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ぼくらミルクティー



 上鳴電気は、良くも悪くも優しい。そして、誰にでも気さくに声をかけることができるコミュニケーション能力の高さもある。それゆえに、男女問わず友達が多かった。
 彼と同じくA組になった人見知りの私は、入学後初めて登校した日、教室で真っ先に「これからよろしくなー!」と朗らかな笑顔で声をかけてきてくれた時のことを、昨日のことのように覚えている。それだけ救われたのだ。
 友達ができなかったらどうしよう。ヒーローを目指している者同士、仲良くできたら良いなとは思っていたけれど、ライバル心剥き出しの人達ばかりだったらそうはいかない。三年間一人ぼっちなんて嫌だなあ。
 入学前にそんなことを考えていたこともあって、彼の明るい声と満面の笑みは私の救いとなった。そしてそれは、高校を卒業した今になっても変わらない。

「電気は初めて会った時のこと覚えてる?」
「ん? なまえと初めて会った時のこと?」
「そう」
「なんで今更?」

 私の隣で紙パックのジュースにさしたストローを咥えたまま首を捻る彼は、高校を卒業して三年が経とうとしているにもかかわらず、当時とほとんど同じ見た目だ。この先、彼が老け込むことはあるのだろうか。そんな姿、全く想像できない。
 私は彼とお揃いで買ったマグカップに注いだミルクティーにふうふうと息を吹きかけて気持ち程度に冷ますと、ちびりちびりと口に運んだ。特に何の用事もない日曜日の昼下がり。二人で過ごすこののんびりとした時間が、私はとても気に入っている。

 彼と友達という関係から一歩(感覚的には十歩、いや百歩)進んで恋人という関係になったのは、高校三年生の最終日だった。それまでも気持ちを伝える機会は沢山あったと思う。けれど、今じゃなくても良いか、また次の機会に……と後回しにし続けていたら卒業を迎えてしまっていたのだ。
 自分の中に燻る恋心に気付いたのはいつだっただろう。一年生の時? 二年生の時? 三年生の時? 明確な境界線は分からなかった。
 良い人。良い友達。それだけでは足りなくなっていた。でも私達は友達として上手くやれていたから、そのままでいいや、って。友達以上恋人未満の関係でもいいや、って。そう思っていたのだ。
 けれど、卒業式が終わり「じゃあまた」と言われた時、彼の言う「また」とはいつのことだろうかと、急に不安になった。来週? 来月? 来年? それとももっと先のこと?
 友達ってどんなスパンで会うものなんだろう。このまま一生会わずに終わることもあるのだろうか。そんなの嫌だ。そう思ったら、彼の手を掴んでいた。「どした?」と尋ねてきた彼の顔が泣きそうになっているくせに嬉しそうだったのは、たぶん、彼も私と同じことを考えていたからだと思う。

「ずっと、言おうと思ってたことがあるんだけど、」
「それ、俺から言っちゃだめ?」
「……どうせなら引き留めてほしかった」
「ごめん。勇気なくて。でも、」

 好きなんだ。

 全然カッコよくなかった。ロマンチックでもなかった。感動的ってわけでもなかった。けれども私は、この上なく素敵な告白だと思った。
 そうして私達は恋人になった。と言っても、暫くは友達の延長みたいなものだった。二人で買い物に行ったり、気が向いた時にちょこちょこ連絡を取り合ったり、時々どちらかの家に遊びに行ったり。キスもハグもそれ以上のことも、なかなか経験できなかった。
 けれど、一つクリアしたらその次のステップは駆け上る感じだった。雪崩れ込むみたいに全てを終えた時には、恥ずかしいとかドキドキしたとかそういう感情よりも先に、私達って本当に恋人だったんだあ、と妙な実感をしたものだ。
 そんな初々しいことを積み重ねてきた私達は、気付けばもう二十歳を過ぎ大人の仲間入りを果たしている。お互いヒーローだと休日が重なることは稀だけれど、だからこそ、二人で過ごせる貴重な時間を大切にするようになった。

「なんとなく、覚えてるかなあって」
「そりゃ覚えてるに決まってんじゃん」
「ほんと?」
「入学試験の時っしょ?」
「え」
「え?」

 思わぬ返答に、私は言葉を失った。彼は私の反応に目をパチクリさせていて、動揺していることを察したようだ。
 まずい。えーっと。入学試験の時。私は急いで記憶を呼び起こそうとした。けれど、あの日はかなり緊張していたこともあって、終わった直後でさえ試験中の出来事が思い出せなかったことに気付き絶望する。
 誤魔化しても仕方がない。というか、入学試験の時のことを私が覚えていないのは既にバレているだろう。まさか自ら振った話題で墓穴を掘ることになろうとは思いも寄らなかった。これはもう、素直に謝るしかない。

「ごめん……私、入学試験の時のことは覚えてない」
「やっぱり?」
「私はてっきり入学初日が初対面だと思ってたんだけど……入学試験の時に会話した?」
「んーん。目も合ってない」
「え」

 またもや彼の思わぬ返答に固まる。目も合ってない、って、それはもはや対面していないのと同義ではなかろうか。ていうか目も合っていないのに、彼はどうして私のこと覚えているのだろう。
 紙パックのジュースをずずーっと啜った彼は、空になったらしいそれをローテーブルに置いた。そして、ほんの少しだけ私の方に近付くように座り直す。

「可愛いなーって俺が勝手に見てただけだから覚えてないの当たり前だと思う」
「……入学試験でよくそんなこと考える余裕あったね」

 本当は嬉しかった。私が彼を意識始めるよりずっとずっと前から私のことに気付いてくれていて、尚且つ「可愛い」と認識してくれていたこと。
 けれども、それを手放しで喜べないのは私が捻くれ者だからだ。マグカップに顔を埋めるような格好でゆっくりミルクティーを啜っているのは、にやけそうになる顔を隠すため。これのどこが「可愛い」んだか。

「緊張解そうと思って違うこと考えようとしてたんだって! そしたら可愛い子いるじゃん? そりゃ忘れらんなくなるって」
「入学初日に声かけてきた時、そんな感じなかったけど」
「さすがに、入学試験で可愛いなと思って見てました、なんてカミングアウトできないって……引くっしょ?」
「引くっていうか……うーん……いや、でもちょっと引くかも」
「良かったー! 言わなくて」

 心底ホッとした様子の彼に苦笑する。冷静に考えてみると、今こういう関係になってから言われるのと初対面(だと思っている時)に言われるのとでは受け止め方が違うから、彼の判断は正しかったのだろう。
 マグカップをローテーブルに置く。そのタイミングを待ってましたとばかりに、すぐさま、そしてナチュラルに私の手に自分のそれを重ねて指を絡めてくる彼はいつにも増して機嫌が良さそうだ。

「あったか」
「ミルクティーあったかかったから」
「うん。そうだけど。それだけじゃなくて」

 きゅ、と絡めた指に僅か力が加わる。私の指の感触を味わうように、するすると撫でられるみたいな動きが擽ったい。

「なんかさー」
「うん」
「特別なことは何もしてないけどさー」
「うん」
「こういう時間過ごしてると、俺ら付き合ってんだなーって思うよなー」
「……うん。分かる」

 きちんと恋人としての階段は上った。キスもハグもそれ以上も、何回も繰り返している。けれども、日常のありふれた一コマの中に溶け込む彼の存在を感じると、恋人として急に意識してしまう気持ちは、よく分かった。
 初めてを経験した時と同じ。彼と一緒にいると、常に新鮮さを感じられる。初々しくいられる。たとえ成人を過ぎた大人になっても。これから先おじいちゃんおばあちゃんになっても、それは変わらないような気がする。

「電気といると、あったかい」
「それ、さっき俺が言ったやつじゃん」
「そうだっけ」
「ほんの数分前の会話なんだけど!?」
「ふふ、覚えてるよ」

 あったかくって、おかしくって、幸せで、日常が蕩けていく。忙しい毎日も、彼のお陰で乗り越えられる。これからもそんな日々が続けばいいなあ。
 きゅ。私も少しだけ手に力を込めたら、それ以上の力で握り返されて、ついでに引っ張られて腕がぶつかった。見上げれば、近付いてくる綺麗な顔。
 なんとなく雰囲気に身を任せて目を瞑る。鼻先同士を擦り付けるみたいに触れ合って、でも唇はぶつからなくて、薄っすら目を開けたら彼もちょうど目を開いたところだったようで視線がぶつかった。
 ふふ。どちらからともなく笑い合う。こんな日常が私達の普通であることが、愛おしい。