付き合い出してみると、片想いをしていた頃よりも色んな事が目に留まって気になって心の奥がもやもやしてしまう。
恋人同士っていったら、やっぱり手を繋いだりキスをしたり、そういう事をするものだと思う。
少女漫画だとか恋愛ドラマだとかを見ていると、その考えはあながち間違ってはいないのだと思い知らされる。
だからこそ、私達の関係が不安になる。
付き合っているのに、恋人同士なのに、キスはおろか手を繋ぐステップにまで来てもいない。
焦る必要はないと思うのだけれど、何よりも私を焦らせてしまう要因が確かに存在しているのだ。
「少し寂しいかなあ、なんて」
「何が?」
陽は次第に西に傾いていて、烏が一つ鳴き声を上げた。
磨いていたボールを膝の上に乗せたまま、私はボールに上半身を預ける。
はあ、とため息をつくと目の前で私の作業を手伝っていた立向居くんが顔を覗き込んできた。
真っ青な瞳に私が映っている。
ああ、なんて情けない顔をしているの音無春奈。
「…私達、付き合ってるんだよね」
「へ!?え、あ、う…うん…」
顔を真っ赤にしながら頷く立向居くんを見て思わず笑ってしまう。
そうすれば彼もつられて笑うのだ。
頼りなさげに眉を下げて、どこか照れたような表情で。
「尚更、寂しいなあ」
付き合っているのに。
ボールを横に置いて、体育座りに座り直してうなだれた。
「音無、さん?」
名前を呼ばれた瞬間、勢いよく顔を上げた。
そうすれば立向居くんの体はビクリと跳ね上がった。
その動きを捉えながら、私はゆっくりと口を開いた。
「どうして、ずっと苗字呼びなんだろう」
「…え?」
そう、今だにお互いが苗字呼びだという現実がたまらなく寂しいのだ。
手を繋ぐこともまだ。
キスなんて、きっとずっと先の話。
だったらせめて、小さな事でいいから、今までとは違う何かをしたい。
それは欲張りなんだろうか。
「あ…」
気がつけば、大粒の涙が私の頬を伝っていた。
それを意識してしまえば、止まる術を知らないように涙はどんどん溢れてくる。
歪んでいる視界の中の彼が、困ったように慌てている。
違う、私は。
私はそんな顔をさせたかったんじゃない。
「ご、ごめ…ご、」
唐突に私の体を包んだ筋肉質な細い腕。
思わず息を飲むと同時に、流れていた涙も止まった。
彼のくせっ毛の髪が頬に当たって、少しだけくすぐったい。
少しだけ体を動かして、立向居くん、と呼ぼうとした。
しかしその言葉は、彼の言葉によって遮られた。
「春、奈」
ちゃん、と消え入るように付け足されたそれは私の耳に届いたものの、頭の中に反響しているのは先に紡がれた言葉だけだった。
ぐるぐる、ぐるぐる。
何度も、何度も。
目の前の彼は、私達を照らす夕陽のせいなのかそれとも緊張のせいなのかすごく真っ赤で、私の中で何かが熱を持って膨らんでいくようだった。
「わあ…は、恥ずかしい…」
ぼそりと彼が囁いた。
それを聞いた私は何度も目をしばたたかせた後、心の底から笑った。
照れたようにしていた彼も、一拍置いて笑い出した。
ひとしきり笑い終われば、どちらからともなく帰ろうか、と呟いた。
「ありがとう、勇気くん」
彼の隣を歩きながらそう言えば、彼は私を振り返って、微笑んだ。
∴ スローリー、スローリー
(一歩一歩、着実に)