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 彼のことはいまだによく分からない。一人でいることが好きなのかと思えば気付いた時にはすぐ傍にいたりするし、他人の目など微塵も気にしていないように見えて、意外と神経質でデリケートだったりする。表情筋が死んでいるのか、感情の変化がほとんど顔に出ないことが原因かもしれない。
 最近はしのぶさんに、「皆から嫌われている」という趣旨のことを言われて気にしているらしいと風の噂で聞いた。なんだそれは。子どもか。あれだけ好き勝手に単独行動を取っておきながら、皆に好かれていると思っていたことの方が逆に驚きである。
 まあ彼には彼なりに思うところがあって、わざと一定の距離を置いていたり単独行動を取ることが多いのだとは思うけれど、そうだとしても、もう少しやりようはあるのではないだろうか。彼は些か不器用すぎる。

「あら、冨岡さん。こんにちは」
「ここで何をしている」
「仕事ですよ。仕事」

 鬼殺隊の仕事は、何も鬼を殺すことだけではない。書類整理や薬品の在庫管理なんかも立派な仕事の一つなのだ。私はその、彼にとっては仕事に見えないであろう仕事をこなしている真っ最中だった。
 彼の言いたいことは分かる。「そんなことは鬼殺隊以外の人間にでもやらせておけ」と、顔に書いてあるから。しかし、血に染まる仕事ばかりしていたら、自分が人間であることを忘れてしまいそうで少し怖くなることがあるのだ。こんな気持ち、彼には一生理解できないだろうから言わないけれど。

「冨岡さんこそ、何か用ですか?」
「たまたま通りかかっただけだ」
「室内をたまたま通りかかることなんてあります?」
「……確認したいことがあって来た」
「最初からそう言ってくれたら良いのに」

 私がふふっと笑うと、彼は少し機嫌を損ねたようだった。相変わらず明らかな表情の変化は見られないものの、付き合いの長さの分だけ彼の感情の変化が読み取れるようになったことは嬉しく思う。
 私は手に持っていた薬品を棚に置きながら、片手間に「確認したいことって何ですか?」と尋ねる。すると、彼はコンマ数秒ほどの間をあけてから口を開いた。彼の声は耳触りが良くて、いつまでも聞いていたくなる。

「お前も俺を嫌っているのか」
「はい?」
「お前は俺のことをどう思っているのかと訊いている」

 元々ストレートにしか言葉を紡げない人だとは思っていたけれど、まさかこんなことを尋ねられる日がくるとは思っていなかった。手を止めて、彼の方に顔を向ける。整った顔は彫刻のように美しく、どれだけ見ていても飽きない。
 よく分からない人だ。何を考えていて、どんなことを思っているのか、私にはいつまで経っても分からない。そしてそれはこの先も変わらないのだと思う。

「それを確認してどうするんです?」
「どうもしない」
「……本当に分からない人ですね」
「お前には言われたくない」

 むすり。また彼の不機嫌度が増したような気がした。きっと私が彼の質問に答えていないからだろう。普段は驚くほど冷徹で冷静で大人なのに、途端に子どもじみた雰囲気を纏う。そういうところは、結構、好きだ。
 ねえ冨岡さん、どうしてそんなことを私に訊いてくるんですか? 私以外の人にも訊いて回っているんですか? そんなことありませんよね、きっと。私だけだって言ってくださいな。
 私は躊躇うことなく、彼の陶器のような頬を撫でた。これにはさすがの水柱も驚きの色を露わにしていたけれど、振り払う素振りは見せない。

「私が冨岡さんのことを嫌いになるわけないでしょう?」
「……そうか。それなら良い」

 彼はそう言って、ほんの少しだけ口角を上げた。珍しく、笑ったのだ。こんなことぐらいで笑ってくれるなんて、可愛い人。
 もしも私が「好きですよ」なんて言ったらどんな顔をするだろう。彼の反応を見てみたいと思ったけれど、それはもう少し先の未来まで楽しみに取っておくことにした。
 だから冨岡さん、その未来が訪れる日まで、あなたはあなたのまま生き続けていてくださいね。

◇ ◇ ◇


 俺は嫌われている。……らしい。本当かどうかは定かではないが、俺自身が皆から距離を置いているのは事実だから、それは仕方のないことかもしれなかった。
 嫌われていようがいまいが俺のするべきことは変わらないし、今まで通りの生活を送る。周りの目など気にならない。……と言っても、全く、というわけではないが。
 そんなことを言われたせいもあってか、俺はらしくないことをしてしまった。彼女に「自分のことをどう思っているか」なんてことをわざわざ訊きに行ってしまったのである。どう考えても、血迷っていたとしか思えない。

「冨岡さんは分かりやすいですよね」
「何の話だ」
「ほぼ毎日のようにこの屋敷に来ているのを私が知らないとでも?」
「……」
「もしかしてこれも言っちゃいけないことでしたか?」

 俺は絶望していた。確かにここは蟲柱の屋敷である蝶屋敷だから胡蝶がいることは当然なのだが、見られていることを気配で察知できなかったのは完全に俺の落度だ。これでは水柱としての面目が立たない。
 くすくすと嫌な笑みを零す胡蝶にはまともに取り合わない方が吉だと判断した俺は、無言で踵を返してその場を後にした。また次に出会った時にもこの話題は蒸し返されそうだが、それはそれとして対処するしかない。
 暫くはあそこに出向かないようにしよう。元々彼女があそこに住み始めるまでは、戦闘時に怪我を負った時ぐらいしか足を踏み入れなかったのだ。行かなくとも問題はない。むしろ、今まで定期的に顔を出していたことの方がおかしいのだ。
 そう、思っていたのに。自分の中で決めたはずなのに。

「冨岡さん、また通りすがりですか?」
「違う。薬を取りに来た」
「どなたの?」
「俺の屋敷に置いておくためのものだ」
「ご自分で手当てされることはないでしょう? 怪我をされたらこちらにいらしてくださいな」
「軽い傷であれば一人で処置できる」
「困った人ですね」

 それらしい理由をこじつけてまたここに来てしまったのは、俺の決意が甘かったからだ。ほんの三日会わなかっただけなのに自然と足が向いていた。これはもはや本能だ。俺は彼女に会うためにここに来ている。それを誤魔化す術は、今の俺にはない。というより、誤魔化しようがなかった。紛れも無い事実を誤魔化すことなど、できはしないのだから。
 戸棚の中から、薬品が入っているのであろう瓶を幾つか取り出して机の上に並べながら、彼女は穏やかに声を発する。この声音を聞くと安らぐのはなぜだろう。どこか懐かしさを覚えるからだろうか。彼女は不思議な雰囲気を身に纏っている。

「最近、以前ほどこちらに顔を出してくださらなくなりましたね」
「用が無ければ来る必要はないだろう」
「……そうですね」

 彼女の表情が僅かに曇ったような気がした。気のせいかもしれない。そう思ってしまうほどの微細な変化。しかし、薬を小さな容器に移す作業をしている彼女はそれから無言を貫いており、時間の経過とともにどうもいつもと様子が違うということがありありと分かるようになった。
 怒っているのか。そうでなければ拗ねているのか。それとも別の感情を抱いているのか。何にせよ、原因は不明だ。

「みょうじ」
「何でしょう。もう終わりますよ」
「怒っているのか」
「いいえ?」
「拗ねているのか」
「いいえ」
「みょうじが何を思っているのか俺には分からないんだが」
「……冨岡さんが鈍感だということは分かっていたつもりですけど、それにしたって酷いですね」

 全ての薬を容器に移し終えたらしい彼女は、瓶を元あった場所に戻しながら溜息を吐いた。どうやら俺は呆れられているらしい。特に気に障るような言動を取ったつもりはないのだが、女とは難しい。
 俺は何も言うことができないので、押し黙ったまま彼女が薬品を片付ける姿を見守る。そして、全てを片付け終えたところで漸くこちらを向いた彼女は、困り果てたように笑った。

「私に会いに来るということは冨岡さんにとって立派な用事だと思っていたんですけど。それは私の自惚れでしたか?」

 何と答えるべきか迷う。彼女の言っていることは確かにその通りだ。しかし、だからと言って「その通りだ」と答えても良いものなのだろうか。
 彼女に視線を落とした。くるりと大きな眼が俺を射抜くように見つめている。俺はこの瞳に弱い。澄んでいて穏やかで、優しいのに力強い。揺るがぬ熱意を秘めている双眸。

「俺が何の理由もなく来て迷惑だとは思わないのか」
「今更そんなこと訊くんですか? ご自分が何ヶ月ここに通い詰めているか分かってます?」
「……半年」
「そうです。迷惑だったら数日で門前払いにしていると思いません?」
「俺は柱だが」
「でもここに来ている時はただの冨岡義勇でしょう?」

 む、と口を噤んだ俺に勝ち誇った笑みを浮かべる彼女は、すっかりいつもの様子を取り戻していた。それは良かったが、発言自体は揚げ足を取られたようで遺憾である。
 とは言え、俺を水柱としてではなく冨岡義勇という個人として捉えてくれているのは恐らく彼女だけだろうから、そういうところに惹かれていることは否定できない。これが人を好くということなのか、と。唐突に理解する。

「みょうじ、俺は、」
「冨岡さん。今言おうとしていることはもう少し先まで取っておいてください」
「なぜだ」
「楽しみがあると分かっていれば生き抜ける気がするから、ですかね」

 それは俺の身を案じて言ったことなのか、自分を鼓舞するために言ったことなのか。そのどちらの意味も孕んでいるのかもしれない。
 明日にはこの場所に来られなくなっているかもしれない俺達。今紡ごうとしている言葉ひとつに彼女が生き抜けるだけの力があるというのなら、俺は飲み込まざるを得ない。
 言葉の代わりに、彼女を抱き寄せて首筋に顔を埋める。誰かに見られてしまうかもしれないが、別に構わなかった。何も躊躇う必要はない。俺の気持ちは、この瞬間を以って揺るぎないものになったから。

「冨岡さんって意外と温かいんですね」
「人間だからな」
「そういう意味じゃありませんよ」

 俺の背中にゆっくりと回された小さな手は、余すことなく愛おしかった。

寿命をのばすおまじない