入跡 | ナノ





0728 23:52 トレーニングルーム



近頃、気付き始めたことがある。
自分でも認めたくない感情が
渦を巻いて俺を支配している。

こんなもの知らない。認めたくない。
その一心で今まで堪えてきた。
だが、その努力も水の泡になった。



─まさか、自分が…、
男に、恋をしてしまうなんて。





トレーニングルームで一人で筋トレをしていると、誰かがこの部屋に入ってきた。
毎日此処でトレーニングをしているが、この時間に訪れる者は誰一人として居なかった。
自分としては其の方が集中出来るため、それで良かった。

誰が入ってきたのかは、直ぐに分かった。だから、驚いた。
そして、逃げ出したくなった。
何故、コイツが此処に来た?
疑問しか浮かばない。
この時間帯には俺しかいないということは誰もが知っていることだ。
コイツとて例外ではないだろう。

「やあ、跡部くん。こんばんは。
 毎日頑張っているね。」

あの憎たらしい笑顔のまま、奴は俺に話し掛けてきた。

─コイツ、入江奏多は高校生だ。
以前対戦をしたことがあり、その時一皮脱がされ、初めてもう2度と試合をしたくないと思った人間だ。
実力はある。だが、生け簀かない演技をしているところが気に食わない。

そして、「理解者」と言われるだけあり俺のことも、勿論他の奴のことも理解っている。
即ち、俺の感情にも気付いているということ。
分かっているのに、鎌をかけてはいつも意地の悪いことを俺に言う。
俺はいつも余裕綽々と言った風に、言葉を探して発しているが、入江には何も隠せない。

俺は一旦手を休め、入江見た。
何故か無性にむしゃくしゃした。
だから冷たく睨みながら言い放った。
「邪魔をしにきたのなら、出ていけ」

事実、邪魔されたくないからそう言ったが、二人きりで居るととても居心地が悪いというのが本音だ。
「君が頑張っているのに、
僕が邪魔すると思うかい?」
「充分そう思う」
「…そう。ねえ、跡部くん、」
「何だ。邪魔をするなら出ていけと」
「話があるんだ。頑張っているところ
悪いんだけど、良いかな?」

俺の心臓が羽上がった。
しかし、何でもないという風に振る舞い、返事をした。

「…分かった」
俺は再度動きを止め近くの椅子に座った。
それ以外に椅子はないため、入江も俺の隣に座った。

「跡部くんってさ、
 好きな人、いるの?」
ああ、アンタだよ。
そう心の中で言葉を発した。
そンなこと口が裂けてもコイツに言えるわけがないが、頭の中ではその言葉がずっとぐるぐると回っていた。

「いたら、何だって言うんだ。
第一てめえには関係の無いことだ…」
「『大事な話ってのはこんなことか、くだらない。帰れ。』…でしょ?」
にっこり、笑いながら入江は言った。

「関係無くないんだよ、跡部くん。僕は君のことが知りたいんだ」
知ってるだろ。俺のことなんて
そう言いたかったが、それでは認めてしまっているようで言えなかった。

「…いない」
だから、苦し紛れにそう言った。
しかし奴はやはり気付いているのだろう。
笑顔を貼り付けたまま、
「本当かな?でもさ、最近君からの視線がとても気になるんだよね。いつも僕のことを見ているよね?」
やはり、気付かれている。
そんなに遠回しに言うなら「好きな人」ではなく「自分」と言え。
そういうところが嫌なんだ。

「ハッ、てめぇの髪があまりにも
爆発してるから気になってただけだ」
俺がそう言うと入江はくすっと笑い、
「それって、僕のこと見てるって
 認めてるってことだよね?」

しまった。
俺としたことが失言してしまった。

「…っ、」
悔しいが俺には歯を食い縛ることしか出来なかった。
こういうところが本当に気に食わない。
総て、見透かしているくせにからかい楽しんでる姿を見ると。
いつもいつも俺はコイツに翻弄される。

「跡部くん?どうしたの?」
そう言い、俺の頬に手を添える。
─ああ、やめろ。そんなことされたら…

言われるまでもなく、俺の顔は真っ赤に染まっていく。
手を振り払えば良いのに俺の手は緊張のあまり動いてくれない。
否、振り払いたくないのが本音だ。
このまま時が止まってしまえば良いのに
何て、女みたいなことを考えながら。

「…アンタは、分かってンだろ」
「ん?何が?」
間髪入れず、奴は答える。
分かっているくせに。本当に意地の悪い奴。

「俺の…気持、ち…」
言うつもりはなかった。
だけど、苦しかった。
この感情が悶々と胸の内に踞っているのはもう嫌だった。
もう、何もかも限界だ。
 
入江は満足と言った顔で言う。
「うん。君は、僕が好きでしょ?」
顔が先程よりも紅潮したのが自分でも分かった。
こうもあっさりと率直に言われるとは思っていなかったから尚更だ。

「……」
黙ることしかできなかった。
此れでは認めてるのと同じことだが俺にはもう逃げ場はない。
俺が黙りこくっていると、入江が俺の伏せた顔を両手で上げた。 
恥ずかしくて目を合わせたくないから視線だけ逸らした。
抵抗など無意味だと分かっていたから、勿論しなかった。

その直後、唇に何かが触れた。
「ん…っ」
一瞬、何が起こっているのか分からなかった。だが、直ぐに分かった。

─キスをされていた

只、唇に触れただけのキス。
其れだけなのに俺は馬鹿みたいに動揺し、今までにない位心臓が暴れていた。

離れていく唇がとても名残惜しい。
男の癖に変な声を出して、恥ずかしい筈なのに、それ以上に哀しみが勝った。

こうやってからかわれるなんて。

非難の言葉を浴びせようとしたが俺は唯静かに涙を流しただけで何も言わなかった。
入江の目の前で泣くのは癪に障るが、涙が止まらなかった。

こんなの俺じゃない。
そう思いつつも、涙は止められなかった。
悲しくて、哀しくて。

いくら相手に自分の気持ちを知られてるとはいえ、こんなことをするなんて酷過ぎる。
─それに、勘違いしてしまう。

「泣かないでよ、跡部くん。僕は君の口から『好き』って聞きたいんだ」
こんなことしておいて、まだ俺を貶めるつもりか。
アンタは俺を期待させて何食わぬ顔で俺を絶望に突き落とすんだろう。

『君なんか嫌いだよ。
さっきのは只の気まぐれ。
勘違いしないでくれないかな』

そう言われてる気がして、俺は視線を逸らした。

フラれるくらいなら、今のままで良い。
心が折れるよりはマシだ。
そう考えていたら、入江が不満そうな顔をしながら言った。
「…言わないの?なら、僕から言うよ」

肩がびくんと大袈裟に震えた。
俺は怖くて目を瞑った。


「好き」
「…え?」
入江の言葉に驚き、
つい入江を見てしまった。

入江は演技のかかってない笑顔で俺を抱き締め、言った。
「跡部くん、僕は君のことが好きだよ」
「な、に…言って…」
「キスまでしたのに、気付いてくれないんだもん、此方の心臓がもたないよ。」
「…俺は、男だ」
「うん?それがどうしたの?」
「…嘘を、つくな」
「何か勘違いしてるみたいだけど」
一呼吸おき、入江は言った。

「僕は跡部くんだから 好きになったんだよ」
跡部くん以外なんて考えられない、
そう言い、俺の茹で上がった頬に軽く口付けをした。
俺は何も言えず、ずっと下を見ていた。
そうしている間、この状態が息苦しいと思ったのか入江が言葉を発する。

「…何か言ってよ、
 僕だけ恥ずかしいじゃないか」
そう言う入江が何だか可愛く見え、俺は顔を上げ、入江の唇に自分のそれを重ねた。
そして、今まで言えなかった言葉を入江に伝える。

「…俺もアンタが好きだ」
アンタだから好きになった。
小さい声でそう言い、入江に抱き付いた。
抱きついたのは恥ずかしいからだ、別に深い意味はない、と付け足して。

入江は少し顔を赤くし、俺の腰に腕を巻き付ける。
そして、耳元で囁く。
「照れてる跡部くんも可愛いね」
「此れきりだ。精々今だけ拝んでろ」
「ふふ、そんな跡部くんも可愛い」
「…うるせ」

口は悪いが、俺はこの何気無い会話を楽しんでいた。

─きっと今だけ、
そんな言い訳をしながらずっと入江と抱き合った。







おまけ

「俺は勘違いしていたらしいな」
「跡部くんも勘違いすることなんてあるんだね。男同士だからって叶わない恋をしていたとずっと悩んでいたの?可愛いなあ」
「アンタのその口を塞いでやろうか」
「やだなぁ、跡部くん。それじゃ誘ってるみたいじゃないか」
「…そのつもりなんだが」
「え?」
「もういい」
「え、ちょっ、待ってよ跡部くん!僕が悪かったって!」
「知らねえ」
「君は分かりにくいからそういうことだとは思わなかったんだよ…っ」


───
(そういえば。おい、アンタは何時から気付いてた)
(ん?跡部くんが僕のことを好きになったこと?)
(一々口に出すな!)
(はいはい。最初からだよ)
(そ、そうか)


(俺は最近気付いたんだが…)
(さっきも言ったけど、
 跡部くんは僕を見すぎだよ。
 アレじゃあ皆にバレバレ)

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