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パラドックスの息吹



※キメツ学園設定


 私は恋をしている。その人を見たらキュンと胸が疼いてしまうような甘酸っぱい恋を。
 この気持ちの始まりがいつだったのかは分からない。ただ一つ言えるのは、この恋が一目見た瞬間恋に落ちた、なんてドラマチックなものではなかったということ。むしろ第一印象だけで言うならプラスの感情はほとんど皆無だったように思う。けれど、じわじわ、じわじわと。時間の経過とともに少しずつ蓄積された、言葉では言い表しようのないむず痒い感情。それが恋だと自覚するのに、そう時間はかからなかった。
 最初は自分の気持ちに気付かないフリをしていた。だって私が恋をした相手は、同級生の気が合う男の子でも年上のカッコいい先輩でも年下の可愛い後輩でもなく、何を隠そう学校の先生だったから。先生と生徒の恋愛なんて漫画でしか見たことがないし、あまりにも現実味がなさすぎて、この気持ちが本当に恋だという確証が持てなかったのだ。
 何度も自問自答した。これは恋ではなく憧れの類いではないか、と。テレビ画面の向こうのアイドルを見て「かっこいい」「好き」と思うのと同じで、本気の恋ではないんじゃないか、と。
 しかし、自問自答を繰り返せば繰り返すほど、私の中で先生に恋をしていることが確信になっていった。憧れではなく恋慕であると。そして高校三年生の冬。私はバレンタインデーにチョコレートを持って、先生の元を訪れた。一世一代の告白をするために。あの日の緊張は永遠に忘れないだろう。

 コンコン。震える手でノックして数秒。返事もなくガラリと開いた硬い扉の向こうに立っている白髪の先生は、ギョロリと大きな瞳を私に向けて怪訝そうに眉根を寄せた。
 本来なら高校三年生の私は二月に入ってから自宅学習の期間に入っていて、学校に来ているのは補習組ぐらい。しかし私は補習に参加しなければならないほど成績が悪いということはなかった。だからそれを知っている先生は「なんでお前がここに」と顔を顰めていたのだろう。
 私は仁王立ちの先生に一歩近くことで距離を詰めた。それに応じるように、先生は一歩後ろに下がる。生徒である私と不用意に接近しないための、無意識の行動だろう。
 先生と生徒の壁は、この一歩分を埋められるかどうか。たった一歩。されど一歩。一歩の壁は果てしなく高く分厚い。
 しかし、私は決意したのだ。今日気持ちを伝えると。どうせあと一ヶ月後には卒業するのだから、こっ酷くフラれたとしても会う機会は少ないし、新たな一歩を踏み出すキッカケになるかもしれない。そうだ。前向きに考えよう。

「三年蓬組のみょうじなまえです。先生にお話があって来ました」
「なんだァ? 分かんねェ問題でもあったか」
「勉強の話じゃありません」

 先生の眉間に寄っていた皺の深さが増す。元々にこやかな顔をする先生ではないけれど、今の表情はかなり険しい。私は既に受験を終えている身だけれど、卒業するまでは学生なのだから気を抜くなとでも言いたげな雰囲気だ。
 とても言い出し辛い。けど、頑張るって決めたから。私は手に持っているチョコレートが入った紙袋を突き出し、意を決して言葉を紡いだ。

「先生のことが好きです。これ、捨てても良いので受け取ってください!」

 シンプルかつ分かりやすい告白だったと思う。だから恐らく、私の言っている意味が分からないということはなかっただろう。あとはチョコレートを受け取ってもらえるかどうか。そしてどんな反応が返ってくるか。それだけ。
 言い終わった後、沈黙を重ねた分だけ心拍数が跳ね上がっていった。フラれることが分かっていても緊張は計り知れない。どうせフるなら一思いにさっさとフってほしい。ちゃんと心の準備はしてきたつもりだから。
 そんな、永遠にも思える沈黙を経て、先生は漸く言葉を吐き出した。大きな大きな溜息とともに。

「お前は俺が好きなんじゃねェ。教師である俺が好きなんだよ」
「どういう意味ですか……?」
「お前らは教師ってもんに夢を抱きすぎてるってことだ」
「違います! 私は先生が先生じゃなくても、」
「時間を無駄にするな」

 厳しい一言だった。予想していたよりも随分とショックを受けた。フラれる覚悟はできているはずだったのに、消化しきれなかった。
 先生を好きになってからの時間が無駄だったとは微塵も思わない。むしろ有意義だったとすら思う。毎日が充実していた。キラキラしていた。先生に会えると思ったら学校に来るのが楽しみで仕方がなかったし、勉強だって部活だって頑張ろうと思えた。
 フラれたことよりも、先生のことを好きだと思っている私自身を否定されたようで悲しかった。教師だから好きになった? 冗談じゃない。私は先生が先生じゃなかったとしても好きになっている自信がある。この気持ちだけは誰にも否定されたくない。

「無駄じゃないです。私にとっては大切な時間でした」
「……兎に角、今日は帰れ」
「明日なら受け取ってくれるんですか」
「屁理屈捏ねてんじゃねェぞ」
「私が卒業したら、受け取ってくれるんですか」
「……帰れ」

 ぴしゃり。きちんとした返答をもらえぬまま、無情にも扉は閉められた。突き出していた手が重力に従ってだらりと垂れ下がる。フラれた。チョコレートも受け取ってもらえなかった。私の想いは何一つ届かなかった。
 私が生徒だから相手にしてもらえなかったのだとしたら、やっぱり納得できなかった。先生が基本的に優しくないことは知っている。けれど、優しい一面があることもまた、私は知っていた。だから好きになった。先生だから好きになったんじゃない。先生が不死川実弥だから好きになったのだ。それを伝えきれなかったことが何より悔しい。

 そんな幕切れだったからだろうか。私は卒業式の日まで浮かない顔をしていた。友達との別れを惜しむのもそこそこに、数学準備室へ足を運ぶ。先生がそこにいるかは分からなかったけれど、もしも会えたらもう一度言おうと思ったのだ。好きです、と。
 しつこい女だと思われるだろう。「うぜェ!」と怒鳴られてしまうかもしれない。しかし、どうせ先生の中での私の評価なんて地に落ちてしまっているのだろうから、今更躊躇する必要はなかった。失うものは何もない、というやつだ。
 賑やかな教室を離れ嘘みたいにシンと静まり返った廊下を歩いてバレンタインデーぶりに到着したそこには、当然のことながらあの日と同じように無機質な扉が佇んでいる。すう、はあ。何度か深呼吸を繰り返してノック。コンコンコン。人の気配はないような気がするけれど、先生は気配を隠すのが上手だからいるかもしれない。
 待つこと十数秒。扉が開くことはなかった。どうやら本当に不在らしい。となると私は、この中途半端な想いを抱えたまま卒業するしかないのか。それは嫌だなあ。そう思いながらも来た道を引き返している時だった。

「お前、」
「え……不死川先生!」

 正面から聞こえた声に弾かれるようにして俯かせていた顔を上げれば、そこには会いたくて堪らなかった先生が立っていた。卒業式という厳かな式典があったにもかかわらず相変わらずボタンは留めておらず襟全開。とんだ教師だ。
 先生は私の姿を捉え元々大きな瞳を更に大きく見開いていた。が、すぐにいつもの様相を取り戻すと、何事もなかったかのように私の横を擦り抜けて数学準備室に入ろうとする。さすがにバレンタインデーの時の出来事を忘れたわけではないだろうけれど、先生にとっては取るに足らないことだったのだろう。だからこんな風に、いつも通りを貫けるのだ。

「先生! 私、卒業しました!」

 私は先生を追いかけ、扉が閉まる前にその背中に声をかけた。先生は振り返ってくれない。

「良かったな」
「もう、生徒じゃありません」
「三月いっぱいは生徒だろォが」
「屁理屈捏ねてるのはどっちですか」

 やっとのことで振り向いてくれた先生は、苦虫を噛み潰したような顔で私を睨んだ。けれど、私は怯まない。だってちっとも怖くないもの。
 先生は人相が怖いとかすぐ怒るとか怒鳴ってばかりだとか言われているけれど、本気で生徒を叱り飛ばしたことなんてないと思う(スマッシュブラザーズ事件もたぶん手加減はしていたんじゃないかと思っている)。それに、沸点は低いとしても、先生が怒るにはそれ相応の理由があったとも思うのだ。
 じ、と先生を睨み返すように見つめる。私の言い方が喧嘩越しだったのは、そうでもしないと先生が振り向いてくれないと思ったから。そして先生は私の目論見通り、まんまと振り向いてくれた。これが本当に最後のチャンス。私は臆することなく口を開く。

「私は先生のこと、一人の男性として本気で好きです。別に、どうこうなろうと思ってるわけじゃないんです。ただ、この気持ちを否定はしてほしくないです」
「…………お前は馬鹿だなァ」

 言いながらフッと、先生が微かに表情を緩めた。こんな顔もするんだ、と思わず見惚れる。この表情を見ることができただけでも、今日ここに来た価値があるというものだ。

「教師になるんだろ」
「え、あ、はい、なんで知ってるんですか?」
「生徒の進学先ぐらい知ってて当然だ」
「でも先生、私の担任でもなんでもないのに……」
「待っててやる」
「へ」
「早くここまで来やがれ。話はそれからだァ」

 ぐしゃ、と乱雑に頭の上にのせられた手は、思っていた以上に大きかった。どくんどくん。心拍数が一気に跳ね上がる。
 私の聞き間違いでなければ、先生は今「待っててやる」と言った。「話はそれからだ」とも。それはつまり、私が先生と同じところまで這い上がることができたら望みがあると思って良いのだろうか。そういうご都合主義な解釈をして舞い上がってしまっても良いのだろうか。

「私、絶対そこまで行きますから! 覚悟しててくださいね!」
「上等だァ」

 離れていく大きな手。でも、良いんだ。この先の未来で、絶対にその手を掴んでみせるから。私は今日、新たな一歩を踏み出した。