Tの落胆
俺は自分が仮免取得できると信じていた。というか、取得できている状態以外の未来など、考える余地もなかった。当たり前だ。自分の強さは自分が一番よく知っている。俺が仮免を取得できなかったら、他の奴らだって取得できやしない。そう思っていた。
だからなまえにあんなことを言った。今日が終わったら、ヒーローになるための一歩を踏み出すことができたら、その時はこのモヤモヤとした気持ち悪い感情を吐き出そう、と。そう決めていた。
元々、感情を押し殺すなんて俺の性に合わなかったのだ。中学までは、このうざったい感情が膨らむことはなかった。押し殺すことに苦痛を抱かぬほど、小さな感情だった。
それが、高校に入り、例の事件に巻き込まれて、突然変化し始めた。あの事件が全てのキッカケとは言えないかもしれないが、自分の中で改めてみょうじなまえという女の存在の大きさを認識するには十分すぎる出来事だったというのは間違いない。
兎に角、俺は仮免を取得し、なまえに自分の気持ちをぶつける。俺の見立てが間違っていなければ、なまえも少なからず俺と同じ感情を抱いているはずだ。そうでなければ今までの言動に説明がつかない。だから、さっさと言って楽になってしまおう。そう思っていた。
それなのに、蓋を開けてみればなんだこのザマは。そういう浮ついたことを考えていたバチが当たったとでも言うのだろうか。俺は仮免取得試験に不合格という信じられぬ結果を目の当たりにし、愕然としていた。俺と、半分野郎が落ちた。成績上位である俺と半分野郎だけが落ちた。つまり、デクは受かったのだ。
あの、ずっと俺の後ろを付き纏っていただけのデクが、俺を追いかけ、並び、遂には追い越した。これは一体どういうことだ。分からなかった。違う。理解ができなかった。違う。理解したくなかった。
ずっと考えていたのだ。デクの“個性”について。オールマイトとの関係について。オールマイトが隠したいと思っているならそれでもいいと目を背けてきたが、それももう限界である。
認めたくはないが、デクは目に見えて強くなった。クソザコだったくせにいつの間にかオールマイトに認められるまでに成長している。ついでに仮免も取得した。
対して俺はどうだ。あの事件のせいで、自分が弱くてクソヴィランに攫われてしまったばっかりに、憧れのオールマイトのヒーロー人生を終わらせてしまった。仮免も取得できなかった。デクの背中を追いかける側になってしまった。こんな転落人生があって良いのだろうか。もう、何をどうしたらいいのか分からなかった。分からなくなった。
「デク後で表出ろ…てめェの“個性”の話だ」
俺は動いた。そうすることが正解なのかと尋ねられたら、恐らく間違っている。俺はこのどうしようもない気持ちをぶつけたいだけのどうしようもない奴なのかもしれない。それでも、こうする以外の方法が思い浮かばなかった。
ずっと、ずっと昔から一緒だった。俺とデクとなまえ。その関係性は変わるものではないと思っていた。俺は上に行って、ナンバーワンヒーローになって、デクは昔と変わらず何もできないクソザコで、なまえもちょろちょろと俺の周りに纏わり付いてくるだけの女で、ずっとそのままだと思っていたのだ。俺が成長する分だけ、二人が変わっていくなんてこと考えもしなかった。
仮免取得試験の前もそうだ。俺は俺のことしか考えていなかった。自分を信じて疑わなかった。その結果がコレ。なんなんだよ。なんで俺は、俺だけ、こんな、こんなにも。
言いようのない、表しようのない感情は、全てデクにぶつけた。八つ当たりと言われればそうかもしれない。だが、俺の憧れとデクの憧れは違ったのか。どうしてこんな結末に辿り着いてしまったのか。その答えを出すためにはこうするしかなかった。確認するしかなかったのだ。
結果的に、俺はデクと戦って勝った。勝ってしまった。オールマイトから力を授かったデクに。だからって何だというのだ。俺はこんな勝ちを望んでいたわけじゃない。答えも見つからないまま、言いようのない感情だけがどんどん大きくなっていく。
「何で敗けとんだ」
俺のその問い掛けに、デクは答えなかった。ただ苦しそうに息をするだけで、何も返事をしなかった。
それからはオールマイトが来て、話をした。今までのこと、これからのこと、全てを納得しきれたわけではない。が、少し落ち着いた。整理ができた。俺のすることに変わりはないと開き直ることができた。
それによる代償は些か大きくて、俺は四日間、デクは三日間の寮内謹慎を食らうハメになった。新学期のスタートに大きく出遅れることになったのである。だが、仕方がない。俺から手を出した。その事実に変わりはないから、それ相応の罰を受けるしかない。
「謹慎中なんだって?」
「うるせェな…」
「なんで喧嘩しちゃったの」
「だァからうっせんだっつの!!」
「変わんないねえ、昔から」
ヒーロー科は七限目まで授業があるが、その他の科は六限目までしか授業がない。だから始業式の翌日の夕方、この寮には俺とデクと、六限目を終えてやって来たなまえしかいなかった。ちなみにデクは風呂場の掃除に行っていて、俺は共同スペースである食堂付近のゴミを集めている真っ最中だ。
なまえは椅子に座って俺がせっせと掃除をしている姿を眺めながらぼやく。ちなみに仮免取得ができなかったことはまだ言っていない。気になっているはずなのになまえの方から尋ねてくることはなくて「授業置いていかれちゃうね」なんて、呑気に心配してくれている有様だ。
「……仮免」
「あ、うん」
「落ちた」
「そっか」
「そンだけかよ」
「試験終わってすぐに連絡なかった時点でそうかなあって思ってたよ」
なまえは馬鹿じゃない。察しも良い。だから全てお見通しだったというわけか。もしもあえてその話題に触れないようにと気遣われていたのだとしたら、これほどプライドが傷付くことはない。が、なまえは気遣っているわけではないのだろう。俺が言いたくないなら聞かない。そういうスタンスを貫く女だから。
「それが原因で喧嘩しちゃったのかなって考えてた」
「…そういうわけじゃねェ」
「もっと落ち込んでたら慰めてあげようと思ってたのに」
随分とふざけたことを言ってくるなまえに「誰が慰めてもらうか!」と怒鳴り散らす。それが通常の俺だ。しかし今日はどういうわけか、何も言い返す気がおきなかった。
もっと落ち込んでたら? 俺が落ち込んでないとでも思ってんのかよ。落ち込んどるわ。腹も立ってるしムシャクシャもしてるに決まってんだろ。俺がどんだけ落ち込んでりゃてめェは慰めようと思うんだよ。何をどうやって慰めるつもりでいンだよ。
ゴミ袋をその場にどさりと置いてなまえの方に身体を向けた。不思議そうにくるりと見つめてくる二つの眼は相変わらず大きい。
「掃除終わり? それとも休憩?」
「てめェは今でも俺とデクを同じように見てンのか」
「…なんで急にそんなこと、」
「急じゃねえ。ずっと思ってたことだ」
「同じじゃ、ダメなの?」
困惑した瞳が微かに揺らいでいることには気付いていたが、ここで有耶無耶にしてやれるほど、俺は甘い性格をしていない。
「駄目だから訊いとんだ」
俺は卑怯だ。仮免を取ったら話があると啖呵を切ったくせに、結果が伴わず示しがつかないからと感情をひた隠しにしたままなまえだけを囲い込もうとしている。こんな言い方で、こんなやり方で、なまえを追い詰めたいわけではないのに。言葉が、行動が、俺の理性とは別の領域で勝手に暴走している。
どう答えようかと明らかに戸惑っている様子のなまえを見ただけで、答えは出ているようなものだ。なまえにとっての俺とデクの立ち位置はずっと変わらぬまま、同じままなのだろう。それを伝えたら俺がどういう反応をするのか分からなくて、答えるのを躊躇っているに違いない。
「かっちゃん、そっちの掃除終わ…え、何? どうしたの?」
「私そろそろ行くね」
「えっ!? ちょ、なまえちゃん…!」
風呂掃除からデクが帰ってきたのを見たなまえは、この機を逃すまいと逃げるように寮を出て行った。そう、なまえは俺から逃げたのだ。
おろおろしているデクを怒鳴ることも「目障りだ」とあしらうこともできなかった。それぐらい、ショックだった。逃げられたことが、じゃない。選ばれなかったことが。そしてデクが現れた瞬間「助かった」という顔をされたのが。なまえにとってのヒーローはデクで、俺は、敵になってしまった。そう感じさせられたことが。
惨めだ。俺は誰にも選ばれない。オールマイトにも、なまえにも。こんなはずじゃなかったのに。