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「#お仕置き」のBL小説を読む
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 隣に誰かが寝ている朝を迎えるのは、大人になってからは間違いなく初めてのことだった。触れている肌から伝わる温度の高さとか、筋肉の硬さとか、質感とか、鼓動のテンポとか、匂いとか、視界に入ってくる肌の色とか。五感全てで「初めて」を堪能する。そんな自分が我ながらなんとも変態くさくて、苦笑するしかなかった。
 彼はまだ寝ているようで、静かな寝息が聞こえてくる。いつも眉間に寄っている皺はなく、少しだけ幼く見えるその表情を下から見上げるような形で暫く眺めて、このまままた眠りについてしまいたい衝動に駆られたけれど、時刻だけ確認したくてそおっと離れようとしたら、腰をがっちりホールドされて身動きがとれなくなった。
 閉じていた瞼がゆっくり開いて、ぱちりぱちりと数回の瞬きを繰り返した後、落ちてくる赤の視線。睨む、ではなく、見つめる、といった表現が正しいだろうか。その眼差しと同じく柔らかな声が降ってきて、私はどくりと心臓を跳ねさせる。

「起きんの早ェわ」
「今何時?」
「……五時」

 いつもより少し掠れた低めの声に、いちいちどきりとしてしまう。時刻を確認するために身を捩りながらも、私の腰に回した腕は離さない。

「じゃあシャワー浴びる時間あるね」
「シャワー浴びたら家まで送る」
「いや、いい、大丈夫」
「は?」

 会話をしながらさりげなく視線を逸らしてベッドから出ようとしたのだけれど、作戦はあえなく失敗に終わった。彼が不機嫌さを露わにした声を発しながら私の腰を強く抱き寄せたからだ。
 昨日の今日でこの距離感はいかがなものか。私は夜のあれやこれやを思い出して彼とまともに目を合わせることすらも躊躇っているというのに、彼は全く気にしている素振りを見せない。世間一般の男女は、これが普通なのだろうか。
 家に送ると申し出てくれたのはありがたいし嬉しいけれど、どんな顔をして彼と二人きりの時間を過ごしたら良いかわからなくて困るというのが、私の正直な気持ちだ。今だって、どうにか一人になって冷静に今後の対応方法を考えようと思っていたところだったのに、ベッドから出ることすら許してもらえず非常に困っている。

「何逃げようとしとんだ」
「シャワー浴びたいだけだってば」
「何かあんなら言え」
「何もないよ」
「俺から逃げられると思ってんのか?」

 よく考えなくても私は下着しか身に付けていないし、彼が私を引き寄せれば引き寄せるほど肌が密着する。嫌ではない。決して嫌ではないのだけれど、この手の経験がほとんどない……というより、初めてと言ってもいいぐらいの経験しかない私にとって、この状況はハードルが高すぎた。
 至近距離にある彼の顔。当然、反射的に顔を逸らしたものの、解放してくれる気配はないので、ここからは我慢比べだ。
 ちらり。彼の顔をほんの少しだけ盗み見る。口角が上がっていることだけを確認し、なんと余裕がある意地悪な男だろうかと嫌になって。けれどもそんな彼の表情に胸を弾ませている自分が、もっと嫌だった。
 もともと優しい男ではないと思っていた……いや、でも昨日の夜は……と、そこで思い出したのは、私を慈しむように見つめる柔らかな瞳と手つき。もはや彼は「爆豪勝己」を名乗る別人なのでは? とすら思った。
 だめだ。どんどん泥沼にハマっていっている気がする。とりあえず離れたい。離れて、落ち着きたい。どうしたら彼は私を解放してくれるだろうか。私は目を覚ましてそれほど時間が経っていない頭で必死に考える。そして、

「勝己」

 ただ、彼の名前を呼んだ。すると、ぴくり、と。間違いなく彼の手が震えた。どうやら私のささやかな攻撃は、彼にそれなりのダメージを与えることができたらしい。名前を呼ばれて少なからず動揺している様子だった夜のことを思い出して試しに呼んでみただけだけれど、功を奏したようで良かった。
 もう一度名前を呼んで「離して」とでも言えば、もしかしたらここから離れられるかも。と、思ったのも束の間。攻撃された彼が、大人しくダメージを食らって終わってくれるわけがなかった。

「なまえ」

 お返しと言わんばかりに、彼が夜の情事中を彷彿とさせる低音で私の名前を呼んだ。もちろん私は「離して」などと言葉を発せるわけもなく押し黙る。そうこうしているうちに腰に回されている手の力も増しているような気がするし、事態はみるみるうちに悪化の一途を辿っていて、私はもうすっかり戦意を喪失してしまった。
 白旗を振り、恥ずかしさを押し殺して本音を吐露する覚悟を決める。彼のことだから「理解できない」という反応をするだろうけれど、理解してもらえないとしてもこればっかりはどうしようもない。

「……どんな顔したらいいかわかんないんだもん」
「はァ?」
「だって昨日の今日で急にそんな、切り替えられないでしょ、普通」
「何をどう切り替えンだよ」
「だから、その、恋人? みたいな空気に……」
「みたいな、じゃねーだろ」
「あー! もう! ニュアンスでわかるでしょ!」

 勢い任せにムッと彼を睨んでから、そんなことをするべきではなかったと後悔。照れ隠しでぎゃあぎゃあと喚く私を、それはそれは満足そうな笑みを携えた彼が見つめていたからである。
 これは絶対に面白がっている。今までが今までだっただけに、そりゃあ彼からしてみれば面白い以外の何ものでもないだろう。まったく、心底性格が悪い男だと再認識させられる。
 この調子だと離してもらえないのだろうと諦めかけていたら、腰に回されていた手の力が緩められた。そしてあっさりと、完全に解放される。それを望んでいたはずなのに、彼の手の温度がなくなっただけでなぜか寂しさを感じてしまう私は、どうかしているのかもしれない。

「シャワー行くんだろ」
「あ、うん」
「タオル適当に使え」
「ありがとう」
「飯は」
「え? あー……え?」

 朝はご飯とパンどっち派? という意味で問われたのだろうか。それとも食べるのか食べないのか、ただそれだけを確認したかったのか。混乱した私は、ただ返答に迷う。
 どちらちせよ、尋ねてきたということは彼が少なからず朝食を準備する意思を持っている、と解釈してよいのだろうけれども。あの爆豪勝己が私のために朝食を用意してくれるかもしれないなんて、とんだハッピーモーニングである。
 いいのかな。ほんのちょっと甘えてみたりしても。引かれたり嫌がられたりしないかな。迷いながらも、私はおそるおそる欲望を吐き出してみる。

「時間あったら食べたい、かな」
「ん」
「まさかとは思うけど用意しようとしてくれてる?」
「だったら何だよ」
「いや、なんか、こう……爆豪勝己ってこんなのだったっけ? っていう戸惑いが」
「こんなのじゃなかったらどんなのだよ。ッたく……」

 漸く離れられたという安堵と、ちょっぴりの寂しさを感じながらベッドから出た瞬間、腕を引っ張られて体勢を崩す。そうすると必然的に思いっきり彼にダイブする形になり、事故的に唇がぶつかった。慌てて離れると、ぺろり、唇を舐められて、顔面にかあっと熱が集まる。

「こんなのに慣れろ」

 いやいやいやいや。絶対あなた爆豪勝己じゃないでしょ。爆豪勝己の皮を被った別人でしょ。
 ニヤつく顔に腹が立って近くにあった枕を投げつけてみたけれど、普通に手でキャッチされた。慣れろって言われてそう簡単に慣れるわけないじゃん。馬鹿じゃないの。
 下着姿でずかずかとお風呂場へ向かう。下着姿を見られて恥ずかしいという気持ちはどこかへ飛んでいってしまった。そんなことよりも、少し物理的距離を置くことでどうにかしていつも通りの空気に戻したい。そうしなければ、全身が焼け焦げてしまいそうだから。

 シャワーを浴びる。全身さっぱり。頭もすっきり。クールダウンもできた。髪を乾かしていると、ほんのりいい香りが鼻をくすぐって、本当に朝ご飯準備してくれてるんだ、って自然と頬が緩む。
 台所に向かうと、テーブルの上に焼き立てのトーストと目玉焼き、サラダが二人分置いてあって素直に驚いた。こんなことできるんだ、って。彼が私のために用意してくれたんだ、って。
 
「料理できるんだね」
「これぐらい誰でも作れんだろ」
「今までも誰かに作ったことあるの?」
「ねェわ」
「……そっか」
「ぼさっとしてたら食う時間なくなんぞ!」

 私がだらしなく笑っていることに気付いた彼が大きな声を出してどかりと椅子に座った。全然怖くない。むしろ更にニヤけてしまう。
 丁寧に両手を合わせて「いただきます」を唱えて、ぱくり。何の変哲もない目玉焼きのはずなのに、口の中いっぱいに幸福が広がったような気がした。


朝は幻を連れてくる