(まだかなー…)
寝間着も着てすっかり就寝の準備を済ませたアリババ。開けた窓の縁に登って座り、そこから見える夜のシンドリアを眺めていた。昼間はあんなに賑わっていたのに、市場も王宮前に延びている大通りですら静まり返っている。月光だけが照らし映し出す沈黙が心地よく、頬をなぜていく乾いた風に目蓋を閉じ。想い人の姿を浮かべては早く会いたいと息を細く吐き出す。
「…あれ?」
このシンドバッドの部屋がある紫獅塔と公務の行われる白羊塔とを結ぶ渡り廊下に人影が見えた。一目でシンドバッド本人だと判り、遠くからでも見惚れてしまう自分に苦笑を溢す。おそらくこの時間までジャーファルに睨みを利かされていたのだろう。紫獅塔へ向かうその顔には疲労の色が見てとれる。欠伸をする彼に頬を緩めたところで、ふと今朝言われたことを思い出した。
(出迎えてほしいって言ってたな…)
いつもならシンドバッドが帰ってきた瞬間嬉しさから駆け寄り「おかえりなさい」とだらしないほどの笑みで出迎える。相手もそれが好きらしく、そんなアリババを思いきり抱きしめ帰りを告げるというのがもはや日課であり、スケジュールの多い今日こそそうして癒してくれというのである。
だが思い出した後なぜだか無性にくだらない悪戯心が働き。少しひんやりとしたベッドにいそいそと潜り込む。毎日取り替えられているふかふかの金糸装飾が艶やかな毛布を頭まですっぽり被り目を閉じれば狸寝入りは万全だ。頃合いを見てシンドバッドを驚かしてしまおう。色香のある深い琥珀色の切れ長が丸くなるのを想像して、毛布から笑う声が漏れる。
(あっ、帰ってきた!)
ノックの後にドアノブを回す金属音と扉の開く重い音が聞こえた。「ただいま。」と自分に向けられた声に緊張してすかさず体勢を整える。
「アリババくん?」
返事がなかったことを疑問に思ったらしいシンドバッドは寝てしまったかな、などと独り言を溢しながら広すぎる部屋の中へ足を進める。驚かすタイミングを計っているアリババは笑ってしまいそうになるのを堪えていた。何歩目か、コツ…と足音が止み、覗き込むようにして手をついたベッドのスプリングが軋む。冷えきった部屋に僅かな沈黙が流れ、状況を目視し確認できないアリババはどうしたんだろうと内心首を傾げる。
「…眠ってしまったのか、残念だなぁ。」
アリババは残念という言葉に罪悪感を覚えつつ、「俺も潔く寝ようかな。」とごそごそと床に就くため着替えを始めたシンドバッドをじっと待つ。彼がベッドに潜った瞬間驚かしおどけてみよう。
「ふあぁ…」
気の抜けた欠伸をしながらついに毛布に手が掛かった。今だ、とばかりにアリババが目を開こうとしたその時、つぅっと首筋に擽ったさを感じて思いがけず閉じたままの目をギュッと固くした。何が起きたのか把握できずおとなしく様子を窺っていると唇にキスが落とされ。開いた脇腹のところから節の目立つ長い指が進入してきた。完全に思考の停止した頭はただボーッとして、心臓ばかりが早鐘のように煩い。
「っ…!?」
突然の電流のような刺激に肩が跳ね上がる。ぺたんこの締まった胸を這うようにして撫でていたシンドバッドの手が、その柔らかい突起を親指で擦りあげた。
(これって、まさか…)
毎日一緒に寝ているものの情事に至ったことは未だない。経験したことのない行為と感覚に困惑したアリババは狸寝入りをしていた当初の思惑などどこかへ忘れ去ってしまっていて。むずむずと疼くような胸の感触に甘ったるい呼吸を繰り返し、固く閉じられた目蓋と反して力の入らない肢体は小さく震える。胸から脇腹から隈無くなぞられ、首筋や鎖骨にはいくつも口付けられ時折ねっとりと舌が這う。
「んっ、んん…」
くぐもった声がため息混じりに口から漏れるが最早そんなことは気にならない。もどかしさも味わったことのない快感へと変わり、思春期ゆえの好奇心が膨れていく。これからの期待すら生まれる。そんなアリババの心中を読んだかのように、腹に置かれていた手がゆっくりと移動して下半身をまさぐり始めた。
「ん!ふ、ぅ…ぁっ、」
すべすべと太股を摩られる。その指が焦らしながら足の付け根辺りに辿り着いた時、はっとした。
「あぁ…ゃっ、ん…」
普段よりも上擦った情けなく甘い矯声に自分でも驚く。絵巻でちらっと読んだことのある情事の流れ。
(どうしよう…)
この覚えたての緩い快感の先、未知の世界が垣間見えて恐怖はいとも容易く期待する気持ちを上回る。
「…アリババくん、起きているんだろう。」
「……え…?」
諭すような重低音に耳朶を擽られ、アリババは震蕩する目蓋を押し上げた。涙の膜がうっすら見えるハニーゴールドで見上げると互いの吐息が分かるくらいの近さにシンドバッドが覆い被さっていて。肘をつくようにして両腕で顔を挟まれた状態にまた鼓動が高鳴る。
「い、いつから分かってたんですか…?」
「ん?初めから分かっていたよ。君のことだから、俺を脅かしてやろうとでも思っていたんだろう?」
「…ご名答デス。」
「ありがとう。それくらい分かるさ、七海の覇王だからな。」
「なんですか、それ。」
微かに口角を上げたシンドバッドに漸く緊張も解れ、くすくすと笑う。
「…シンドバッドさんの帰りが遅くてちょっとつまんなかったから、いたずらしてみようかなー、なんて思って。」
「うん、一瞬本当に寝てしまったのかと思って焦ったよ。でも、近づいたら寝息が不自然だったし、口許がご機嫌だったからね。」
自分の詰めの甘さを突かれて途端に苦い顔になり、幼稚さに恥ずかしくなった。
「…怖かった?」
「はい、少し…だけ。」
「ごめんな。俺もちょっかいを出したくなったんだが、初々しい鳴き声を聞かせてくれるものだから危うく本気になるところだったよ。」
「なっ、えっ…!?」
「まあ、本当に眠っていたなら手は出さないさ。君に怖い思いはさせたくないからね。」
赤くなったり青くなったり忙しいアリババを愉快そうに眺めながら、シンドバッドは余裕の表情で片目を瞑る。アリババは言葉に詰まりつつも、ありがとうございますと言ってみたり。
「でも、ちょっと残念というか…怖いけど、興味がないわけじゃないんで、その…」
「おや、積極的だね。」
「……」
途中まで言いかけて耳まで真っ赤に染まる。すると起こしかけていた上体をトン、と軽い力で押し戻され、再び距離が縮まって。
「それじゃあ続きを始めようか。」
「…はい?」
「可愛い声を聞かせてくれよ…」
射るような光を帯びた虹彩を向けられて全身が脈打つ。こうなるはずじゃなかったんだけどと眉を下げるも、観念した体躯は弛緩し背後の寝台に身を委ねてスプリングを弾ませた。
20130123.