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 彼とはもう一ヶ月ほど会っていなかった。当然、連絡も取り合っていない。よく考えてみれば、初めて出会ってからずっと、なんとなく定期的に顔を合わせていたものだから、ここ最近は少し物足りない気分にさせられている。
 しかし、これが通常なのだ。今までが異常だっただけ。だからこのまま、今までの日常に戻っていけば良い。
 きっとあれが最後ということで良いのだろう。去り際に「納得しない」と言っていたけれど、彼は馬鹿じゃない。だから、冷静になって考えたら、私との関係を断った方が自分にとって良いということには、容易に気付けるはずだ。
 そう思っていた矢先、彼からの着信があった。間違い電話ではないかと思い一度スルーしたけれど、二度目の着信はさすがに間違いではないだろう。
 一ヶ月ぶりに、何の用事があって電話なんかしてきたのだろうか。怖いと思っている反面、どんな用件であれ彼が再び私に連絡をしてきてくれたという事実に、心を弾ませている自分がいて驚く。
 そうか。私、まだ彼のこと、ちゃんと断ち切れていなかったんだ。断ち切らなければならないと心に決めて、一方的に突き放したのは私の方なのに。彼には私を突き放してくれと、もう関わらないでくれと望んでいるくせに。
 きちんと自分の中で気持ちを整理できていないから、彼との関係がまだ完全に切れたわけではないことに心のどこかで安堵している。私はどこまでも、弱い。

「もしもし」
「テメェ一回無視しただろ」
「間違い電話かと思って」
「俺が間違うわけねーだろが」
「それで、何の用?」

 弱さを隠すために強がることしかできない私は、息をするように可愛くない言葉を吐き出していた。まあ彼に対しては今までもわりと容赦なくズケズケものを言っていたと思うけれど、それにしたって少々素っ気なさすぎたかもしれない。
 密かに反省している私をよそに、彼は怒ることもなければぶつぶつ文句を言ってくることもなく「ああ」と話を続けた。なんというか、意外だ。小言の一つや二つ言われても仕方がないと思っていたのに。

「今日の夜、飯付き合え」

 それまで悶々と考えていたことが、その一言で吹っ飛ぶ。だって「飯付き合え」って、わざわざ電話をしてきて言うことではないだろうに。彼は「飯付き合え」しか誘い方を知らない男なのだろうか。……まあそれはなんとなく納得してしまうけれども。
 そんなことより、彼は一ヶ月前のやり取りを覚えていないのだろうか。まるで何事もなかったかのように食事に誘ってくるなんて、彼は気まずさとか躊躇いとか、そういうものを感じない人間なのかもしれない。まあそれも、彼らしいという理由で納得だけれど、それにしたって。
 私は彼と同じように何事もなかったかのような反応はできない。なんなら、今のこの電話で全てを終わらせるのが筋ではないかとすら考えている真っ最中だ。

「もうそんな関係じゃないでしょう?」
「そんな関係ってどんな関係だ」
「二人で食事に行く関係じゃないでしょう、って言ったらわかる?」
「もともとそういう関係じゃなかっただろうが。つべこべ言ってねェで付き合え」

 それだけ言って、電話は一方的に切れた。なんという横暴さと強引さ。しかし、これが爆豪勝己だもんなあ、と諦めてしまっている私は、自分が思っている以上に彼にご執心というやつなのかもしれなかった。
 電話を切った後、時間と場所だけの簡素なメッセージが送られてきて、ここに来いという意味なんだろうなあと察してしまうのも、つまりはそういうことなのだと思う。
 当然、私の中には行かないという選択肢もあった。けれど、その指定された場所を見てしまったら、どうしても「行かない」という選択はできなかった。
 指定された店は、あの日、事件に巻き込まれたホテルのレストラン。事件後は改装工事をしていたため暫く休業していたけれど、最近になって営業を再開したと聞いた。彼がそのホテルディナーに誘ってくるなんて、何かしら意図しているとしか考えられない。

 というわけで私は、ちゃっかりしっかりドレスアップして、のこのこ指定場所に来てしまった。彼の思う壺なのかもしれない。けれど、その彼の思惑が読み取りきれないから、私はここにいる。
 以前と違ったのは、先に待っていたのが私ではなく彼の方だったこと。相変わらずネクタイは締めていないけれど、それなりに小綺麗な格好をしている彼は、ソファがあるのにロビーの壁に背中をあずけ腕組みをして立っていた。
 私の存在に気付いた彼は「久し振りだな」程度の挨拶もなく「行くぞ」と歩き出す。私はそれに何も言い返さず、大人しくついて行った。そして通された席は、あの日と全く同じテーブル。

「なんでここに?」
「あ?」
「わざわざ事件のあったレストランを選んだ理由があるんじゃないの?」
「別に。ただ、あんな胸糞悪ィ記憶で終わらせんのは腹立つだろうが」

 そんなことかと言わんばかりに吐き捨てられた答えは、ひどくわかりにくい優しさを孕んでいるように思えた。……というのは、私の勝手な解釈なのかもしれないけれど。

「ありがとう」
「礼を言われるようなことしてねェわ」

 それでも言いたかった。ほんの少し心にこびり付いていたわだかまりを取り除いてくれたことに対するお礼が。いつまでも嫌な記憶を留めないようにと、僅かでも考えてくれたことに対するお礼が。
 それからは普通に食事をして、普通に会計を済ませて(当然自分の分は自分で払った)、普通に店を出て。これが最後になるのかどうかもわからぬまま、宙ぶらりんな状態で「それじゃあ」と別れを告げた私に「オイ」と声をかけて呼び止めてきたのは、もちろん彼だ。

「逃げんのか」
「私はたださようならって挨拶をしただけなんだけど」
「どうせこれで終わりにするつもりで来たんだろ」
「……だったら、何?」

 聡明で頭の回転が早い彼は、私の一手も二手も先を読んでいる。けれども、だからといって怯むわけにはいかない。
 私は極力平然を装って声を発した。目も逸らさない。逃げようとしていることを悟られたくはないから。

「誰とも結婚する気がねえのに何回も見合いしてんのは親に逆らえねェからか」
「それを訊いてどうするの?」
「テメェの人生だろうが。テメェが選ばなくてどうすんだ」
「ヒーロー様は人の人生の口出しまでするのね。お偉いですこと」

 五月下旬ともなれば夏の足音が聞こえてくる季節だ。夜は昼間に比べて涼しいけれど、それでも少し暑さを感じる風が頬を撫でる。
 彼が投げつけてくる言葉は、一つ一つが重い。そして何より、的を得ている。だから私は、下手くそなはぐらかし方をするしかなかった。
 別に怒らせても良い。さっさと「うぜえ女だ」と切り捨ててくれたら、私は楽になれる。しかし彼はいつだって私を甘やかしてはくれない。いっそ「なんだその言い草は!」と怒鳴ってくれた方が楽なのに、私が望むことはことごとくしてくれないのだ。

「逃げんな」
「だから私は逃げてなんか、」
「過去は関係ねェ」

 私は過去のことなんて何も口にしていないのに、察しが良すぎるというのも困りものである。いちいち痛いところばかり突いてくる男だ。
 どう言い返したら良いものか答えが見つからず黙っている私に、彼は繰り返す。「逃げんな」と。鋭く光る赤い瞳で、真っ直ぐに私を射抜きながら。

「俺から」
「っ、」
「つーか、逃げられると思うなよ」

 いつかと同じ宣戦布告のような響きだったけれど、今回は不思議と、追い詰められる感覚も、刺々しい雰囲気も、不快感も、一切感じなかった。それは私の受け止め方によるものなのか、彼の言い方によるものなのかはわからない。
 そもそも彼の今の一言はどう捉えたら良いのだろう。それを理解するのに私の脳の回転では足りなかった。ついでに、彼に関する情報も、私には足りていない。
 しかし、これ以上彼のことを知ってしまったら、いよいよ引き返せなくなるような気がしてならなかった。だから、怖い。踏み込むのが。しかし現状、逃げることも許されなくなっている。ああ、どうしよう。

「もし逃げたらどうなるの?」
「そういうことは逃げる覚悟が決まってから言えや」

 決めてたよ。決めてたはずなのに。あなたのせいで上手くいかないの。どうしてくれるの?
 こんなことを思っている時点で、私はもう、引き返せないところまで来てしまっているのかもしれないけれど。それを認める勇気もなければ、逃げる覚悟もできないなんて、どこまでも宙ぶらりんだ。
 そんな中途半端な私を、彼は逃がしてくれない。そして、捕まえてもくれない。それで良いのに、それが苦しい。私はただ、我儘なだけなのだろう。逃すつもりがないなら捕まえていてくれたら良いのに、と思ってしまうなんて。


本当は逃げたくない兎