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「どういうつもりだァ?」

 午後の稽古を終え風柱邸の自室に戻ると、そこには一人の女の姿があった。ちなみに冒頭の台詞は、無断で俺の部屋に入ったことに対しての発言ではない。この女が俺の稽古中勝手に部屋に入り掃除をしていることは知っているし、なんならその場面に何度も遭遇している。最初は普通に怒鳴りつけたが、二度三度、いや、十度以上同じことを繰り返しても行動を改める様子がない女に、俺の方が折れてしまった。だから今更「勝手に入るな」と咎めはしないのだ。
 それならば何に対して吐き捨てた台詞なのか。俺は机の上に置かれている黒い物体をまじまじと見つめた後、その隣に淹れたての茶が入った湯呑を置く女を見遣った。女は俺の気配と声にゆっくりと首を捻って振り返り、何食わぬ顔で「あら、今日はお早いですね」と呑気に言葉を紡ぐ。

「御覧の通り、美味しいと評判のおはぎをご用意している最中ですが」
「それがどういうつもりかって訊いてんだ」
「あら。不死川さんったら、ご自分のお生まれになった日をお忘れですか」
「喧嘩売ってんだなァ? テメェは」
「まさか。純粋に不死川さんのご生誕の日をお祝いしたいと思って用意しただけですよ」

 睨まれているにもかかわらず臆することなく、むしろこちらの反応を楽しむかのように笑みを浮かべる女とは対照的に、俺は苦虫を噛み潰したかのような表情になった。何が「ご生誕の日」だ。反吐が出る。俺にとってそんなものはめでたくも何ともない。
 生まれて来なければ良かった。……とは思っていないが、生まれて来て良かったと思ったこともない。俺がこの世に生を受けたことに意味があろうがなかろうが生きているうちにやるべきことがあるのは確かで、俺はそれを果たすために己の生の時間を費やしている。生の意味を考えることほど無意味なことはない。
 幼い頃は……家族が家族として成り立っていた頃は祝われたことがあったかもしれないが、もう記憶には残っていなかった。きょうだい達の生誕の日なら、本当に朧気ながら祝った記憶がある。しかし、それは遠い過去のこと。当時の自分が何を思っていたのかはさっぱり思い出せなかったし、思い出そうとも思わなかった。
 鬼殺隊に入り柱になってからも、俺の生誕の日を祝おうとする輩はいなかった。そもそも、自分からその日にちを口にしたことはないはずなのだが、この女は誰から聞いたのだろうか。皿にのった二つのおはぎを、立ち尽くしている俺に「どうぞ」と差し出してくる女の心理を読み解くことは不可能だ。

「誰から聞いたか、ですか? 岩柱様ですよ」
「……」
「ちなみにこのおはぎは恋柱様が御贔屓になさっている有名な甘味処でいただいたものですから、味の保証はできるかと」

 岩柱。悲鳴嶼さんにも、俺は自分の生誕の日を教えたことはない。それならば誰が、と考えて行き着くのは弟の存在だった。弟は悲鳴嶼さんの元で修業をしている。だから何かの拍子に俺の情報を得ることは可能だろう。まったく、いらぬ情報を口外したものだ。
 勝手におはぎについての補足説明を加えて俺が手を伸ばすのを待っている女は、いまだに何の動きもないことを不思議に思ったのか「まさか眠ってらっしゃいます?」と失礼極まりないことを尋ねてきた。こんな不躾な問いかけを俺に投げつけてくるのは、女中ならこの女しかいない。
 この屋敷で働き始めた半年ほど前から、この女は俺に恐れをなしていなかった。遠巻きに、一線を引いて、腫れ物を触るように接してくる他の女中と違って「これが私の仕事ですから」とずけずけ物を言い、俺に断りもなく色んなことをやってのける。それに苛立っている反面、そういう奴がいても悪くないかと、心のどこかで許容している自分がむず痒かった。
 今だってそうだ。この女以外は俺を祝おうなんて考えもしない。それ以前に、俺の生誕の日を知ろうと考えることすらないだろう。不可思議な女だ。だが、きっぱりと「こんなことは二度とするな」と言えない自分もまた、不可思議極まりなかった。

「不死川さんの好物でご生誕をお祝いさせていただきたいと思うのは、迷惑なことですか?」
「祝いてェと思う神経が理解できねェ」
「私は不死川実弥という人間がこの世に生を受けたことは尊いことだと思っています。その気持ちを形に表しただけのことですよ」

 さも当然であるかのように言われてもピンとこない。赤の他人の生を尊いなどと思う心理は、俺には一生かかっても理解できないだろう。

「不死川さんは、鬼がいない世の中になったらどうされますか」
「仮定の話は興味ねェ」
「生きていて、くださいますか」

 普段は見せぬ陰りを含んだ表情。お道化て笑うことが常の女が、真剣な顔をしている。たったそれだけのことで、僅かに怯んでしまった己が情けない。
 鬼がいない世の中になったら。俺は、何をするのだろう。何のために生きるのだろう。考えたこともなかった。考える必要もないと思っていた。しかし、いざその時が来たら。俺は、どうするのだろう。

「すみません。めでたい日に相応しくないことを口走ってしまいましたね」
「テメェは」
「はい?」
「テメェはどうすんだ」
「鬼がいない世の中になったら、ですか?」

 返事はせず、じっと女を見つめた。俺の視線から逃げることなく真っ向から見つめ返してくる女の眼光は、鋭いくせに柔らかい。

「この命尽きるまで、私は風柱様のお傍にお仕えするつもりですが」
「女中の分際で」
「私がいなくなったら、不死川さんのお部屋を掃除する人間がいなくなって困るでしょう?」

 俺はまた無言を貫いて差し出されていた黒いそれを一つ手に取って齧り付いた。甘い。が、甘すぎることはなく、茶によく合いそうな味だ。そう思っていたところで、女がすっと茶の入った湯呑を差し出してきた。受け取って、口の中に流し込む。いい塩梅に苦味がきいた茶である。

「なまえ」
「名前を呼んでくださるなんて珍しい。どうされました?」
「テメェの生きる意味は俺なんだなァ?」
「……今のところ、そういうことになりますね」
「それなら、」

 テメェが俺の生きる意味になれ。
 そう言おうとして我に返った。俺は一体何を言おうとしていたのか。くだらない。甘さのせいで頭がイカれてしまったのかもしれない。言いかけて口を噤んだ俺を真ん丸な黒い瞳が射抜く。まるで「続きは?」と言われているようで癪だ。
 だが、待ち続けたところで俺が何も言わないことを悟ったのか、女はいつも通りのお道化た口調で言葉を落とした。俺の心情を見透かしたかのように、穏やかに。

「その時が来るまでに、私が不死川さんに鬼を滅する以外の生きる意味を見つけて差し上げたいところです」
「勝手に言ってろ」
「とりあえず、毎年この日をお祝いするのは決定事項ですね」

 女は言った。「この世に生まれて来てくださってありがとうございます」と。赤の他人である俺に、その言葉と表情を以てして心からの謝意を表したのだ。ここで「くだらねェ」とでも言えれば良かったものを、おはぎを口に含んでしまったのは明らかに俺の失態である。
 来年こそはこっ酷く突っ撥ねてやろうではないか。そう考えている時点で、俺は来年も女の思惑通りに祝われる予定にしてしまっていることに気付いた。言葉もおはぎもなくて構わない。が、女がそこにいないという未来だけは想像できなくなってしまって、思わず眉間に皺を寄せた。このおはぎには思考回路をおかしくさせる毒でも入っているのかもしれない。
 そう思いつつもうひと齧りした俺を眺めている女は、ただ緩やかに微笑んでいた。

君の生、僕の生