人魚姫、って素敵じゃないか?
読んでいた本を閉じて口を開いた佐久間は確かにそう言った。
しんとした図書室で本を閉じた音は、無駄に大きく反響した。
人魚姫といえば、人間に恋をした人魚の切ない恋物語ではなかっただろうか。
どちらかといえば悲しい話だったと記憶しているのだが。

「…失恋の話じゃなかったか?」
「そうだけど」

当たり前のことを聞くなよという顔をする佐久間に俺の疑問は増すばかりだ。
確かに人魚姫の純粋な恋心だとか優しさだとか、素敵だなと思うところは多々ある。
しかし佐久間が指す素敵が何なのかが分からないのだ。
そこまで思案していた俺は、意を決して聞くことにした。



どこが素敵なんだ?
目の前でノートを広げている源田は心底不思議だというような顔だった。
その反応を見て、まあそうなるよな、と素直にそう思った。
人魚姫なんて源田の言うように所謂失恋話だ。
素敵だと感じる場面は少ないかもしれない。
それでも、俺は素敵だと感じるのだ。
いや、むしろ、

「人魚姫に、なりたい」

瞬間、シャーペンが源田の手から落ちた。
それを何してんだよと呟きながら拾い上げ、目の前に突き出した。
しかし源田は依然と固まったままで。
俺はその姿に笑ってしまった。

「いや、え、佐久、本気か、?」

吃る源田を見ると更に笑いが込み上げてきた。
それと同時に身体の内で何かが膨れ上がる感覚に陥った。
この感覚は、ああ、まただ。

「さあな」

困惑した色をその整った顔にあからさまに浮かべる源田。
こんなところは真面目なんだよなあ。

「…佐久、」
「冗談だよ、冗談」

そう言うと源田の顔にほんの少し安心のような色が混ざり笑顔を見せた。
それを見るとふわふわした気持ちになった。
俺は、この気持ちの名前を知っている。

「帰ろう、源田。日が暮れるし」
「あ、ああ」

慌てて帰り支度を始めた源田を横目に俺は本を戻すために立ち上がった。
元にあった場所に置いて、人魚姫と書かれた背表紙をなぞる。
俺は、人魚姫に、なりたい。
人魚姫は、人間になるためにその美しい声を代償に。
人魚姫が悲しい話なのは、その思いを伝えられなかったからだ。
だからこそ俺は人魚姫に憧れる。
油断をしてしまえば溢れ出しそうなこの気持ちが、この心の中にあるから。
帰るぞ、と言う源田の声に振り返り俺は本から手をゆっくりと、離した。




∴ 伝えてはならない想いなら、
(いっそ声とともに消えれば、と)



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