登校途中に時人に会った。四聖天の一人と共に登校していた。確か時人を敗った相手だったな。何故だろうか。時人はプライドの高い人間だ。自分の顔に泥を塗った相手に懐いているなど信じがたい話だ。

共に登校しようと誘ってきた時人は連れの存在に気づき申し訳無さそうに謝ってきた。謝ってきたのだ。あんなにも平然と、普通にだ。常ならば…いや、時人に連れがいたことさえ今までに無い話だ。私の知らないところで時人が変わっているというのか。

会釈程度の挨拶を交わした四聖天の者はやけに敵意を剥き出していた。分からない。我々と奴らとは確かに対立し合う関係上だが、何故時人だけは許されているのか。

時人が私から離れ、連れの下に戻ると明らかにその敵意は削がれた。つまり、時人に対して敵意を示していないということか。益々分からない。奴らからしてみれば屋上の利用に関して一番身近に一番口うるさくしているのが時人であるはずだ。一番、鬱陶しく感じる相手が時人のはずではないのか。

すんなりと連れの自転車の後ろに座った時人を見送り歩き出す。遊庵の後輩の螢惑だったか、あやつは四聖天の一人であり、生徒会の一員でもある。あやつだけが唯一、飄々とどちらにも族しているのだと思っていたのだが。

「変わりましたでしょう?」

「ひしぎか。」

後ろから声をかけられた。見ずとも分かる。ひしぎは私の隣まで歩むと挨拶をしてきた。言動から見て恐らく、さっきのやり取りを傍観していたに違いない。

「変わった、か。確かにな。」

「鬼眼たちのおかげでしょうかね。」

おかげ、か。この胸に居座るわだかまりは一体何であるのか分からないが非常に不愉快だ。

「昨日も時人に驚かされてばかりでした。」

そう言って愉快そうなひしぎは昨日のことについて話し出した。ひしぎに近寄ろうともしなかった時人が声をかけてきたことには素直に喜ばしかったこと、遊庵たちと談笑したことには心底驚いたことなど穏やかにひしぎは話す。
時人が笑った。それはきっと常日頃のお世辞にもいい笑顔と言えないあの嫌みを含んだものではなく純粋な笑顔を指しているのだろうが、記憶を巡れどそんなところを見たことはない。

「私も思わず時人の頭を撫でてしまいましたから。」

ふふ、と楽しげに笑うひしぎ(これも珍しいことだ)を見てそれは喜ばしい変化なのだと実感した。だが腑に落ちないのは何故か。

「悔しいですか?愛娘を取られた気分で。」

馬鹿馬鹿しい。先ほどと変わらず楽しげなひしぎには返事の変わりに呆れた目線だけを送っておいた。端から見れば変化の無い表情だが長年の友には僅かな違いが分かるらしく驚いたような顔をされた。

「自分で気づいていないのですか?さっきから悩ましげな顔をしていますよ。」

気づいている。だがひしぎの問いには答えなかった。ひしぎも馬鹿げたことを言うようになったものだ。

この胸のわだかまりや不愉快さに名を付けるならば嫉妬というのが相応しいのだろう。しかしそれは口に出してしまえばあまりにも滑稽で、それこそ目も当てられなくなる。他人がではなく己が己にだ。時人は確かに愛すべき後輩なのであろう。入学前から私の後ろを歩いてきた。振り向けば背の小さな時人がそこにいたのだ。尊敬の眼差しを向けながら追いつこうと必死だったではないか。そのことに気を良くしていたのも事実であり振り払うこともなく寧ろ心地良く感じていた。その心地良さを取られたのだ。取られたとはなんとも稚拙な表現だが実際そうなのだ。振り向けばそこにいた時人が今や他人の背を追っているというのだ。いや、追っているのではないのかもしれない。その輪に溶け込んでしまったのかもしれない。時人自身が気づかずに馴染み、求めてしまっているのかもしれない。奴らの輪は内向きであるから。
ああ、だからできるのか。遊庵の後輩のように。
そう、我々の輪は外向きだ。自身の力を示すのも視野も。どこかで一本の糸が繋がっているという信念から意向は殆ど外へ向けられている。
しかし奴らの輪はどうだ。力を示すのも仲間内、視野も仲間内ではないか。一本の糸が繋がっているという概念は我々と変わらずともそれを共有し確かめ合うことを厭わない。力量の差など関係無く高みを目指す。目標もその輪の中でそれを両者が受け入れている。

時人が居るべき環境に酷似しているではないか。時人は外野に全くの興味を向けない。保守していたものは己のプライドと私という目標だ。そして目標を隠すことなく掲げていたではないか。受け入れていたではないか。それが収まるべき所に収まっただけのことだ。

我々の輪は外向きで奴らの輪は内向きだ。ならば時人と遊庵の後輩が我々の輪で外を向きつつ奴らの輪で内を向くことができるのも理解できるような気がする。
時と場合によりその形を変えようとも結局は同じだ。我々と奴らの輪は相対している。

時人は成長していくのだ。我々から離れ、居るべき環境で。それを阻止するなど愚か以外の何者でもなかろう。結局見守ることしか出来ないのだ。これまでもこれからも。
追いかけてくる時人に手を貸さなかったことに後悔はない。後悔などしようがないのだ。



110225.
(心配しなくていいですよ)(どういう意味だ?)(時人は不器用ですがいい子ですから)(ああ……?)





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