「あっ、音無さん!」

私の名前を紡ぐ聞き慣れた心地好い声に、思わず鼓動が跳ねた。
案の定振り向いてみれば、立向居くんがこちらに駆けてきていた。
額から伝う汗を拭うこともせずに、立向居くんは私の元へ到着すると乱れた呼吸を整えながら笑顔を見せた。

「特訓してたの?」

私は抱えていたドリンクホルダーを足元に置き、肩にかけていたタオルを手に取ると立向居くんに差し出した。
それを立向居くんは申し訳なさそうに笑いながら受けとった。

「特訓してもっと強くならないと、チームの足を引っ張っちゃいそうで」
「またそんな弱気なこと言って!」

立向居くんの悪い癖だよ、なんて付け加えれば彼は小さなうめき声をあげて、しゅんとうなだれた。
まるで子犬のようなその姿に、私は思わず笑みをこぼした。
そんな私を見た立向居くんも、乾いた笑い声をあげた。

「さて、と。これからまた特訓するの?」

足元のドリンクホルダーを取る為にかがみながら聞くと、頭上から慌てたような雰囲気と共に返答が返ってきた。

「そうしようと思ってるけど…、でも先にそれを手伝うよ」

そう言って腰を下ろし、私が持ち上げていたものと足元にまだ残っていたものを数本手にすると、彼は立ち上がった。
そんな彼の行動に驚いて、私は気がつけば彼の腕を引っ張っていた。

「わっ!」

立向居くんの体のバランスが崩れて、大きく前に傾いた。
勿論、彼の腕を掴んでいた私も。
地面から離れる足、宙に舞う体。
気がつけば、私の視界は全て逆さになっていた。




地面に倒れた時に感じる地の固さを感じることは無く、ただ柔らかい感触だけがそこにあった。
少しだけ鼻孔を掠める暖かな匂いは酷く安心するもので。
しかし、いつまでもこの安堵感を感じている訳にもいかなくて。

「たっ、立向居くん!大丈夫!?」

慌てて起き上がり立向居くんの顔を覗き込もうとすると、彼の顔は大きな両手で覆われていた。
呆気に取られたままそれを見つめていると、立向居くんがゆっくりと上半身を起こした。
切り揃えられた前髪で隠れた表情に、私は彼がどんな顔をしているのかわからなかった。
けれど、ただ一つだけわかることがあった。

「…ご、ごめ、その、あの…」

頬から耳まで真っ赤に染まった彼の顔に、私の頬も少しずつ熱を帯びてきた。
ねえ、立向居くん。
私、期待しても、いいのかな?

「…、」

目の前の彼から視線を逸らし、早鐘を打つ鼓動を少しでも落ち着かせようと、辺りに散らばるドリンクホルダーに手を伸ばす。
それに気づいた立向居くんも、慌てて自分の周りのものに手を伸ばした。
お互いが無言のまま、ドリンクホルダーも拾い上げ終わり歩きはじめる。

「…ごめん、」

隣で再び小さく呟かれた謝罪の言葉に、私は彼を振り返った。
この場合、謝るのは私の方なのに彼にばかり謝らせてしまっている。
それは、ダメだ。

「…私こそ、ごめんね」
「い、いや!俺も悪かったから、本当に…」

暗く俯く彼の横顔に、申し訳ない気持ちが渦を巻く。
このままだと、ずっと私達は重い雰囲気のままになってしまう。

「立向居くん」

彼の一歩先に立ってくるりと振り返る。
視界に入ったのは、彼の少しだけ暗い表情。
その表情に向けて、私は心からの笑顔を作った。
立向居くんの開かれた目に映る私を見ながら、彼に手を伸ばして。

「手、繋いでくれる?」

立向居くんの動きが止まって、私の手を見つめた。
その顔がまた、みるみる内に赤くなっていくのを捉えながら、ずいと手を差し出す。
少しの間があってから、漸く私の手を取った大きな手。
その手を握り歩き出すと、指先から伝わってきた鼓動。
その速さを胸に刻みながら握る手に力を込めれば、優しくてそれでいて強い力が、私の手を包み込んだ。




∴ 不器用な僕らの恋
(今はこれが精一杯だけど、)




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