煩わしいと初めて彼女を見た時に思った。傲慢で、他者を蔑むような目。態度に言動。まるっきり昔の自分じゃないか、と。まるで戒めるように見せつけられる過去の姿に吐き気がした。なるべくその姿を見ないようにしていたがどうしても彼女に目が行く。学ラン制服のこの学園で唯一ブレザーを着衣しているとか一年にして生徒会幹部だとかそんなことは問題ではなく、ただ彼女の放つ存在感に魅了されてしまっていたのだと今さらながら思う。

一目で女だとわかった。華奢な身体に白い肌跳ねるまつげ。そんなもの小柄で少し綺麗な顔をした少年と言えばいくらだって通用する。顔立ちや体格なんかじゃない。他者には分からずとも私は感じ取ることができた。とでも言っておこうか。
それが、4月の入学式、悠々と壇上に上がり二年、一年、教職員含むその他関係者全員の前で堂々と新入生代表を務めた時人の姿だった。



帰宅したあとの習慣はベランダを開けることだ。朝から籠もったままの部屋の空気は好きじゃない。せっかく11階に住んでいるんだ、下よりもキレイな風は心地いいのだからプライベート空間ぐらい好きな空気に包まれたい。これは冬だろうが夏だろうが関係ない。

鞄をテーブルに置くとその日もベランダに続く窓を開けた。少し高い丘の上に立つマンションだからかすぐに爽やかな風と夕日が飛び込んできた。
入学式自体は早々に終了したがその足でバイトへ向かったため帰宅は夕方だ。

生活リズムが違うのか一度も目にしたことは無いがどうやら隣に引っ越してきた人がいるらしかった。それは3月半ばからであるらしくもうすぐ1ヶ月を向かえようとしていた。
挨拶がないとは何事か、などとは言わないがそれでも常識的にどうだろうかと思う。

「……れた…。」

部屋に戻ろうと踵を返した瞬間声が聞こえてきた。気になり声のする方へ歩むとそこはたった今頭をよぎった人間の暮らしている部屋に一番接している場所だった。壁一枚挟むだけの位置に来るとしっかりと聞き取れる。

「大体、長いんだよ。僕を疲れさせるなんて!」

時人だと分かった。式中に聞いたあの声だ。
思わず眉を寄せるさっき思い浮かんだ非常識な隣人が時人だ。いや、きっと常識とかそんなものじゃなく関心が無いんだろう。隣人に愛想良くする気はさらさら無いといったところか。

「ま、いいか。吹雪さんに会えたし、憧れた幹部にもなれたし。でもいきなり仕事とか何なの?ああいうのは他にやらせてよね!一年だからってバカにしてるわけ?」

流石に式で披露したきれい事だらけの答辞なんかじゃなく素が出ている。それにしても大きな独り言だと思う。それをわざわざ隣の部屋に一番近いところで言うなんてどうかしてる。しかも壁とも言えないような薄い板一枚挟んだところに人がいるというのに気がついていない。油断のし過ぎだ。


勉強する程でもないね。低レベルな授業。
ひしぎのバーカ!!
なんで吹雪さんってああなんだろ?
サスケは…話せる相手、かな。アイツ、結構頭いいし。
また叔父さんから手紙…。そんなに心配しなくてもいいのにね。
暑い、ダルい!


毎日同じように愚痴ばかり漏らす。正直迷惑だ。けれどわざわざベランダに出て聞いている自分もどうかと思う。毎回決まって終わりには少し反省したように呟いてから責任転嫁してしまう時人が寂しい人間に思えてどこか放っておけないからつい足が向いてしまう。

いつからからその独り言に内心で返事をしている自分に気づき苦笑した。前に、灯に他人の世話をやく癖をやめたらどうかと言ったことを思い出す。
どう答えたらいいか分からないが放っておけない、どこか自分と重ねて知らず知らずに情が移ると苦笑いしていたそれを今では理解できる気がする。どうして、だなんて聞かれて答えられる気持ちじゃない。ただ、そう。情が移った。それだけ。



僕が負けるなんて有り得ない!!何であんなヤツに!僕の顔に泥を塗りやがって!

予想していた通りにその日の愚痴は私たちに対してだった。散々悔しそうに罵って手すりを叩いて。グラウンドに倒れて尚私を睨みつけてきたあの屈辱に満ちた時人の表情が頭に浮かんだ。色素の薄い睫毛に縁取られた瞳をしっかりと見据えたとき、初めて彼女の顔をまともに見たのだと気づいた。こんなにも毎日声を聞いているのに顔を合わせたことがなかっただなんて、と思うと笑えた。盗み聞きの趣味はないがこれは不可抗力とでもいっておこうか。

泣きじゃくる声を聞きながらよかったなと思う。泣けるじゃないかと。
今まで聞いてきた愚痴は怒りばかりだけれど垣間見る寂しげな声色に何度涙を想像したことか。けれど流した素振りもなく一人悟散る声に不安を覚えた。泣きつく相手さえいないのかと。いつも孤立して心を許す相手がいないのかと。昔の自分みたくすべてを抱えて一人涙を流すことなく世界を呪っているのかと。

想像してすぐに否定した。他者を蔑むけれど呪うほどの憎しみを抱いている姿を見たことはない。むしろ全ての元凶を自分の言動に置き換え反省する姿がよく見える。そうやって抱え込んで何になるというのか。自分を嫌うくらいなら他者を嫌えばいいじゃないか。

そんなことをぐるぐる考えて、止めた。
涙を流して悔しがる時人を壁一枚挟んで哀れんだ。
結局独り言を話すのは話相手がいないから。
愚痴を垂らすのは自分を正当化するため。
その後反省するのは自分の非を理解しているから。
それでも反省が意味を成さないのは意地っ張りな性格のため。

なんて馬鹿なんだろう。なんて自分に似ているんだろう。それでも自分と違うのは意地っ張りな無駄なプライドを持つが故に悩むところ。私は狂に出会うまでそれにさえ気がつかなかったというのに。なんて清いのか。なんて馬鹿なのか。そう思って思わず微笑んだ。

自分が話相手になろう。憎まれる対象になろう。どうせ今と変わりやしない。話なんて今までいくらだって聞いてきた。憎まれ口だって今壁一枚隔てて聞いている。受け入れてあげよう。私が狂にしてもらったように。狂が私にしてくれたように。今度は私が。

この時泣いて罵るこのどうしようもない馬鹿な彼女が放っておけないんだと気がついた。



101007.





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