午後の練習も終わり、各々が宿舎へと引き返そうとしていく中、私は今だにベンチに座ったまま目の前に翳したメモ帳と睨めっこをしながら、一つ息を吐いていた。
「そんな眉間に皺寄せてたら、皺取れなくなるんじゃないか」
「わあ!?」
急に頭上から降ってきた声に驚いて顔を上げれば、そこには佐久間さんが立っていた。
途端に跳ね上がった心臓を無理矢理抑えるようにメモ帳を閉じ、慌ててお疲れ様です、と横に備えていたタオルを渡せば、佐久間さんは、ありがとうと笑顔で受け取ってくれた。
目の前で汗を拭うその姿を見ながら、私は眉間を解していた。
まだ静まらない心音を耳の奥で聞きながら、手の中のメモ帳に視線を落とす。
開いていたページには、今自分の前に立っているその人個人のメモが綴られていた。
しかし、与えられている行数に対して、メモされているのはたった3行。
それは自分があまりにも想い人である佐久間さんの事を知らないのだということを証明しているものだった。
「音無さん、宿舎戻らないのか?」
「あ、はい。まだもう少し、」
ふーん、と言いながら佐久間さんは少し考えるそぶりを見せると、唐突に私の隣に腰を下ろした。
その行動に驚いて佐久間さんを見遣れば、悪戯っぽく笑いながら私を見返した。
「俺ももう少し」
自分に向けられた笑顔と、もう少し一緒にいられるのだというこの状況に酷く優越感を覚えた。
と同時に、私達の間に流れ出した沈黙に焦りも覚えた。
どうしようと一人悩みに悩み抜いた結果、口から滑り出たのは
「佐久間さん、質問してもいいですか?」
という何とも突拍子な言葉だった。
自分の馬鹿さと表現しきれない羞恥が混ざり合って、頭を抱えたくなった。
恐る恐る佐久間さんを見れば、見開いていた瞳を細め、薄く笑っていた。
再び高鳴った胸を押さえ付けながら、耳に届いたのは承諾と催促の言葉だった。
「あ…じゃあ…好きな女の子のタイプを」
「え、いきなりそれなのか」
苦笑を浮かべる佐久間さんを見ながら返答を待つ。
しかし、女子のタイプ…と唸りながらいつまでも考えている佐久間さんを見て、私は少し頬が引き攣るのを覚えた。
「…佐久間さん、女の子に興味あります?」
「…」
無言で肯定を示した佐久間さんに思わず苦笑すれば、佐久間さんは全然無いわけじゃないんだけどな、と頬をかいた。
でも、ある意味収穫だなと感じた私は即座にメモ帳を開きペンを走らせた。
今までたった3行しかなかった佐久間さんのメモが、一行増えたのだという事実にある種の満足感を得た。
そんな私の行動を終始見ていた佐久間さんが思い出したように、でも、と小さく呟いた。
それに顔を上げれば、優しく笑う佐久間さんの姿。
「一生懸命な子は好きかもな。人の為に一生懸命な子」
「おお、まともな答え」
直後、脳天に響く鈍い音と痛み。
地味に広がる痛みに思わず頭を押さえながら呻くと、頭上からは愉快さを滲ませた笑い声が聞こえてきた。
恨めしげに佐久間さんを見上げると、いつの間にか佐久間さんは立ち上がって歩きだしていた。
「音無さんは一生懸命だよな」
「、え?」
佐久間さんから発せられた言葉に思考が止まった。
そうして、すぐに思考回路を稼動させて先に歩いて行く佐久間さんの後を、急いで立ち上がり追いかけた。
だけど思っていたよりも佐久間さんの歩幅は大きくて、どんどん先に行ってしまう。
一歩駆け出す毎に心臓が高鳴って、息も次第に上がっていくのに、私はそれを気にも止めずに無我夢中で走った。
私に向けられたあの声と言葉を、頭の中で反響させながら。
∴ もっと君のことが知りたいの
(貴方に追いついたら、どんな話をしようかな)
――――――――
相互記念/那月様へ