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※ご都合主義な転生あり。苦手な方はご注意ください。





 あの人は、帰ってこなかった。

 いつかこんな日が来るんじゃないかと覚悟はしていた。けれど、心のどこかで「あの人なら大丈夫」と、妙な自信を持っていたような気もする。
 人間ではない、鬼という異形の恐ろしい生物を相手にしているのだ。今までずっと、怪我を負いながらも無事で帰ってきていたことの方が奇跡である。だからあの人が帰ってこなかったのは、その奇跡が途絶えた。ただそれだけのこと。

「あの、俺、」
「ありがとうございました」
「え」
「あの人の最期を見届けてくださって」
「そんな……俺は、俺が……っ、」
「一つだけ、訊いてもよろしいですか?」
「……一つでも二つでも、俺が答えられることは何でも答えます」

 あの人の最期を見届けてくれたという隊士の少年は、透き通った瞳を潤ませて、けれども真っ直ぐに、ブレることなく私を見据えて頷いてくれた。
 こんなにも若い少年が鬼殺隊の隊士なのかと、いつかはあの人と同じ未来を歩むことになるかもしれないのかと思うと、やりきれない気持ちになる。しかしこの少年もまた、あの人と同じように志をもって剣を握っているのだろう。目の前の彼の瞳に宿る熱がどこかあの人を彷彿とさせて、声が詰まった。
 あの人の訃報をきいてから、私はなぜか涙を流すことができずにいる。今も、竈門炭治郎と名乗った少年は涙を必死に堪えているというのに、私の瞳はひからびたままだ。
 まだ受け止めきれていないのかもしれない。信じきれていないのかもしれない。感情が追い付いていないだけなのかもしれない。そうでなければ、最愛の人を亡くして泣くことができない理由の説明ができない。

「あの人は最期、苦しんでいませんでしたか?」
「はい」
「後悔、していませんでしたか?」
「はい」
「わらって、いましたか、」
「はい。とても穏やかに」
「……よかった、」

 漸く、視界が滲んだ。頬に温かいものが伝う。
 あの人は帰ってこなかった。その事実は理解していた。受け止めていた。ただ、あの人が口癖のように言っていた「責務を全うする」ということができたのか。それがわからなかったから、きっと自分の中で踏ん切りがついていなかったのだ。
 穏やかな笑顔。そうきいて、あの人の、暖かい陽だまりのような笑顔を、容易に思い出すことができた。忘れようとしても忘れられるわけがない。何度も私に向けてくれた、慈愛に満ちた笑顔だ。

 ああ、そうか。もうあの人はいないのか。あの笑顔を見ることは二度とできないのか。
 それを唐突に思いしって、私はその日、比喩でもなんでもなく、涙が枯れ果てるまで泣いた。それまで貯めていた身体の中の水分を全て流し出すみたいに。声を押し殺して、涙だけを流し続けた。
 泣き疲れた私は、そのまま眠りに落ちていた。そしてその眠りの奥底で、あの人に出会った。相変わらず堂々と、私の目の前に仁王立ちしている赤い人。
 夢だとわかっていても嬉しかった。私に会いに来てくれたことが。もう一度その姿をこの瞳に映せたことが。そして今から、耳障りの良い声音を聞けることが。

「杏寿郎さん、」
「一人にさせてしまってすまない」
「いいえ」
「泣かせてしまってすまない」
「いいえ」
「これから先、きみは色んな人に出会うだろう」
「はい」
「だがそれをわかっていても、俺はきみにこの言葉を言わずにはいられない」
「はい」
「これからも永遠に、生まれ変わっても、きみを愛している。……すまない」

 素晴らしい呪縛だった。私が永遠に杏寿郎さん以外を愛せなくなる呪縛。今世が終わっても来世でまで杏寿郎さんに愛してもらえるなんて、なんて幸せな呪縛だろう。
 最愛の人は言いたいことだけ言って大好きな笑顔を残し、抱き締めてくれることも頭や髪を撫でてくれることもなく、夢の中に消えていった。それっきり、私は愛する人に出会えぬまま残りの年月を過ごした。
 最期の最期まで煉獄杏寿郎という男だけを愛して。

◇ ◇ ◇


「杏寿郎さん、今日は夜更かしですね」
「明日は折角の休みだからな。きみとの時間をゆっくり過ごしたいんだ」
「気持ちは嬉しいんですけど、お疲れなのでは?」
「こんなに平和な世界で俺が疲れるわけがないだろう!」
「……そうですね」

 これはきっと奇跡の続きだ。毎日そう思っている。
 立派な家。何不自由ない暮らし。命の危険にさらされることのない安全な世界。そこに最愛の人がいて、何気ない日々を過ごす。「帰ったぞ」と元気よく帰ってくる彼に、毎日「おかえりなさい」を言える。私の作った平凡なご飯を「うまい!」と連呼しながら食べてくれる。
 あの時代では夢みたいだと思っていたことが、今は日常になっているのだ。もしかしたらいつか覚めてしまう夢ではないかと疑うことも時々あるけれど、今のところ夢は終わっていない。

 彼と私は確実に死を迎えた。それは間違いない。しかし、生命というのが巡り巡るものだというのはどうやら本当のことらしく、私は時代を超えて生まれ変わった。そして彼もまた、私と同じように生まれ変わったのだ。同じ時代に。
 普通、前世の記憶はないらしい。けれども不思議なことに、私と彼には前世の記憶が残ったままだった。だから新しい時代で再会した時にも、きちんとお互いを認識することができたのだ。こんなこと、私たち以外に有り得るのだろうか。

「あの時代に杏寿郎さんとあんな別れ方をしていなければ、こうして再会することはできなかったんでしょうか」
「それはわからない。しかしどんな別れ方になろうとも俺がきみを愛し続けることに変わりはない」
「また来世でも、私を見つけてくれますか?」
「当然だ!」
「記憶がなくても?」
「その時はまた一からきみを愛せばいいだけのことだろう」

 ひどく難しいことを簡単そうに言ってのけた彼は、私を手招きして呼び寄せた。それに吸い寄せられるようにして近付いた私を力強く抱き締めてくれる温度は、何十年、何百年経っても変わらない。
 
「杏寿郎さん」
「何だ」
「今日は一緒にゆっくり寝ましょう」
「それで良いのか?」
「それが良いんです」

 この時代の彼の身体には、早寝早起きが染み付いている。だから夜更かしするのはきっと辛いに違いない。
 そんな気遣いもあるけれど、本当は私が彼の温もりを感じながらゆっくり眠りにつきたいだけだったりする。私は彼ほど早寝ではない。だから、普段私が寝ようと思った時には、彼はぐっすり眠っていることがほとんどなのだ。
 私の我儘をすんなりと受け入れてくれた彼とともに寝室へ向かう。和室に敷かれた布団。ベッドはどうも落ち着かず、前世から引き続き寝床は布団のままである。
 隣に感じる彼の息遣い。微かに聞こえる心音。毎日それを肌に感じられる喜びを噛み締める。これが普通だなんて、いまだに少し落ち着かないのだけれど。

「また明日」
「うむ。また明日」

 明日も、明後日も、何年後も、何十年後も、何百年後も、どうか彼と過ごせますように。そんな贅沢すぎる願いを込めた短いやり取りを交わして、私たちは目を瞑った。
 杏寿郎さん、おやすみなさい。

巡る炎は安らかに