大人になったら皆例外なく結婚しなければならない。……という法律は今のところ制定されていないはずだ。にもかかわらず、なぜ私の周りの大人たちは、パートナーを見つけて結婚するのが当然だと思っているのだろうか。
それなりの年齢を迎えて結婚していない私に対して、「まだ結婚してないの?」「お付き合いしてる方はいないの?」「誰か良い人を紹介してあげましょうか?」と声をかけるのは親切心からなのかもしれないけれど、残念ながら完全に大きなお世話であるということにそろそろ気付いていただきたい。
その手の大人たちは、大抵の場合、口を揃えてこう言う。「結婚したら幸せになれるんだから」と。そして私はその言葉に対して、にこりと笑みを張り付けて「そうですね」と心にもない返事をするのがお決まりだった。
本当は結婚したら幸せになれるなんて微塵も思っていない。むしろ、一人の方が自由で幸せじゃないかとすら思っている。私の幸せは私が決める。だから口出しせずに放っておいてほしい。それが本音。
しかし、本心を言ったところで大人たちには理解してもらえない。それが分かっているから、一番面倒臭くならずにその場をやり過ごせる方法として、適当に受け流すというのがルーチン化してしまっただけなのである。
「また?」
三月下旬。父に呼び出された時点で嫌な予感がしていたけれど、その予感は見事に的中した。
私の目の前に出されたのは、見覚えのある白いアルバム。開かずともその中身は容易に想像ができた。はあ。私は深く息を吐く。
「誰とも結婚するつもりはないって何度も言ってるはずなんだけど」
「わかっている。だがお前は、」
「私だってわかってる。お父さんとお母さんの気持ちぐらい。でも、結婚はしないって決めてるの」
私は白いアルバムを開くことなく父に突き返した。
先ほど「また」と言ったように、この手の話を持ち出されるのは初めてではない。むしろ二回、三回どころではなく、何回目になるかも分からないほど繰り返されていることだった。
父もいい加減諦めてくれたら良いものを、私の意見など忘れてしまったかのように次から次へと新しいお見合い写真を持ってくるのだから、往生際が悪いというか何というか。はあ。私は早くも本日二回目の深い溜息を吐いた。
父と母は私を結婚させたいと強く思っているから、こうして定期的にお見合いをセッティングする。「お前の幸せのため」。「あなたの幸せのため」。父と母は、まるで暗示をかけるみたいにその呪文を繰り返すけれど、私は頑なに拒み続けていた。
一人の方が良い。気が楽だから。自由だから。その理由も嘘ではない。けれど、真実はもっと根の深い部分にある。そして父と母が私を強く結婚させたがっている理由も、その根っこの部分が関係していることは分かっていた。
全ては私の“個性”「レジストクワーク」のせい。簡単に説明すると、私の“個性”は他人の“個性”に侵されないという能力を持っている。もっと分かりやすく言うと、私はこの“個性”が発現した時から“個性”関連の攻撃が全く通用しない体質なのだ。無意識下においても、勝手に見えない壁のようなもので自分を防御する。そういう“個性”。
叩く、殴る、蹴るなどの物理的な攻撃は、普通に食らう。しかしその攻撃にひとたび“個性”の力が加わると、私には通用しなくなるのだ。こんな“個性”が日常生活において役立つ場面はほとんどない。
けれど、ヒーロー活動において、この“個性”は非常に役立つらしかった。そしてヒーロー活動に役立つなら、その逆もまた然り。ヴィランにとっても、この“個性”は有用だった。
私がまだ中学生の頃、公にはなっていないけれど、オールフォーワンというヴィランが私の“個性”を奪いに来るという事件があった。
祖父は優秀な警察官で、警察組織だけでなくプロヒーローにも応援を要請し、私を守ってくれた。結果、私はこうして生き延びている。しかし私の代わりに犠牲となった祖父は、帰らぬ人となった。祖父の他にも、警察官やプロヒーローが数名殉職したと聞いている。
怖かった。命を狙われていることよりも、自分のせいで誰かが亡くなったという事実が。その事件があってからだ。私が他人と一定の距離を保って接するようになったのは。
オールフォーワンはもう何年も前に投獄された。今生きているのかどうかさえ分からない。しかし、オールフォーワンの意志を受け継いでいる残党が、まだどこかに存在している可能性は大いにあり得る。つまり、また私の“個性”を狙う輩が襲ってくるかもしれないのだ。
私に危害を加えるのは一向に構わない。けれど、私のせいで周りの人が傷付くのは、もう御免だった。私と深く関わったら、その人の身に何が起こるか分からない。結婚なんてしようものなら、夫となる男性は否応なく危険にさらされる。それは避けなければならない。
そんなわけで私は、絶対に誰とも結婚しないと決めていた。もう二度と、あの事件の時のような犠牲者を出さないために。
父と母は、その一件があったからこそ、私を結婚させたがっている。いざという時に私を守るため、盾となれるような男性との結婚を望んでいるのだ。その証拠に、今までのお見合い相手は屈強な男性ばかり。
父と母が私のことを思ってセッティングしてくれたわけだし、会うだけなら良いか、と思って最初のお見合いを受けてしまったのが運の尽き。そこからは断っても断ってもお見合い地獄が待っていた。
「お父さん。私は、」
「これが最後で良い」
「え?」
「今回の相手が駄目なら、今後はもう見合い話は持ってこない」
「……本当に?」
「約束しよう」
父は祖父の後を継ぐような形で警察官としての地位を上り詰めた。基本的に厳格な人だ。嘘を吐かれたことは一度もない。
つまり、今回のお見合い相手も今までと同じように、あしらうなり、愛想を尽かしてもらえるよう仕向けるなり、怒らせるなりして破談に持ち込めば、今後はお見合い地獄から解放されることが保障されたということになる。それならば話は早い。
「分かった。これが最後ね」
「今週の日曜日だぞ。先方には連絡しておく」
こうして取り付けられたお見合いの席。父に押し付けられる形で渡されたアルバムの中身は見なかった。見たところで、どうせこの写真の人とは結婚しない。一度会って、食事でもして、それで終わり。だから見ても見なくても問題ないと思ったのだ。
けれども私はお見合い相手に対面した瞬間、アルバムの中身を見ておくべきだったと後悔した。そのお見合い相手というのが、普段あまりテレビを見ない私でも知っている有名なプロヒーローだったからだ。
プロヒーローが相手となれば、一緒に食事をしているだけで写真を撮られたり変な噂を流されたりするリスクが非常に高い。だから、配慮しなければならないことが多いのだ。それはつまり、一般人を相手にするより緊張感も疲労感も倍増するということ。それなりに心の準備が必要なのである。
お見合いの席として用意されたお店はそれなりに格式ばった感じの料亭で、当然のことながら個室。今日のことがマスコミの餌になることはないだろうけれど、一応気を付けておかねばならない。
ちらり。料理が運ばれてくるまでの間、何度か正面に座る相手の顔色を窺う。視線は全く合わない。相手がそっぽを向いているからだ。
眉間に深々と皺が寄っているところを見ると、彼は明らかに、お見合いに乗り気ではなさそうだった。こんな様子で、なぜこの場に来たのだろうか。まあ理由なんてどうでも良い。相手にその気がないなら好都合だ。
「あの」
「あァ? ンだよ」
「料理、冷めますよ」
「言われなくても食うわ! ほっとけ!」
「それは失礼しました」
料理が運ばれて来てからちっとも手をつける様子がなかったから試しに声をかけてみれば、なんとも暴力的な返事をされて、私は口を噤んだ。見かけ通りと言ったら失礼かもしれないけれど、彼はかなり口が悪いようだ。そういえばテレビでちらりと見たヒーローインタビューの時でも、確かこの人はかなり横柄な物言いだった記憶がある。
周りに媚びへつらわず裏表のない性格といえば聞こえは良いけれど、私個人としては、大人ならもう少し空気を読むべき……というか、人として最低限のマナーは守るべきだと思う。これではまるで身体だけが大きくなった子ども同然だ。
父は、有名なプロヒーローと結婚したら娘を守ってくれるだろうから安心だ、と思って彼とのお見合いを取り付けたのかもしれない。しかし彼は今見る限り、例えプロヒーローという肩書きを背負っているとしても、自分が納得していなければ誰かを守ったりはしない。……ような気がする。とりあえず、父の思惑通りにいくとは到底思えなかった。
まあ彼がどんな性格だろうとどうでも良い。この料理を食べ終えたら、お見合いは終了。私たちには何の接点もなくなる。彼もそれを望んでいるはずだ。
食後のお茶をゆっくりと飲み干す。意外にも彼は綺麗に食事をする人で、いつの間にか静かに全ての料理をたいらげていた。不機嫌さを露わにした態度は相変わらずいただけないけれど、テーブルマナーをわきまえているのはポイントが高いかもしれない。もっとも、ポイントを積み重ねたところで何の意味もないのだけれど。
「今日はありがとうございました」
「思ってもねェくせに、よくそんなことが言えんな」
「社交辞令って言葉、ご存知です?」
「やる気がねえなら最初っから来んなや」
「それはお互い様でしょう」
冷静に、そしてできるだけ穏便に終わらせようと思っていたけれど、私にも限界というものがあった。彼には彼の事情があるように、私にも私の事情がある。それなのに、こちらの事情などまるで無視して、どうしてここに来たんだよテメェは、と全面的に私を責めるような口調で言われると、さすがに腹が立つ。
黙って大人しくしていれば、彼は一体何様のつもりなのか。ちょっと有名なプロヒーローだからって、好き放題して良いわけじゃないだろう。出会ってから今に至るまでの態度といい、口の聞き方といい、非常識すぎる。先ほどの失礼且つ自分本意な発言をキッカケに、抑えていた怒りが私の中でどんどん大きく膨れ上がっていくのが分かった。
どうせもう二度と会うことのない人だ。どう思われたって構わない。だったら遠慮なく言ってやろう。私はすうっと息を吸うと、一思いにぶち撒けてやった。
「私はあなたみたいに粗野な男の人はタイプじゃないので、心配しなくても好きになんてならないし結婚もしませんよ。あなただって最初からやる気なんてなかったでしょう?」
「なんだと……?」
手からプスプスと火花を散らす彼は青筋を浮かべて私を睨んでおり、相当ご立腹の様子。しかし、私は怯まなかった。なんせ彼がどれだけ大きな攻撃を仕掛けてきても、私には擦り傷一つ作ることができないのだ。恐れる必要はない。
言いたいことを言ってすっきりした私は冷静さを取り戻し、彼の反応を待つことにした。「テメェみたいな女はこっちから願い下げだ!」とでも言ってもらえたら、無事にこのお見合いはぶち壊し。めでたしめでたし。……だと思っていたのに。
「決めた」
「何を?」
「……テメェのことは絶対ェ泣かす!!」
「はい?」
「覚悟しやがれ!!」
「……はい?」
覚悟しやがれと言われても、それは一体何に対する覚悟を指しているのか。そもそも、なかす、とは。泣かす? 鳴かす? 私の脳内で「鳴かせてみせようホトトギス」というフレーズがグルグル回り始める。豊臣秀吉じゃあるまいし、彼は何をムキになっているのだろう。まったくもって理解できない。
はあ。獲物を捕らえようとしている獣の如き鋭い眼光を向けてきている男に、私は顔を顰めて溜息を吐くことしかできなかった。呆れて物も言えないとはまさにこのことである。
とりあえず一つ分かっているのは、私がお見合いより厄介な勝負に身を投じなければならなくなってしまったということ。ただそれだけだ。