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計画的ペア落下



 「ねぇ二宮くん、あなた童貞でしょう?」

 元々、不躾な女だとは思っていた。誰に対しても遠慮というものを知らない。いついかなる時でも、後先考えず思ったことを口に出す。そんな調子だから不躾に見えるのは当然といえば当然なのだが、兎に角その女は、良くも悪くも裏表のない性格だった。
 その女との付き合いは、不本意ながらわりと長い。ボーダーに入った時期も年齢も同じだったから、昔から無駄に絡まれることが多かった。
 そしてそれは今も変わらない。加古とつるむと五割増しぐらいで疲れる。そんな関係だったから、今更その性格を直せとは言わないし、何より、そんなことを望んでも無意味であることは十分すぎるほど理解していた。
 とはいえ、白昼堂々、女性の口から飛び出すにはあまりにも不適切すぎる単語が聞こえてきたら、さすがに聞き間違いではないかと己の耳を疑うというものだ。もっとも、男だからといって、はたまた夜だからといって、口に出していい単語というわけでもないのだが、今はそういう話をしているのではない。
 言われた直後は、その単語の意味を理解するまでに時間がかかった。というより、理解はできていたが、脳が処理するのを拒んでいた、というべきか。
 涼しい顔をしてこちらに視線を送り続けてくる女に、俺は溜息を吐くしかない。どうして急にそんなことを言い出したのか。もっと言うなら、なぜここがボーダー本部の廊下だということを分かっていながら今ここでそんなことを言ってきたのか。俺には何一つ分からなかった。もっとも、そんなことは分かりたくもないわけだが。
 ここでこの女の対応をまともにしていたら疲れることは必至。となれば次に取る行動は一つしかなかった。俺は女からの問い掛けに返事をすることなく、驚きのあまり止めていた足を動かしてその場を離れようと試みる。が、それを易々と許すような女でないことはよく知っていた。
 
「ちょっと二宮くん。レディを無視するのは失礼じゃない?」
「どこにレディがいる」
「あら。ここにいるのが見えないの?」

 さも当然であるかのように。俺の目が節穴だと言わんばかりに。女は堂々とそんなことを言ってのけた。信じられない。先ほどの発言を省みて尚、自分はレディだと思える神経の図太さは、いっそ感心に値する。
 俺は再び大きく息を吐いた。この女と一緒にいる時は、随分と吐く息の量が多くなっているような気がする。

「少なくとも俺の知っているレディはこんなところでそんなことを訊いてきたりはしない」
「ふぅん……じゃあ二宮くんは自分が理想とする本物のレディに会ったことがあるのね?」
「……」

 女は時々、突然的を得たことを言ってくる。普段は基本的に意味が分からない(何度も言うように分かりたくもないが)、見当違いの発言ばかりをしているくせに、ふとした瞬間にズバリと鋭い発言をするから、下手にあしらうことができない。
 今もそうだ。腹が立つことに、女の発言に対して、俺は口を噤まざるを得なかった。理想のレディ像など考えたことがない。そもそも俺は、女性に対してそこまで関心がないから。それを分かっての指摘に違いない。

「ほら。ないんでしょう?」

 ふふん、と勝ち誇ったかのような笑みを浮かべている女に、何かを言い返す気力は湧き起こらなかった。レディと呼ぶにはやや幼いような気がする容姿に似つかわしくないほど大人びた雰囲気を身に纏っている女は、どこかアンバランスだといつも思う。
 そんなことをぼんやり考えていた俺に、尚も女は続ける。不躾でTPOというものをこれっぽっちもわきまえていない発言を。

「そうやってレディに夢見がちなところも童貞っぽ、」
「そういう単語を何度も口にするな。お前は痴女か」
「二宮くんからそんな単語が飛び出すなんてびっくり!」
「誰のせいだと思っている」
「私かな? ふふ」

 何がそんなに面白いのか。女は上機嫌で笑みを溢した。俺は逆に、元々歪ませていた表情を更に歪める。
 俺とは全く異なる思考回路の女だから、次に何を言うのか、何をするのか、皆目検討もつかない。しかし愉快そうに笑っているところを見ると、良からぬことを考えているような気がした。根拠はない。しいて言うなら、長年の付き合いによる勘といったところだろうか。

 嫌な予感とは的中するもので、ぐ、と距離を縮め俺の肩に手を置いた女は、少し背伸びをしたかと思うと、何を思ったか俺の頬に自分の唇を押し当ててきたのである。ボーダー本部の廊下で。この女は何をしている?
 咄嗟に周りを見回したが、幸いにも人影はなく安堵した。今の光景を誰かに見られていたらと思うと頭痛がする。勘弁してくれ。
 こんな状況を生み出した張本人である女は「照れてくれないのね」と僅か唇を尖らせているが、大抵の人間なら、こんな場所では「誰かに見られているのではないか」という焦燥感の方が先立つのではないだろうか。つくづく呆れる。

「どういうつもりだ」
「どういうつもりって……普通分かるでしょう」
「分からないから訊いているんだが」

 女から「呆れた」と言われ顔を顰める。それはこっちのセリフだ。呆れているのは俺の方である。それなのになぜ俺が呆れられなければならないのか。やはりこの女の思考回路は理解できない。

「レディからのキスにお誘い以外の意味なんてないの」
「……意味が分からない」
「今意味を教えてあげたのに? 二宮くんは賢いと思っていたんだけど」
「なぜ俺を誘う必要があるのか分からないという意味だ」
「ああ、そういう。なるほど」

 と相槌を打っているくせに、わざとらしく溜息を吐いた女は「そういうところよね」とぼやいている。意味は分からないままだが、喧嘩を売られていることだけは理解できた。
 お互い今からそれぞれの作戦室でミーティングだと話していたはずなのに、いつからこんなわけの分からない展開になったのか。ああ、そうだ。この女が意味不明な質問をしてきたからだった。全部、この女のせい。いつも俺は、気付けば女のペースに巻き込まれている。

「あのね、二宮くん。私だって誰彼構わず誘ってるわけじゃないの」
「……つまり何が言いたい」
「それ訊いちゃう?」
「勿体ぶるな」
「二宮くん、絶対恋愛したことないでしょう?」
「俺の人生において支障はないが」

 事実を伝えれば「なんでこんな人を」だの「先が思いやられるわ」だの、暫くぶつぶつ呟いていた女だが、またもや突拍子もなく唇をぶつけてきて、さすがに面食らった。しかも今度は頬ではなく唇に、だから余計に。
 トリオン体である俺のネクタイを引っ張って顔を近付けるという、あまりにも乱暴かつ強引な動き。一日に、というよりこの数分の間だけでこうも何度も虚をつかれるなんて生まれて初めての出来事で、自分が隙だらけだということに些か絶望する。
 と同時に、柄にもなく、ほんの少し動揺していた。そんな状態で先ほどまでの女の発言を思い返しているせいか、女が求めているであろう答えには到底辿り着けそうにない。

「好きだから、お誘いしてるの」
「…………は」
「鈍感ね。そんな二宮くんには私ぐらいの肉食系女子がちょうどいいと思うわ」
「待て、みょうじ」
「待たない」
「おい」
「心配しなくても二宮くんのハジメテは私がもらってあげるから」

 心配などしていないしそんなこと頼んでもいない。勝手なことを言うな。女に言いたいことは山ほどあったが、まず確認しなければならないのは、

「本気なのか」
「ふふ、試してみる?」
「冗談なのか」
「ミーティングが終わったら夜ご飯行きましょ」
「答えろ」
「夜ご飯の時にね」
「俺は行くとは言っていない」
「私のこと、ちょっとでも気になったら連絡ちょうだい?」

 女はそうして言いたいことだけ言い残すと、俺に踵を返してそのまま自分の作戦室へ向かって歩いて行った。まったく、嵐のような女である。
 これ以上振り回されてなるものか。連絡などしない。……と思っていたはずなのに、ミーティングが終わった後で女が俺の隣を歩いているのはどういうことなのだろう。自分でも自分の行動が理解できない。

「そういえば言い忘れてたんだけど」
「何だ」
「私も処女だから二宮くんとおそろいね?」

 この時「そういうことを言うものではない」と指摘しなかったのは、二人きりの帰り道だから。夜だから。らしくもなく、自分自身にそんな言い訳をした。