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「#幼馴染」のBL小説を読む
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「今度は逃がさないから」



 予想以上だった。色々と。つるりと滑るような、それでいて手に吸い付くような柔らかい肌の感触とか、俺が刺激する度に漏れる艶やかな吐息と声とか、俺を求めるように身を寄せてくる大胆な行動とか。驚きとともに興奮もすごくて、気付いたら複数回抱いてしまっていた。

「んっ、ぁ、でんきく…ッ」
「…気持ちい?」
「ん…きもちい…っ、あっあっ…!」

 溜まっていたから。それも確かにあるだろう。けれどそれだけじゃない。彼女の口から俺の名前が紡がれるだけで熱が上がった。俺だけ特別と言ってくれたのは嘘か本当か。その真意を確かめる前に、俺は自分の欲を優先させてしまった。自分でも気付かぬ内に、それほど夢中にさせられていたのだ。
 俺は半分冗談で言った。「もっかいシちゃうよ」と。それを彼女はあっさりいいよと受け入れてくれた。そしてヨがってくれた。顔を引き寄せてキスしようとしてきたり、俺のモノを撫でてきたりするから、めちゃくちゃ攻めてくるタイプなのかと思いきやそうではなくて。主導権はきっちりこちらに渡してくれた上で自分も楽しんでいる、みたいな。そんな雰囲気に、益々そそられた。
 唇同士をぶつけて舌を絡め合いたいと何度思ったことか。けれども俺達はまだ宙ぶらりんの関係で、そんな状態のままキスをするのはどうにも憚られてしまって。だから俺はその代わりと言わんばかりに、彼女の肌に唇を寄せまくった。痕は残していない。彼女が嫌かもしれないと思ったから。「嫌われたくない」という気持ちが芽生えているのは、彼女が好きだという何よりの証拠だ。

「あっんっ、は、ぁ、」
「なまえちゃん、」
「ふ、は…ぁ、う、」
「かわい…ッ」

 他に言うことはないのかと怒られてもおかしくないほど「可愛い」と言ったような気がする。俺はアホだから、それ以外の言葉が見つからなかったのだ。とろんとした瞳も、だらしなく開いた口も、火照った頬も、俺を求めて彷徨う手も、全部全部ちゃんと可愛いと思った。だからそう言っただけ。
 果てた後、彼女はすぐに寝てしまったが、その寝顔は情事中とは違ってあどけなくて、それもまた可愛くて堪らなかった。好きだなあと思った。顔とか身体付きじゃなくて、いや、それもめちゃくちゃ好きなんだけど、そうじゃなくて、雰囲気が。知り合ってまだトータル数時間程度のくせに何を調子のいいことを言っているんだ、と思われるかもしれないが、好きだと思ってしまったものはどうしようもない。
 彼女を抱き寄せて、体温を分かち合うみたいに肌を寄せる。髪を梳いて、少しだけ身を捩った彼女に出来心で口付けてしまったのは、俺だけの秘密にしておこう。明日になったらちゃんと言うから。伝えて、もしも彼女も同じ気持ちでいてくれたら。同じ気持ちとはいかずとも、俺の気持ちを受け止めてくれたら。その時はきちんとキスをしたい。
 久し振りに満ち足りた気分の中、俺は心地良い眠りに落ちた。



 目を覚まして真っ先に思ったことは「逃げられた」。そこにあるはずの柔らかい身体はどこにもなくて、なんなら温もりの欠片もない。あるのは僅かな残り香だけ。もしかして昨日の夢のような時間は最近飢えまくっている俺が引き起こした妄想だったのではないか、とすら思ったが、床に落ちていたゴミが現実だと教えてくれた。
 みょうじなまえちゃん。俺が惚れた女の子。そして昨日の夜、身体を重ねた女の子でもある。確か彼女は自ら酔っていると言っていた。あの口振りだと、俺との夜の出来事は忘れてしまっているのだろうか。目を覚ましたら合コンで知り合ったばかりの男が隣で、しかも裸で寝ていて、怖くなったから逃げた、と。そういう筋書きだとしたら、現状の説明がスムーズにできてしまう。

「マジか……」

 俺はショックのあまり項垂れた。逃げられたこともそうだが、惚れた女の子に幻滅されてしまったことと、弁解する機会さえも与えられないことに対するショックは計り知れない。
 起きたらまず「大丈夫?」と訊くつもりだった。酔った勢いかもしれないが、彼女の方だって俺を誘ってきていた。少なくとも、嫌がっている感じはなかった。そうなると全面的に俺が悪いとは認めたくなかったが、無理はさせていないかとか、物理的に身体の方はどうかとか、そういうことは気になるから「大丈夫?」と、色んな意味合いを込めて確認するつもりだったのだ。
 それから、お互いちょっと気まずい雰囲気にはなるだろうけれど、勇気を振り絞って連絡先を聞いて、順番は違うけどちゃんと好きだと思っているから付き合ってほしいと、自分の気持ちを伝える予定だった。本当は情事中、勢い余って言いそうになってしまった。「好き」と。けれども、こういうのは素面の時に言うべきだろ、と思いとどまり「あとで言う」と告げたというのに、どうやら俺の言葉は届いていなかったらしい。
 はあ。項垂れたまま溜息を吐く。とりあえず、こんなところにこれ以上一人でいても虚しいだけだと気付いた俺は、服を拾い集めてさっとシャワーを浴びると、ホテルを後にした。太陽はすっかり高い位置まで昇ろうとしていて、腹が立つくらいの快晴。なまえちゃんと一緒だったならこれほど清々しいことはなかっただろうけれど、今の俺にとっては当てつけのようにしか思えない。
 今日は非番で、やることもない。たっぷり寝てしまったから家に帰って寝ることもできないだろうと思った俺は、一人寂しく買い物にでも行こうかと歩き出した。



 結局、その日は買い物に行っても何も買わなくて、正直なところどこに何をしに行ってどう時間を潰したのかもあまり覚えていない。それほどまでにショックだったのだろう。
 もう会えないのだろうか。一緒に合コンに参加していたメンバーに他の女の子の連絡先を聞いて、そこから彼女にコンタクトを取ってもらおうか。そんなことも考えたがやめておいた。
 彼女はあの日、俺から逃げたのだ。きっともう俺との関係は断ち切りたい、もしくはなかったことにしたいに違いない。そう考えたら、俺からコンタクトを取ったところで何の意味もないと思ったからである。
 そうして、俺にとって事件とも呼べる日から一週間ほどが経ったある日のことだった。夜勤あけに仮眠を取って、昼飯でも食べようとふらりと出かけたファストフード店。そこで忘れもしない姿を見つけた俺は、思わず「あ!」と声をあげてしまった。
 その声に振り返ったお目当ての女性は、俺の顔を見て固まる。他にも数人がこちらを見ていたと思うが、俺が見ているのは彼女だけだった。数秒見つめ合う。間違いない。なまえちゃんだ。そう確信した瞬間、彼女は俺の横を擦り抜けて脱兎の如く駆け出したかと思うと、お店を飛び出した。
 彼女はもう二度と俺に会いたくないに違いない。だからもしどこかで出会ったとしても、俺は彼女を知らないフリをした方が良いのだろう。そう思っていたが、逃げられると反射的に追いかけたくなってしまって、俺は彼女を追って走り出していた。だって、こんなところで会えたということには何か意味があるって、思いたいじゃないか。
 走る、走る。彼女は意外にも足が速くて少し苦労したけれど、これでもプロヒーローとして鍛えている俺が、捕まえられないはずはなかった。はあはあと荒い呼吸を繰り返している彼女の細い手首を掴む。俺も多少は息が上がっているが、彼女ほどではない。

「なんで逃げんの」
「そっちこそ…、なんで、追いかけて、くるの……!」
「逃げられたから、つい?」
「そりゃ逃げるでしょ!」
「なんで?」
「…気まずいから」
「…なんで?」
「なんで、って…、」

 動揺と戸惑いで揺らぐ瞳が俺を捉えた。なんで、なんて訊かなくたって分かってる。俺だって気まずい。けど、ここで引いてしまったら一生後悔すると思うから。俺はあの日の朝、言えなかったことを口にした。

「連絡先、教えてよ」


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