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 風が吹いた。澄んだ空気を更に引き締めるような、冷たい風が。冬間近、もしかしたらもう冬本番に片足を突っ込んでいるかもしれない、そんな寒さを感じ始めた十一月下旬。夜になると余計にその寒さが感じられる。
 冬は寒くて空気が澄んでいるから星が綺麗に見えると聞いたことがあるけれど、それは果たして本当なのだろうか。春でも夏でも秋でも、星はいつだって綺麗に輝いているように見えるのに。

「オイ」
「わ、びっくりした……どうしたんですか、こんな時間に」
「それはこっちのセリフだ」

 ぼーっと夜空を眺めていると、音も気配もなく背後から声をかけられて身体がビクついた。けれど、その声の主がわかれば、音も気配もなく背後に立たれても驚きはしない。彼は風柱、だった人だから。
 相変わらず人相が悪い。そしてドスの効いた声音。けれども、怒っているわけではなさそう。出会ったばかりの頃は、常にこんな調子の彼を恐れていた。怒られているのだとばかり思って、内心ビクビクしていたのだ。
 けれど月日を重ねるごとに、彼の声音の違いがわかるようになってきた。本当に怒っている時と、そうでない時、少し機嫌が良い時、実は微妙に声色が違う……と感じているのは私だけかもしれないけれど。兎に角、感覚的に少しずつ違いがわかるようになってきたことは確かだ。
 ちなみに今の声のトーンは、怒ってはいないけれど、普通より少し不機嫌そうな雰囲気。もしかしたら丑三つ時に外をうろついている私を見つけて、ちょっと心配になったからかもしれない。……というのは、勿論冗談だけれど。

「目が覚めてしまったので夜風にでも当たろうかなあと思いまして」
「このクソ寒ィのにかァ?」
「気分転換ですよ。不死川さんこそ、こんな時間にどうされたんですか?」
「俺は……習慣みてェなもんだ」

 その一言で、全てを察する。
 丑三つ時。普通なら皆が寝静まっている時刻。しかし鬼殺隊の柱だった彼は、その時刻に活動する鬼たちを滅するのが仕事だったから、普通が普通になり得なかったのだろう。
 最後の決戦を終え、鬼殺隊の役目は終わった。けれども、彼の身体には染み付いているのだ。鬼殺隊の頃の、風柱として剣を奮っていた頃の、生活習慣が。だからこの時刻に目覚めてしまうのは、彼にとって普通のことなのかもしれない。
 私も一端の隊士だった。彼のように、身体に生活習慣が身に付いてしまうほど隊士として長く経験を積んできたわけではないけれど、それでも同じ戦場で剣を奮ってきた。
 私たちがもう二度と剣を奮わなくて良くなったことは、喜ばしいことだ。誰も理不尽に命を奪われない。家族や大切な人を失うこともない。それが私たちの日常で当たり前になる。こんなに幸せなことはない。
 しかし、鬼殺隊としての役割を終えてしまってからというもの、心にぽっかりと穴があいたように感じていることもまた事実だった。手放しでこの幸せを喜べないなんて、きっとおかしい。けれど、この心にあいた穴を埋める術が見つからないのだ。

「不死川さんは、ふらっと消えてしまうのではないかと思っていました」
「なんだァ藪から棒に」
「柱としての役目を終えたら私たちの前から姿を消してしまうのではないかと、勝手に思っていました。すみません」
「謝ることじゃねェだろ」

 不死川さんは、なぜか少し愉快そうだった。口角を上げたわけでもなければ、わかりやすく笑って見せてくれたわけでもない。けれど、声は少し弾んでいた、と思う。

「こうして平和な日々が過ごせるのは夢みたいなことだと思いませんか」
「これが普通なんだろ」
「慣れますかね」
「さァな」
「慣れて、しまうんですかね」

 それは、今の平和な日々に慣れることを恐れていると暴露しているようなものだった。けれど、本当に恐れているのだからどうしようもない。
 幸せは怖い。そして、幸せに慣れてしまうのは、もっと怖い。いつかまたこの幸せが壊れてしまった時、何かを失ってしまった時、とんでもない絶望感を味わうことになってしまうのだろうと思ったら、怖くて堪らない。

「テメェは慣れろ」
「じゃあ不死川さんは?」
「俺には似合わねェんだよ、そういうのはなァ」
「一緒に慣れましょうよ」
「……俺はもう一人でいい」

 彼らしくなくぽつりと落とされた言葉を、私は聞き逃さなかった。
 きっと彼は私以上に今を恐れている。彼はこれまで、私なんかよりずっと沢山のものを失ってきた。だから、これから先もしものことがあった時のことを考えたら「一人でいい」という結論に至る気持ちは大いにわかる。
 けれどもそれを承知で、私はもう一度言う。「私は不死川さんと一緒がいいんです」と。とんでもない我儘をぶつける。
 すると不死川さんは、やっぱり少し愉快そうに言った。今度はほんのちょっぴりだけ口角を上げて。

「テメェは物好きだなァ」
「風柱の継子を目指していた女ですから」
「違いねェ」
「それで、私の誘いにはのってくださるんですか?」

 尋ねてみたけれど、返事をもらえないことはわかっていた。彼はきっと何も言わず、有耶無耶のまま、この場を終わらせるだろう。誰とも何の約束もしない。相手のために。自分のために。彼はそういう人だ。

「冷えるぞ。そろそろ戻れ」
「不死川さんも、ですよ」
「うるせェ女だ」
「これからも勝手に付き纏う予定ですから覚悟していてくださいね」

 私がただ剣の師匠として慕っているわけではないということに、彼は気付いている。気付いていて、優しくする。優しくして、突っ撥ねる。それの繰り返し。
 残酷で、けれども幸せで。私はこの関係が、結構気に入っている。だから失いたくない。もう、二度と。何もかも。
 空を見上げる。と、偶然にも星が流れる瞬間を目撃した。願い事を唱えたら叶うというのは本当なのだろうか。考えている間に消えてしまったからもう遅いかもしれないけれど、私は心の中で願う。
 どうかこれからも、この幸せが続きますように。誰にも何も奪われませんように。彼が一人ではなく誰かと生きる喜びを感じられる日が来ますように。その時を見届けられますように。
 欲張って祈りすぎてしまったけれど、全て叶えてくれたらいいなあと思う。

「今流れ星が見えたんですよ。不死川さんも見ましたか?」
「見てねェな」
「私、願い事したんです」
「くだらねェ」
「くだらなくないですよ」
「願いってのはテメェで叶えるもんだろ」
「……その考え方、不死川さんらしくて好きです」

 考え方だけではない。私は不死川実弥という人物のことが好きなのだ。言わないだけで。言えないだけで。

「いい加減戻るぞ」
「一緒に?」
「……仕方ねェな」

 彼は私が歩き出すのを確認して、きちんと付いて来てくれた。私の茶番に付き合ってくれたのだ。わかりにくいけれど、当然のように優しい人。そんなところが、どうやっても好きだ。きっとこの気持ちは永遠に伝えられないだろうけれど、それでも。
 風が吹く。先刻一人で夜空を眺めている時よりも、なんとなく温かく感じる風。もう冬なのに温かいなんておかしいけれど、でも、確かに頬を撫でるそれは、温かかった。

「おやすみなさい」
「あァ」

 願わくば、明日も明後日も一年後も十年後も、彼とくだらない会話をして、馬鹿にされて、時々怒られて、時々笑う。そんな日々が過ごせますように。
 この願いは、星には捧げない。願いは自分で叶えるものだから。

 それから×年後の冬。私の隣に、彼は、

飛ぶ星には叶えられぬ