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「優しいって残酷だ」



 「もう帰るの?」と飛び出しかけた言葉は、ギリギリのところでぐっと飲み込んだ。

 あれが本当に「デート」だったのかどうかは分からないけれど、私と彼は傍から見ればそれらしい関係だったと思う。彼との時間は普通に楽しかった。彼女じゃなくても、友達じゃなくても、その関係に名前が付いていなくても、楽しかった。そして、彼も楽しんでくれている。そんな気がした。
 だから、夜ご飯を食べた後で「そろそろ帰ろっか」と言われた時の衝撃は計り知れない。だって、夜はこれからだというのに、当初の目的(だと思われること)はまだ果たされていないというのに、彼は私ともう別れると言うのだ。そんなの、私との時間が楽しくなかったという理由以外考えられない。
 もしかして私は「デート」中に彼を幻滅させるような言動をしてしまったのだろうか。そう思って振り返ってみたけれど、思い当たる出来事はひとつもなくて、じゃあ今までの時間は何だったのかと疑問ばかりが浮かんでくる。
 ベッドの上での行為のことを考えて選んだ服も、下着も意味がなかった。一人で妙な気合いを入れていたのだと思うと、心底恥ずかしい。そして何より、再び彼とそういうことに及ぶだろうと覚悟してきた私の気持ちが、とんでもなく惨めに思えた。

 私は彼のセフレにすらなれなかった。あの「デート」だって、きっとお遊びだったのだろう。いつのまにか無駄に必死になっていた私を見かねて、それらしく振る舞ってくれただけ。彼は、優しいから。
 そうだ、優しいから、あの合コンの日も私の強引な誘いに乗ってくれた。再会した時に連絡先の交換を申し出てくれたのも、軽い女の子なら今後また相手になってくれるからって思ったからかもしれないけれど、身体目的だとしてもちゃんと私のために「デートプラン」を練ってくれたのは、彼の優しさだと言えよう。
 もう十分だ。もう十分、楽しませてもらった。これ以上、彼に関わるべきではない。もし更に彼との時間を積み重ねてしまったら、私はきっと勘違いする。彼と名前のある関係になれるんじゃないかって。

 彼の方もさすがに私とのお遊びには飽きてくる頃だろう。だから、お情けのお付き合いも終わるだろう、と。そう思っていたのに、本格的に梅雨の季節が訪れる前、あのなんちゃってデートもどきの翌々週の火曜日に、彼から再び「今週末あいてない?」と連絡がきた。
 二週間ぶり。それだけの期間が空いたということには意味があるのだろうか。いや、ここは、たったそれだけの期間しか空いていないのに私に連絡を寄越してくれたことを素直に喜ぶべきか。
 返事に迷った。今度こそ、そういう目的のために連絡してきたのかもしれない。それならそれで良いのだけれど(むしろそういう目的だと明確に言ってくれた方が分かりやすくて良い)、また前回のような感じだったら? それこそ、その時間にどんな意味があるのか分からない。

“それはデートのお誘い?”

 語尾に(笑)という冗談っぽさを含ませるのを忘れたまま、彼に送信してしまった一文。私は大真面目だから間違いではないのだけれど、彼はどう思うだろう。考える間もなくすぐにきた返事。

“デートじゃなかったら何?”

 彼の一文の語尾にも(笑)はついていなかった。つまり真面目に尋ねてきているということ。デートじゃなかったら? デートじゃなかったら…何だろう。お友達同士の近況報告会とか? そっちの方がおかしいか。
 またもや返事に迷う。そんな私の手元が震えた。まだ返事をしていないのに彼から二通目のメッセージが送られてきたのだ。

“ごめん。責めてるわけじゃなくて、俺はデートとしか思ってなかったから。”

 初めて二人で出かけた時もそう。彼は最初から、まるで私を恋人のように扱ってくれる。そんな関係じゃないのに。
 本当は「デート」かそうじゃないかなんてどうでも良いことなのだ。私が明確にしたいのは、彼がどういうつもりで、どういう感情を以ってして私を誘っているのかということ。ただそれだけ。
 知りたい。けど、自分から確認する勇気はなかった。だって私は、いつの間にかこんなにも彼を想ってしまっている。これでもし「特別な意味はないけど」なんて言われたら大ダメージだ。
 傷付きたくない。だからこれ以上深入りしないように彼から離れようと思った。しかし、彼から求められたら、私は拒めない。私も彼を求めてしまっているから。

“今週末、あいてるよ。”

 するすると画面に滑らせた指に迷いはなかった。もう面倒臭いことを考えるのはやめた。いつか傷付くその日まで、私は彼と宙ぶらりんな関係を続けよう。それが一番、しあわせだ。



 六月初めの土曜日。天気は生憎の雨。じめじめどんよりとした空気の中、前回と同じ待ち合わせ場所に向かう。梅雨に入る前、雨の日でもテンションが上がるように、と思って買ったお気に入りの傘は、雨音を美しく奏でていた。
 土曜日だから人が多いのは覚悟していたけれど、雨の日は傘をさす分、余計に混雑しているように感じる。しかも傘で顔が見え難くなっているせいで、彼を探すのは困難を極めそうだ。
 ちなみに前回は、特徴的で目立つ髪型のお陰ですぐに見つけることができた。今日も彼がビニール傘だったら些か見つけやすいかもしれないけれど、色とりどりの傘の海に紛れているからなんとも言えない。
 約束の時刻は、これもまた前回同様、十一時。腕時計を確認すれば、十時五十分になろうとしているところ。彼はもう来ているだろうか。キョロキョロ。辺りを見回してみる。その時だった。

「なまえちゃんみっけ!」

 左斜め後方から聞き覚えのある声に名前を呼ばれて振り返れば、探し人である電気くんが笑顔を傾けていた。その表情に、心臓がきゅんと音を立てたのは気のせいなんかじゃない。

「よく私のこと見つけられたね」
「この傘、なまえちゃんっぽいなーと思って見てたらマジでなまえちゃんだったから俺もびっくりした」

 こんなに沢山の人がいる中で、しかも顔なんてほとんど見えなかったはずなのに、私を見つけ出してくれた。その事実だけで嬉しくて胸が苦しくなっているというのに、彼はそんなことお構いなしに無邪気な言葉を散りばめて心臓を鷲掴みにする。
 私が自分のために選んだお気に入りの傘。それを彼は、私っぽいと言った。たったそれだけのことで、私は夢を膨らませてしまう。
 彼が恋人だったら、きっと何でもない日にも私が喜ぶものをプレゼントしてくれるんだろうなあ。「なまえちゃんに似合うと思ったから」って、私好みのものを差し出してくれるんだろうなあ。そんな妄想をしてしまったのだ。

「濡れちゃうから行こっか」
「うん」
「こっち」

 ふわふわしたままの私に声をかけてきた彼が、ショッピングモールの方角に向かって歩き出す。私はハッと我に返ってそれを追いかけようとしたのだけれど、傘と人の波に飲まれてしまって思うように先に進めない。
 このままでははぐれてしまう。けど、行き先はショッピングモールだと思うし、そこで落ちあえば問題ないか。いっそショッピングモールで待ち合わせにしたら良かったかもしれない。
 そんなことを思いながら追いかけるのを諦めかけていたら、進行方向から人波を押し退けて戻ってくる彼の姿が見えた。ああ、どうしよう。まだ会って数分しか経っていないのに、今日は心臓がうるさすぎる。

「ごめん、先に行っちゃって」
「私こそごめん。追いかけられなくて」
「はぐれちゃうから、手……」

 すっと伸ばされた手が中途半端なところで止まる。きっと彼は「手繋ごう」って言いたかったんだと思う。けど、何度も言うように、私達はそんなことをする関係じゃないから。彼は手を引っ込めた。
 途端、喧しかったはずの心臓が嘘みたいに静かになって、一気に現実に引き戻される。彼は何も間違っていない。私は何を期待していたんだ。

「はぐれちゃうから、俺のどっか掴んでて」
「……ここでもいい?」

 沈みかけていた気分を浮上させて悩んだ挙句、ティーシャツの裾を控えめに引っ張って尋ねてみれば、彼は一瞬固まり、それからすぐに私から顔を逸らして「いーよ」と短く返事をしてくれた。
 本当は嫌だったのかもしれない。けど、彼は優しいから許してくれた。そんな彼の優しさに甘える私は、どんどん彼に沈んでいく。


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