なんていうかもう、恥ずかしいどころの騒ぎじゃなかった。けれども、恥ずかしい以上の満ち足りた気分に浸ることができたのも事実だ。
抱かせろ、なんて、そんな露骨な誘い文句を口にした彼には驚いたけれど、それ以上に嬉しかった。求められてるんだ、って。私ちゃんと勝己に愛されてるんだ、って。全身で伝えられたような気がする。
情事中もだけれど、情事後も、彼はびっくりするぐらい私を労ってくれた。一度で終わらず二度三度と繰り返し事に及んだから、無理をさせたという罪悪感みたいなものがあったのかもしれない。
口調は荒々しいけれど、私に触れる時の手付きは間違いなく優しかった。優しい、と言ったら彼はもの凄く嫌な顔をするけれど、本当のことなのだから仕方がない。
そんなわけで、私の「恥ずかしくてまともに彼と接することができない期」は、彼の上手で強引なやり方によって幕を閉じた。あの日以降、私は彼の家にお泊まりセットを常備し、定期的に逢瀬を重ねている。
そうして、冬が深まってきた十二月。街はすっかりカラフルなイルミネーションに彩られ、陽気なメロディーが流れている。毎年この時期になると同じ装飾と音楽で溢れかえるけれど、自分には関係のないことだと思って見向きもしなかった。
しかし今年はどうだろう。彼はあまり興味がないんだろうなと思いつつも、少なからず浮き足立っている自分がいる。いい歳した大人のくせに、まるで子どもみたいに胸が騒ついているのだ。
そんな矢先の出来事だった。彼が突然、私の実家に挨拶に行きたい、と言い出したのは。私は彼の申し出の意味がわからず「なんで?」と、素で訊いてしまった。
だってそんなの今更だし。自分たちもすっかり忘れかけているけれど、もともとお見合いから始まった出会いなのだから、親は当然交際に同意しているわけだし。改めて「ご挨拶」なんて必要ないじゃないか、と。これは私の言い分である。
しかし彼は、意外にも常識的というか、そこらへんのことはきっちりしておきたい性分らしい。「けじめはつけとくべきだろ」と宣った。その真摯な姿勢に私が心を躍らせていたなんて、彼は知らないだろう。
十二月が忙しいなら一月か、遅くても二月には、という話をしていたのだけれど、両親に彼のことを伝えると「いつでも来てくれて構わない」と期待に満ちた表情で前のめりな返事をされた。
そりゃあそうだ。今まで幾度となくお見合いをしてきたけれど、お見合い相手と両親が顔を合わせるのは初めてのこと。堅物で恋愛ごとに冷めきった対応しかしてこなかった私が、遂に結婚への意欲を見せるような行動を取ったのだから、早く我が子を結婚させたいと思っている両親は期待するに決まっている。
しかし、だ。私たちは、かなり遠回りをしながらどうにかこうにかお互いの気持ちを確認して、最近になってやっと恋人らしく振る舞えるようになってきたばかりである。結婚、なんて、彼はそこまで考えているのだろうか。以前にも確認しようとしたけれど、そういえばタイミングを逃してしまってからは尋ねていなかった。
でも挨拶がしたいと言い出したということは、少なからずそういうつもりがある、と。そう解釈してしまって良いのだろうか。そわそわ考えていても仕方がないしきちんと確認しようと思っていたのだけれど、私の意気地がないばっかりに、結局それは確認できぬまま挨拶の日を迎えてしまった。
「ネクタイしてる……」
「当たり前だわ」
「ホテルのレストランディナーに行った時はネクタイしてなかったよね?」
「あン時はこんなモンつける必要なかっただろーが」
「私には違いがわかんないけど」
私が今まで見てきた中で間違いなくキッチリした格好をしている彼に、上から下まで舐めるような視線を送る。その視線を感じ取り居心地悪そうに「行くぞ」と我が家へと向かう彼は、格好以外いつも通りに見えた。
仮にも(仮じゃないけれども)彼女の両親に挨拶に行くのだ。少しぐらい緊張してもおかしくないと思うのだけれど、彼からは緊張が感じられない。暗黙の了解で付き合っているから、そこまで気兼ねしていないのだろうか。さすが、今まで数々の修羅場を潜ってきたであろうヒーローは肝が据わっている。
一方私はというと、自分の両親と彼の顔合わせに密かにドキドキしていた。母はまあ良いとして、父は彼に対してどんなことを言うだろう。彼は両親にどんな挨拶をするつもりだろう。そもそもきちんと敬語が使えるのだろうか。さすがにあの口調のまま話すことはないと思うのだけれど、彼が敬語で話すところなんて全く想像できなかった。
どれだけ心配や不安があろうとも、その時はやってくる。あっという間に到着した我が家。自分の家の前なのにチャイムを鳴らす彼の横で大人しく立っているだけというのは、どうにも落ち着かない。
「いらっしゃい。待ってたのよ」
「お邪魔します」
「……ただいま」
彼の口から「お邪魔します」と飛び出しただけで驚愕している私をよそに、いつもより少し濃いめの化粧を施した母がにこやかに私たちを客間へと誘導する。部屋に入ると既に父がソファに腰かけていて一気に空気が張り詰めるのを感じたけれど、彼が動じる様子はない。
「爆豪勝己と申します。今日はお時間をいただきありがとうございました」
「こちらこそ、忙しいのにわざわざ来てくれてありがとう。どうぞ、座って」
「失礼します」
ネクタイをきっちり絞めたスーツ姿の彼が、敬語で自分の父親と会話をしている。こんな夢みたいなことがあって良いのだろうか。私は父の目の前の席に堂々と座る彼の隣におずおずと腰かけながら、ただただ戸惑うばかりだ。
そこへお茶を四人分用意した母が現れ、父の隣に座った。つまり、いつ本題を切り出しても良い状況が整った、ということである。
こういう時って私が言い出すべき? 今お付き合いしている爆豪勝己さんです、って? それでその後はどうしたらいいの?
なんせこんなシチュエーションは初めてだ。今日彼が挨拶に来てくれることはわかっていたけれど、どんな流れでどんな話をするのか、私は何も考えていなかった。彼はどうなのだろう。私の両親に何か言おうとしていることがあったりするのだろうか。
「なまえがお見合い相手の男性を連れて来てくれるのは初めてでね。今日の挨拶は、なまえとの先を見据えて……という解釈をして良いのかな?」
「お父さん! 私たち、まだそこまで、」
「はい。そのつもりで来ました」
まだそこまで話してないから、と制止をかけようとした私の声に、彼の声が重なった。思わず隣を見たけれど、彼は私の方など全く気にしていない様子で目の前の父に視線を向けている。
そのつもり、とは。私の脳内では、「そのつもり」という五文字がくるくると回っていた。「そのつもり」って、私の都合の良い解釈だと「結婚を前提にしています」って意味になっちゃうんだけど、それで合ってる? ……なんて尋ねられるわけもなく。私はお茶をごくりと飲み干すことしかできなかった。
こんな話の流れになるなんて聞いてないんだけど! という憤りは多少ある。しかしそれ以上に、彼が真剣に私とのことを考えてくれていることを感じて、感動してしまった。私みたいな面倒な女じゃなくたって彼ならもっと良い相手がいるだろうに、それでも私との未来を考えてくれている。悔しいけれど、私にとって彼はとんでもなくイイ男だ。
「なまえもそのつもりで彼を連れて来たんだろう?」
「え? 私は……まあ……うん……?」
父と母と彼と。三人の視線が注がれる中、私は語尾に疑問符を添えた曖昧な返事しかできなかった。彼が両親の前であれだけ堂々としているというのに、なんとも情けない。
でも、だって、自信がなかった。未来の話なんて全然していなかったから、急に「そのつもり」とか、そんな話をされても、彼が本当にそれで良いのか、私には判断できない。だから返事も中途半端になってしまったのだ。
ドギマギしている私に、隣から彼の声が落とされる。いつもより幾分か柔らかな声音で名前を呼ばれて落としていた視線をそちらへ向ければ、赤い瞳と視線が絡み合う。
「お前はどうしたいんだよ」
「どうしたいって訊かれても……」
「俺と別れられんのか」
「それは考えられない」
「じゃあそういうことなんだろ」
別れなんて微塵も考えたことがない。彼と出会って、こういう関係になって、それがいつまでも続いたら良いのに、って。彼の言うところの「そういうこと」を考えていた。無意識に。何の疑いもなく。
そうか、私は彼がいない未来を考えてなかったんだ、と。今更のように気付かされる。
「良かった。なまえに素敵な人が見つかって」
「なまえを宜しく頼む」
「はい」
私が口を出す暇もなく両親と彼は話を納めていて、和気あいあい……とはいかないまでも、普通に雑談を始めていた。私抜きで。彼は当然のように敬語のままで話をしている。どう考えたって滑稽な光景だ、けれど。
私の過去も、それによる両親の考えも、全てを知った上で、彼が面倒な女を捨てない道を選んでくれたらしいということはわかった。そうとなれば、私もきちんと覚悟を決めなければならない。彼と一緒に生きる覚悟を。自分を守るだけではなく、守ってもらうことを躊躇わない覚悟を。