から涙が零れた。1日に2度も姉の涙を目にするとは思わず、俺が傷つけているんだなと感じとる。俺は、姉の期待に応えるどころかいつも生意気に反抗ばかりして、傷つけて、最低な弟だ。

「さあ、蜜柑、どうする?」
「どうするって。」
「ここでまた逃げ出すかい?」

そう言って意地悪に笑う花鈴さんに、少しだけ腹が立ってきた。伊吹さんの言葉が頭の中でループする。
俺に伸びしろはもうない。だったら、俺はどうしたらいい?どうしたら姉の、皆の期待に応えられる?このままじゃダメだ、それは分かってる。でも、どうしたら俺は変われる?

「変わる必要なんてないんだよ。」
「…!」
「あんたが努力してきたことは皆知ってる。一番近くでお姉さんが見てた。あんたは別に期待を裏切ってなんかいない。あとは、」


逃げ出さない、前に進む勇気があんたにあるかい?


行きたいなら行きな、と花鈴さんが俺の背中を押した。一瞬戸惑い、ぐっと拳を握る。黎溟の、逢見の、双葉の言葉が、浮かぶ。ふいに、背後からまた声が聞こえた。

「蜜柑、立ち止まらないで!蜜柑は強いよ!」

今までどこにいたのか、汗をぬぐいながら息をきらしているシェルツが立っていた。ああ、ずっと、俺のこと探してくれてたんだな。多分、また何もないところで転んだんだろ?ところどこ服が汚れてる。そうか、俺には、俺を必要としてくれる人がいる。俺を信じてくれる人がいるんだ。だったら、俺は、その期待に応えたい。いや、応えなくちゃいけない。

「伊吹さん!」
「み、かん…。」
「お前いつから…。」

理科室に一歩踏み込み、名を呼べばその場にいた人達の視線がすべて集まる。もう一度ぐっと拳を握り、息を深く吸い込む。

「努力が足りないなら、もっと努力します。伸びしろがないと分かっても、諦められない!俺は、俺を必要としてくれる人の、信じてくれる人の力になりたいから、だから、俺はもう逃げ出さない!」
「……。」

伊吹さんが目を細めてふうんと呟く。そんな彼を睨みつけてから、学院は辞めませんと言うと、ふっと突然彼から笑みがこぼれた。それを見て、ああ、ダメだ届かないのか、と一瞬顔を俯かせると、ふいに頭にぽんと手がおかれる。驚き、顔を上げるよりも早く乱暴に頭を撫でられた。

「えっ…。」
「はーっ。悪役はこれで勘弁してくれよ花鈴。」
「悪いねえ、こうでもしないとうちの子は決心しきれなくてね?まあ、手間のかかる子ほど可愛いもんだろ?」

一瞬、なんの話をしているのか分からず2人の顔を交互に見る。しかし、すぐにハメられたのだと気づき、力がぬけその場に座り込んでしまった。林檎はというと、未だに理解ができないらしくぽかんと口をあけて間抜け面で固まっていた。

「そーゆーことかよ…全部、嘘?」
「なっにそれえ!」

我に返ったらしい林檎が思わず叫ぶ。ふいに伊折さんにあんたもグルね!?と言って掴みかかる姉貴。しかし伊折さんはまったく関係ないらしく慌てて否定の素振りを見せた。

「いや俺は関係な…いたっ痛いって林檎!またそうやってすぐ俺を叩く!」
「もう!知らないわよ!誰が誰でもいいわよ!もう!馬鹿!」

そんな2人の様子を見て、なんだか俺まで馬鹿らしく思えてきて、笑いが零れる。ああ、もう、本当に馬鹿。こんな嘘に騙されるまで前に進めないなんて、本当に、馬鹿で、弱虫だな俺は。でも、もう、迷わない。むかつくから、意地でも卒業してやる。

「蜜柑、安心するのはまだはえーからな。正直、お前に伸びしろがないのは本当だ。」
「…ああ、はい、なんとなくそうじゃないかなって思いましたよ。半分嘘で、半分本当、でしょ?」
「まあ話は最後まで聞け。伸びしろがないっていうのは能力の話だ。それに、伸びしろがないんじゃなくて、お前の場合はほぼ完成してんだよ。あとは、お前自身の戦い方を考えろ。」
「…!」

すべて嘘、というのは多分違うなと薄々感じていた俺は伊吹さんの言葉に思わず声を漏らす。俺の能力はもう、完成している?それは、つまり――。

「俺の、努力は、無駄じゃなかった?」
「だから、無駄だったとは言わなかっただろ。」
「そ、っか…ああ…なんだ…俺は、ちゃんと…。」

何度も堪えていた涙がついに溢れだしてきた。もう、我慢しなくていいかな、なんて、一瞬思ったけどやっぱり泣くのは恥ずかしくてぐっと堪える。ほら、と伊吹さんが俺に手をさしのべる。その手を取って立ち上がると、シェルツがにこにこした顔で良かったねと言い、その後ろから双葉も顔をのぞかせて笑った。

「そうだ…花鈴さん、すみません、俺のせいで対抗戦、参加できなくて。それから…ありがとうございます。」
「いいんだよ。どうせ今日もシェルツが遅刻してたしね。」
「あ、はは…面目ないです。」

それから、未だに伊折さんの背中を叩いて怒っているらしい姉の肩を叩く。

「姉貴、ごめん。」
「…馬鹿、謝らないでよ。」
「じゃあ、ありがとう。」
「…うん。」

俺は、たくさんの人達に恵まれてここにいるんだ。今日、それにやっと気づくことができた。少しでもいい、これからは、俺が皆の力になろう。そのためにも、まだ俺は立ち止まるわけにはいかない。

「蜜柑。」
「はい。」
「自分が1人だと思うんじゃないよ。」
「…大丈夫ですよ、俺は、俺達は4人で、でしょ?」

分かってるならいいいよと花鈴さんが笑って理科室を後にする。伊吹さん達に頭を下げ、双葉とシェルツの背中を軽く叩いた。

大丈夫、俺には仲間が、チームメイトがいるから、もう、悩む必要なんてないんだ。次は俺の番。きっと強くなって、皆の役に立ってみせる――。


蜜柑編finish。
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