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 不死川様は、そちらの方面の事柄にとんと興味のないお方だと思っていた。寝ても覚めても鬼を殺すことばかりを考えていて、そのために日々鍛錬していらっしゃる。それは私だけでなく、誰が見ても分かる明確な事実だった。
 だから、夕刻の陽が沈む間際の時間帯。不死川様が任務に出向かれる前に家の裏手に呼び出され、初めて「相手をしろ」と言われた時には、それはそれは驚いたものだった。けれど、冷静になって考えてみれば何のことはない。
 不死川様は殿方だ。そういう欲を吐き出したくなることがあるのは当然である。そう納得した私は、不死川様の定期的な呼び出しに何の違和感も感じなくなっていた。きっと他にも、不死川様のお相手をする女性は幾人もいるのだろう。私はその中の一人。選ばれただけ有難いと思わなければならない。
 そうやって、私は自分の立ち位置を的確に理解していたはずなのに。半月ほど前からだろうか。不死川様はあろうことか、私を家の裏手ではなく、ご自身の寝床に呼び出し始めたのである。
 本来、寝床でそのような行為に及ぶのは、夫婦関係にあることが絶対条件だ。夫婦関係であっても、自身の肌を全て晒すなど、はしたなくてできないかもしれない。遊郭でそれ相応の金額を支払えば他人である男女がまぐわうことはあり得ると聞いたことがあるけれど、その実は不明だ。なんせ私は幸せなことに、風柱邸で働く以外の仕事を経験したことがないのだから。

「し、しなずがわ、さま、」
「なんだァ?」
「これ以上は……」
「俺のやってることが嫌だとでも言うつもりかァ? てめェは」

 この行為自体を嫌だと言うつもりはない。そもそも嫌だとも思っていない。けれど、自分の身体を曝け出せと言われれば、抵抗したくもなる。これで三度目。服を脱がされるのは。全て不死川様に見られてしまうのは。
 不死川様ほどのお方であれば、遊郭で私なんかとは比べものにならないほど美しい女性と、私なんかよりずっと良い時間を過ごすことができるはずだ。それなのにどうして、こんな普通の、もしくは普通より下流かもしれない私の裸体を眺めていらっしゃるのだろう。穴があったら入りたい。そう思うのも三度目だ。
 最初はもっと抵抗した。抵抗というか、躊躇って、背を向けた。勿論、逃げるつもりはなかったし逃げられるわけもなかったけれど、私が最後まで抵抗しきれなかった理由は他にある。
 不死川様は口調こそ荒いものの、私に触れる手付きが恐ろしく優しいのだ。行為の最中も、その前後も、まるで私を慈しんでいるかのように触れてくださる。だから、馬鹿な私はうっかり勘違いしてしまいそうになるのだ。自分は特別なのではないかと。そんなはずはないのに。
 そうやって、流されてしまったのだ。不死川様は私を傷付けない。辱めない。そんな、絶対的な信頼がそこにはあったから。抵抗など、できるはずがなかった。

「……見せろ。全部」
「し、不死川様はどうして私を、」
「理由を知ったら抵抗しねェのかァ?」
「それは……」
「今知る必要はねェ」

 今じゃなければいつ教えてくださるのだろうか。この行為の意味を。ひどく優しく触れる手の意味を。食い入るように私を見つめる瞳の意味を。ギラつく瞳の奥に見え隠れする温かさの意味を。
 尋ねることはできない。不死川様が私に触れ始めたからだ。どこもかしこも丁寧に。傷付けないようにするみたいに。
 溶けそう。蕩けそう。気持ち良い。私の方が奉仕しなければならない立場だというのに、不死川様はいつも私に快感を与えてくださる。「俺がそうしたいって言ってんだから大人しくしてろ」とのことだけれど、これでは何のお役にも立てていない気がしてならない。

「なまえ、痛くねェか」
「っ、そのようなことを、私に確認する必要は、っ、ふ、」
「……痛くねェなら、いい」

 私は不死川様にとってその他大勢の女性の内の一人である。それでも良い。そうでなければおかしい。けれどいつも私にそうやって優しく声をかけてくださるから。普段大きな声で怒鳴ってばかりの不死川様が、労わるように凪いだ声で名前を呼んでくださるから。この瞬間だけは、どうしても言いたくなってしまう。
 言ってはいけない。失礼にあたる。分かっているから今まで口にしなかった。けれど、今日は。猥雑な行為中にもかかわらず不死川様があまりにも穏やかに微笑んでいらっしゃるものだから、勝手に口が動いてしまった。

「お慕い、申し上げております、」
「っ、」

 ハッとした。なんてことを言ってしまったのだと、すぐさま自分を叱責した。そして不死川様に怒鳴られることを覚悟して目を瞑ったけれど、なんと不死川様は無言のままだった。「黙れ」とも「ふざけるな」とも「煩わしい」とも口にされなかったのだ。
 ただその代わりに、何度も何度も執拗に接吻を続けられた。その時の不死川様は、何かを我慢しているような、それでいて嬉しがっているような、何とも言い難いお顔をなさっていたように思う。
 不死川様からの口吸いにお応えするのに必死だったお陰で謝ることができなかった私は、結局、全てが終わって身形を整えている時に「申し訳ございませんでした」と謝った。しかし、その時も不死川様は何も口にされなかった。
 もしかしたらあまりの失態に怒りを通り越して呆れてしまわれたのかもしれない。だとすれば、これでもう呼ばれることはなくなるだろう。
 寂しい。悲しい。そう思うのは烏滸がましいことだ。けれど、その思いは消えない。しかしどこかホッとしている自分もいた。これで無駄な夢を見なくて済む。複雑な思いを抱えながら不死川様に触れられなくてよくなる。ああ、でも。やっぱり、寂しい。悲しい。

「明日も来い」
「え?」
「明後日も、明々後日も、俺がいる限り毎日だからなァ」
「しかし、」
「てめェに拒否権はねェ」

 言って、唇同士をぶつけられた。どこまでも柔らかに。普段の不死川様からは想像もできぬ緩やかさで。

「……不死川様の、仰せのままに」

 どんな理由だって良い。何を考えていらっしゃるかも分からないままで良い。不死川様が私を求めてくださっている。あんなことを言った私を咎めずにお傍に置いてくださると言っている。それならもう、私には何も断ることはできない。
 頭を下げて部屋を出る間際、「なまえ」と名前を呼ばれて動きを止める。しかしまた、何も言われなかった。言われぬまま、背後から抱き締められて、それで、終わり。
 たったそれだけのことだったのに、私はもう、不死川様の温度を忘れられない。それはさながら、呪縛のようであった。

◇ ◇ ◇


 誰でも良かった。最初は、ただ苛々していてどうしようもなく鬱憤がたまっていたから、それなりの身形の女で欲を処理できる相手なら誰でも良いと思っていたのだ。それが、いつからこうなったのか。
 なんとなく目に付いただけ。強いて言うなら、つまんねェどうでもいい仕事をしているはずのくせに、やたらと幸せそうな顔で働く女だと思ったぐらい。
 どうせ俺の命令には逆らえない。俺が柱だから。逆らったらどうなるか分からないから。怒られるのが怖いから。人の顔色ばかり窺いやがる。弱ェ奴はこれだから嫌いだ。男だろうが女だろうが関係なく。
 初めてなまえを呼び出した時、こいつも恐怖に慄きながら俺の相手をするのだろうとせせら笑ってやるつもりだった。それが、どうしたことか、みょうじなまえという女は、俺に恐怖していなかったのである。
 好き放題やった。壁に身体を押し付けて、背後からガツガツと容赦なく。しかし泣き叫ぶことも嗚咽を漏らすこともなく、俺からされること全てを受け入れて控えめに啼くだけにとどまった女は、最後に微笑んで礼を言ってきたのだ。「私を選んでくださりありがとうございました」と。
 気持ち良くなどなかっただろう。なんなら痛いばかりだったかもしれない。人の痛みなど知ったこっちゃないと思っていたが、俺はこの日初めて、女の抱き方を間違えたと思ってしまったのである。

 それからというもの、俺はなまえしか選ばなくなった。誰でも良かったはずが、なまえでなければ駄目になったのだ。その理由は分からなかった。分かろうとしていなかった。分かりたくなかった。分かってしまったら、俺は後戻りできなくなる。それを悟っていたから。
 なまえが俺の手で善がる姿を見ると、ひとりでにくつくつと笑いが溢れた。俺自身のものがどうこうではなく、なまえを落とすことが目的になっていると気付いた時の衝撃は忘れられない。
 この俺が、何の取り柄もない、鬼殺隊の一員でもない普通の女に夢中になっている。俄かには信じ難い出来事だ。しかし、事実は事実。認めざるを得なかった。

「あっ、ぅ…ふ、ぁっ、」
「相変わらず指だけで随分とイイ声出すじゃねェか」
「不死川、さま…を、ごほうし、させてくださ、っあ、んっ」

 あんあん善がっているくせに二言目には俺に奉仕したいと言ってくるなまえは、自分の身分というものを弁えている。本来はそれで良い。そうでなければならない。
 しかし、俺はそんなもの求めていなかった。もっと俺に狂えば良い。わけが分からなくなって、身分云々など蹴散らして、ただ俺を求めるようになれば良い。そう思っていた。
 そのために俺はなまえを自室に呼び寄せた。夫婦の真似事。遊郭の紛い事。身体を曝け出させることでなまえを追い詰めるつもりが、毎回俺の方が余裕をなくしているような気がして癪ではあったが、これ以外に方法がなかった。
 なまえを自分のものにしてしまいたい。その欲求は日に日に膨らむ。俺が一言「俺のものになれ」と言えば、なまえは躊躇いながらも頷くだろう。そういう「命令」だから。
 しかしそれでは意味がない。本当の意味で繋ぎ止めていなければ、意味がないのだ。それに俺はなまえに自分のものになれと言う気はさらさらなかった。いつ死ぬかも分からない俺を待たせるだけの女にはしたくない。身勝手な矜持だ。

「お慕い、申し上げております、」

 俺の部屋に呼び寄せて三度目のことだった。初めてなまえの口から聞いた、俺への心情。それに対して「俺もだ」と応えることができないもどかしさ。それを埋めるかのように、俺はひたすら接吻を続けた。
 終わってから謝られたことには正直相当腹が立ったが、なまえの立場なら当然だということに気付いた俺は、何も言えなかった。去り際に名前を呼んで引き止めたところで、何も言えぬのは同じこと。俺はただその身体を抱き寄せて温度を忘れぬよう肌に染み込ませることしかできなかった。
 これは呪いだ。なまえが俺から離れられなくするための、呪い。俺が柱の役目を終えるその日まで、この場で俺を待ち続けさせるための呪い。こんな陰湿で馬鹿馬鹿しい方法でしか好いた女を繋ぎ止められないなんて、俺はまだまだ弱い。

「不死川様、おかえりなさいませ」
「あァ……」

 今日もなまえは朝日とともに帰ってきた俺を出迎えた。つまらねェ仕事を幸せそうにこなしながら。
 もしかしてこの女がこんなに幸せそうなのは、俺の元で働いているからじゃないだろうか。…などと考えてしまった俺は、寝不足なのかもしれない。なまえを呼び寄せて、「寝るまで相手をしろ」と、また呪いをかけてやることにしよう。
 これじゃあどっちが呪いにかかってんのか、分かったもんじゃねェなァ。

呪い合い、鈍い愛