シンドリア王宮の長い廊下に裾の結ばれた白い上着がなびく。走るその腕はいくつか巻物を抱えていた。
「おや、アリババくん。そんなに急いでどうしたんだ?」
「あ、シンドバッドさん!これを早く読みたくて…!」
風に舞う紫に気づいて嬉々とした様子でその巻物を差し出す。それはアリババの大好きな『シンドバッドの冒険書』で、目の前にいるシンドバッド本人による書物である。
「ほう、それは嬉しいな。執筆の苦労が報われるというものだ。」
「ジャーファルさんが白羊塔にある書庫へ連れていってくれたんです。シンドバッドさんの冒険小説が好きだって言ったら、いつでも貸してくれるって。」
「ああ、どんなジャンルであれ読書は良いものだ。好きなだけ持っていきなさい。」
はい、と元気に頷くアリババを見て、一つ考えが浮かび。
「もし君さえ良ければだが、今夜就寝前に読んでやろうか?」
「え、いいんですか…!」
最近は昼間におち合うことを互いに我慢し、その代わり時間を埋め合うように毎晩シンドバッドの部屋で密に寝所を共にしていた。シンドバッドはその時に自分が読んで聴かせてやるというのである。
アリババも、一枚の毛布に二人でくるまって娼婦の仕事の合間に物語を聴かせながら寝てくれた母親との限られた幼い記憶を思い出し。甘え足りなかった寂しさから、シンドバッドの提案は彼にとってはとても胸の踊るもので。
「今夜楽しみにしています!」
「ああ、それじゃあ俺は仕事を終えられるよう、もう一頑張りしてくるよ。」
「いってらっしゃい、無理はしないでくださいね。」
身に付けている豪奢な白銀の金属器越しにシンドバッドの手首をくいっと引いて。たくさん背伸びをしてその頬に触れるだけのキスをし、すぐに離れ走り去っていく。ちら、と見えた赤い頬に気づいたシンドバッドは、その後ろ姿を愛しそうに見つめ目を細めた。
その夜、ジャーファルにたっぷりしごかれながらも言葉のとおりに仕事を終えて早々と寝室へ戻ってきたシンドバッドは、遅れてやって来たアリババを自分の寝台へと誘い、横になりながら冒険書を読み聴かせていた。途中、文字の上にはない体験談も交え話してやり、小さな子どものように大きな目を輝かせて感嘆するアリババの反応にくすりと笑みをこぼしたりして。
どれくらい読んでいたか。文字を追っていた視界の端でベッドランプの灯りを反射する黄金がかくんと揺れた。
「アリババくん?」
「ん…、なんですか…?」
名前を呼べば返ってきた声はふにゃふにゃしていて、まだあどけなさも残る指で擦る目もとろけている。
「眠いのなら早く寝なさい。明日も修行を控えているのだろう。」
「大丈夫、です。」
どこかだ、とつっこみたくなるほど声には最早力はなく。仕方ないという風に毛布を肩まで掛けてやると、いやいやと頭を振るばかりで。
「どうしたんだ…」
「だって、シンドバッドさんの声をもっと、聴いてたいから…」
絹のシーツに身体を沈め、微かに潤んだ瞳で見上げてくる。その表情に何か熱いものがこみ上げてくるのを感じたがなんとか抑え、シンドバッドはゆっくりとそのブロンドを撫で。
「また明日も読んでやるから、今夜はここまで、な。」
「…はい。約束ですよ…?」
渋々頷いたアリババの差し出した小指に自身の小指を絡め「ああ、約束だ。」と微笑む。その声に安心したらしいアリババはゆっくりと瞼を閉じ、絡ませたままの小指からは僅かだった力が抜けた。
「おやすみ、アリババくん。」
千夜一夜物語すでに夢の中にいるであろう相手の柔らかい髪を掻き分け、愛らしい額に優しく口づける。
日課になりそうだなぁ、なんて惚けたことを思いながら、シンドバッドも瞳を閉じた。
20121218.