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「不死川さんは心臓の色って何色だと思いますか?」

 この状況で、よくそんな突拍子もないことが尋ねられるものだと吃驚した。質問相手が俺でなければ、あまりの衝撃で頭がおかしくなったと思われて蝶屋敷に担ぎ込まれるのが関の山だっただろう。
 よく戦闘後の惨状を「血の海」と表現することがあるが、今俺達が立っているこの場所は、紛うことなき「血の海」だった。鬼と、人間と、どちらの血も混ざりあった赤い海。そのど真ん中で、女はその海の液体に指を撫でつけながら問いかけてきたのである。
 狂っている、と俺が言っても良いものかどうか。兎にも角にも、女の質問に対する答えは決まりきっていた。

「興味ねェ」
「そう言うと思ってました」
「じゃァ訊くんじゃねェ」
「私はね、心臓って白いんじゃないかと思うんです」
「はァ?」
「この血の色で染まっているだけで、本当は白いんじゃないかって。不死川さんはどう思います?」

 どうもこうもなかった。先ほど答えたように、俺は心臓の色になど全く興味がない。赤でも白でも緑でも青でも黒でも、動いていれば生きている、止まったら死んでいる。ただそれだけのことだ。
 女は地面を染める赤から俺へとゆっくり視線を移して、口元を緩めた。目は笑っていない。泣いてもいない。暗闇の中で俺に視線を向けてはいるが、その瞳は俺を映してなどいないようだった。

「鬼の血も、私達と同じ赤なんですよね」
「元は人間だからなァ」
「……同じ、なのに……同じ、だったのに、ね」

 俺の方を向いたのはほんの数秒。女はまた、何も残っていない、ただ赤いだけの液体に視線を戻し、飽きもせず撫でていた。そこに亡骸はない。先刻、俺が首を切った鬼は、塵となって消えたからである。

 その鬼は、女の母親だった。五年前、鬼に襲われた時に命からがら逃げてきた女は、自分以外は鬼に殺されたと言っていた。しかしそれは事実と異なっていたらしい。母親は殺されたのではなく、鬼となり生き永らえていたのである。
 感動の再会。……だったらどんなに良かったか。変わり果てた自分の母親の姿を見た女は、血鬼術にでもかかってしまったかのように動かなくなった。
 本来なら自らでけじめを付けさせるためにも、鬼となった母親は女の手で葬らせるのが理想的だった。しかし、あの状況では俺が首を切るしかなかった。そうしなければ間違いなく女は死んでいた。だから俺は、迷わず剣を振るった。女の、目の前で。

 再会できたことが良かったのか悪かったのか。それは俺が判断することではないし、良かったとしても悪かったとしても、全ては終わったことだ。それに、この結末はどうやっても変えられなかった。肉親であろうと、鬼は殺すしかない。それが隊務であり、鬼殺隊としての責務だから。
 女の気持ちが分からないわけではない。むしろ、これ以上は分かりたくないと思うほど分かってしまう。間違ったことは何一つしていないのに、釈然としない。行き場のない、名前の付けられない感情を、俺はよく知っている。

 泣き叫ぶこともなければ、現実から目を逸らすこともなく、女はかつて母親だったそれが流したのであろう赤をひたすら指に染み込ませていた。まるで慈しむかのように。
 そうすることで、女は母親のことを忘れまいとしているのかもしれない。過去を振り返り、感傷に浸っているのかもしれない。何にせよ、俺が踏み入ることができる領域ではなかった。

「ありがとう、ございました」
「礼を言われるようなことをした覚えはねェ」
「母を、殺してくれて」
「……鬼だから殺しただけだ」
「私一人だったら、殺せなかったから」

 間もなく夜明けだ。薄っすらと東の空が明るくなってきた。
 女はゆっくりと立ち上がって、手拭いで赤いそれを拭った。「お待たせしてすみませんでした」と言いながら俺に駆け寄ってくる姿は、いつもと何ら変わりない。よくできた女だと褒めるべきか、こういう時にへらへらするなと叱るべきか。師匠として、男として、迷う。

「不死川さんの髪は白いですよね」
「何だァ? いきなり……脈絡がねェ」
「私の思う心臓の色と一緒」
「それがなんだってんだァ?」
「不死川さんは、赤く、ならないでくださいね」

 それは暗に、俺に死ぬなと言っているらしかった。女より数倍強い俺に向かって言う台詞ではないだろうと思ったが、今日だけは大目に見てやることにする。
 東に向かって無言で足を進めていると、進行方向から太陽の光が俺達を照らし始めた。夜明けだ。長い、夜が明けた。
 ちらりと隣を見遣る。女は静かに、泣いていた。それも今だけは、見て見ぬフリをしてやる。
 「ごめんなさい」。何に対する謝罪かは分からない。俺はただ「うるせェ」とだけ返して、女の前を歩いた。“隠”の人間が前から来る。

「お二人ともお怪我はございませんか?」
「ねェ。退けェ」
「失礼致しました!」

 女の顔は恐らく俺の陰になって見えなかっただろう。“隠”が去った後「ありがとうございました」と二度目の礼を言われたが、先刻同様、礼を言われるようなことをした覚えはないので無言を貫く。
 明日になってもこの調子だったら喝を入れ直してやる。そう考えていたが、この女はそんなタマじゃないと知っていた。俺が育てた隊士だ。誰よりも、鬼を殺すことの意義を知っている。立ち止まってはいけないことを心得ている。
 だから、自力で這い上がってきやがれ。俺はこれからも、ここにいる。背後の女に「殺」の文字を掲げ、俺は日の昇る方角へ歩みを進めた。

◇ ◇ ◇


 あの時、鬼に殺されていてくれた方が良かった。そんなことを少しでも思ってしまった私は、娘失格だろうか。
 不死川さんが動いてくれていなかったら、私は確実に死んでいた。私が「母なんです」と震える声で言った時点で、きっと不死川さんは私が剣を振るえないことを予想していたのだと思う。
 本当は、私の手で葬るべきだった。不死川さんもきっと、そうさせようと思っていたはずだ。けれど私は動けなかった。不甲斐ない。情けない。不死川さんの地獄のような特訓を受けてきたというのに、肝心な時に力を発揮できなかった。
 しかし不死川さんは、私を責めなかった。それどころか、堪えきれずに涙を流してしまったどうしようもない私の姿を他の人間に見せぬよう、それとなく隠してくれたのだ。

 不死川さんは厳しい人だけれど、その分、優しい。分かりにくいだけで、意外と甘いところもある。本人は自覚していないだろうし、そんなことを言ったら稽古の厳しさが増すだろうから絶対に言わないけれど、私以外の人も薄々気付いていることだと思う。
 稽古が厳しいのは、鬼に殺されない実力をつけるためだ。いざという時に自分自身を守れるだけの力を手に入れるためだ。不死川さんは、鬼を殺すことと人間が生き延びることのためなら何だってする。そういうブレないところを、私は尊敬している。
 だから、日々私の稽古に付き合ってくれている不死川さんの前で、みっともないところは見せたくなかった。それなのにこの体たらく。心が弱い証拠だ。

「昨日は申し訳ありませんでした。今日も稽古、お願いします」
「……これに見覚えはねェか」
「え? わ、痛っ」

 翌日の朝一番、改めて頭を下げ稽古をつけてほしいと申し出た私に、不死川さんは何かを投げつけてきた。勢いよく頭に当たって目の前に転がり落ちてきたのは、どうやらお守りのようである。しかも、恐らく血で汚れたものだ。
 手に取って眺める。そして気付いた。私はこれを、見たことがある。

「“隠”の連中が拾ったらしい。てめェの母親の形見じゃねェかと思って俺が預かっておいた」
「……ありがとう、ございます、」

 もう大丈夫。母のことは踏ん切りがついた。今日からまた切り替えよう。
 そう決意してここまで来たはずなのに、私の心はグラついてばかりだ。手の中の小さなお守りを抱き締めて、俯いた状態から顔を上げられない。

 彼がすっと立ち上がった。そうだ。感傷に浸っている場合ではない。私は今から稽古をつけてもらわなければならないのだ。心を強く持て。
 息を深く吸って、顔を上げようとする。が、私の頭を乱暴に鷲掴みぐしゃぐしゃと掻き撫でる大きな手によって、それは阻止された。

「不死川さ、」
「稽古は午後からにする」
「え、なんで、」
「俺の気分だ。何か文句あンのかァ?」
「……いえ」

 不死川さんは私が何も言い返さないことを確認してから頭から手を離すと、そのまま部屋を出て行った。私はもう何にも邪魔されていないというのに、顔を上げることができない。
 その場に崩れるようにしてお守りを握り締めた。鬼殺隊に入隊した時から、泣かないと決めていた。それなのに、昨日と今日と、私は自分自身の掟を破ってしまっている。

「お母さん……っ、」

 私の嗚咽は、誰もいない部屋に静かに響く。
 涙を流すのはこれで最後にすると誓いを立てて。午後からはその背中の「殺」の字を追いかけ続ける日々に戻るから、と言い訳をして。私は、ただ、泣いていた。

 襖の向こうの不死川さんは、見て見ぬフリ、聞こえぬフリを貫いてくれた。優しい人だ。甘い人だ。
 濁らぬ白を携えたその人は、私を何色だと言うだろうか。くだらねェと吐き捨てて答えてくれはしないだろうけれど、願わくば私は彼と同じ色でありたいと思う。赤く染まる、その時まで。

愛が赤とは限らない