午前からの公務続きに漸く解放されたシンドバッドは遅めの昼食を自室へ運ぶよう侍女に指示した。通常であればジャーファルが手配するのだが、何せ忙しい年の瀬に差し掛かっている今日である。政務官は皆連日のように白羊塔に籠りきりで、ジャーファルも例に漏れないために今は侍女が世話を任されている。とはいえその働きぶりは素晴らしく、テキパキと温かな食事の盛り付けられた皿を運ぶ様子は城の主であるシンドバッドには誇らしいものであった。書斎いっぱいに広げられた巻物や紙の束を端に片付けていると、開けっ放しにしていた扉から見慣れた白金色の三つ編みが見えた。
「おーいユナン。それで隠れてるつもりか?」
「ふふ、公務は一段落ついたみたいだね。入っても良い?」
「もう入ってるだろ。」
答えを聞くよりも早く柔らかな笑みをたたえシンドバッドに歩み寄ったユナンはソファに腰掛けるでもなく、手にしていた蔦の絡む木枝のような杖の上へ体を横にして器用に座りふわりと浮かんだ。人差し指を操るように動かせばシンドバッドが片付けたばかりの巻物が開かれユナンの掌にするりと着地する。
「せっかく綺麗に纏めたんだから勝手なことするなよ。」
「こんな難しい書類と闘っていたんだね…すっかり王様だね。」
「もっとも、難題が次々に降ってきて悩みは尽きないがな…ったく、俺はこれから昼飯なんだよ。」
「知ってるよ、美味しそうだね。」
「なら俺の至福の時を邪魔しないでくれ。朝もろくに食べる時間がなくて腹ペコなんだ…」
「あっ!この魚、バルバッドの商船で運ばれたやつでしょ?今朝港で見たよ。」
「……」
すべての皿や食器が運ばれ、侍女たちの去った部屋には主であるシンドバッドと食事の並ぶテーブルを見てはしゃぐユナンだけになった。
「で、お前は何か用でもあるのか?」
「用?んー、ないよ?」
「ならもう良いだろ。俺はこれから休憩なんだから。」
「用がなきゃ来ちゃだめなの?」
首を傾げ顔を覗き込むように身を乗り出した相手からの最もな意見を喰らって思わず閉口したシンドバッドは諦めたという顔を逸らし息を吐き出した。そんな彼を見たユナンも言葉を交わすでもなく、ふふと静かな笑声をこぼして姿勢を戻した。
「ほら、ふわふわ浮いてんなよ、行儀悪いだろ。適当に席着け。」
「え…?」
「もう飯は食ったのか?」
「あ、ううん…まだだよ。」
食事の置かれた座席の向かいにある椅子を魔法で引き軽やかに杖から降り座ったユナンを見て、よし、とシンドバッドは頷く。ちょうど部屋の前を通りかかった侍女を呼び止めてもう一組昼食を運ぶよう告げ、暫くしてユナンの前にもすべてが揃った。ありがとうと微笑むユナンに一礼した侍女たちもまた部屋を去り、二人だけの空間が戻る。
「ねえ、何故だと思う?」
「何が。」
「僕がまだお昼を摂っていなかったこと。」
「いや、分かんねぇけど…?」
食べ始めてからぽつりと問いかけられた言葉に眉間を寄せながらスープを掬う。それを口に含めどうせそこら辺をふらふらしていたのだろうと頭の片隅で考えていると、フォークを置いたユナンが口を開いた。
「シンドバッドと一緒にご飯食べたいなぁって思ったんだよ。」
「っ……っぶね…」
予想していなかった言葉に危うくスープを吹き出しそうになり、恨めしそうに向かいの席を睨みつけた。顔が怖いよと態度こそ戯けても声色は楽しそうなユナンを確信犯ではないかと疑る。
「何故俺と食べようと?まあいつもの気紛れだろうけど。」
「前にシンドバッドに助けてもらった時、一日だけだけど一緒に食事したでしょ?それを思い出したら懐かしくなってね。」
「あー、アレな。助けたっつってもお前樽の中に入ってたもんな、すげー焦ったぜ。」
「だってパルテビアは日差しが強かったし、暗い樽の中は居心地が良かったんだもの。」
「だからって無理ありすぎるだろ。」
二人が出会った頃の思い出話に花を咲かせ、皿も次々と空になっていく。まだ日のある外からは武術や魔法を修行する者の声、遠くからの微かな街の喧騒が聞こえ、時折肌を撫ぜる海風も合間って心地よい空気が部屋に満ちていた。会話を弾ませながら普段とは異なる穏やかな居心地に浸っていたシンドバッドは、ある一つのことを感じていた。
「…なんか、……」
「ん?」
視線を外し言い淀むシンドバッドにユナンは首を少し傾げてみる。目線の先には僅かに揺れるフープピアスと紅潮した耳。
「…変な言い方だが、夫婦みたいだな、と思ってな…」
「夫婦…?シンドバッドと、僕が?」
まあ実際はどんなものか知らないけどな、と頭を掻く彼に対し口をぽかんと開けたまま不思議そうにしていたユナンが瞬きを数回して尋ねる。しかしそれは的外れなもので。
「…それは、どっちが夫なの?」
「え…はぁ!? そんなの俺に決まってるだろ!お前より女々しい奴なんてそうそういねぇと思うぞ。」
「えっ…そ、そうなの…?」
斜め上をいく相手に自分も見当違いなことを捲し立ててしまい、息をついてからシンドバッド自身も首を傾げてしまった。
「でも、シンドバッドと一緒にいられるなら何でも嬉しいよ。」
にこにこと微笑むユナンは嬉しそうに純銀のスプーンを魔法をかけるかのようにしてくるりと振るう。腹心の部下からも七海の女たらしと定評のある男もさすがに続けざまにくる攻撃には耐えられなかった。自分のものとは違う細く白い項にかかった後れ毛に鼓動が速くなり、可愛らしい動作を見せられてしまえばどうしようにも熱を逃がす術はなく。
「ふふ。シンドバッド、顔赤いよ?」
「うるせぇ…!ここは常夏だ、暑いんだよ。」
「え?この部屋ひんやりしていて気持ちいいと思うんだけど…」
気づいているのか気づいていないのか、抜けた発言ばかりのユナンにシンドバッドも遂に脱力し、気持ちを落ち着かせる。
「…ユナン、お前いつまでシンドリアにいるつもりだよ。」
「うーん、特には決めてないけど…でも、いつでもここに来て良いでしょ?」
「なんでそうなるんだよ。」
「だって、僕たちは夫婦なんでしょ?だったら僕の居場所はシンドバッドの傍ってことになるんじゃない?」
「なんだよその理屈…」
照れ隠しにぶっきらぼうに呟くと、いつものように静かな笑声が近くで聞こえ。いつの間にか正面の席に着いていたはずのユナンが杖に乗ってすぐ横まで来ていた。
「大きくなっても、やっぱりシンドバッドだね。」
「何言ってんだよ。今の俺は一国の主だぜ。」
身を乗り出しふにゃりと笑うその唇を噛み付くようにして奪う。見開かれた不思議な色を帯びる大きな瞳を覗けば悪巧みをする子どものような自分の笑みが映されていて。
「お前は…妃みたいなもんなんだから俺の傍にいないとダメなんだよ。分かったか。」
その少しの独裁心に尚も笑むユナンは旅中の暫しの休息を決め、それじゃあ仕方がないよね、とこぼし彼の頬へ何かを誓うように唇を寄せた。
20131122.