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 突然の出来事に理解が追いつかなかった。私はほんの数分、否、数十秒前まで、同じボーダー隊員である嵐山准と本部を目指して歩いていた筈だ。それなのに、扉を開いたら何もない真っ白な空間が広がっていて、引き返そうと思って手をかけた扉がびくともしなくて出られない、なんて。こんな意味不明なことがあっていいのだろうか。答えは決まっている。よくない。そう、よくないのだ。けれども今、私と彼は意味不明で有り得ない事態に巻き込まれてしまっている。
 彼はというと、携帯電話を取り出して誰かに連絡が取れないかと試しているようだったけれど、圏外になっていることが分かるとあっさりと外部に連絡を取るのは諦めて、部屋の壁を調べ始めていた。どこまでも冷静で聡明な男である。呆然と突っ立っている私とは大違いだ。
 さて、私もこのまま何もせず彼の様子を眺めているわけにはいかない。何か行動を起こさなければ。何がどうなってこんなことになったのかは分からないけれど、今は原因なんて二の次で兎に角ここから脱出する方法を探すのが先決だ。私も床や壁を調べてみよう。
 そう思ってしゃがみ込んだ時、ぺらりと一枚の紙切れが手に触れた。なんだ? と不審に思いながらもそれを手に取れば、真っ白な紙に黒い文字で、これもまた意味不明なことが書かれていて首を傾げる。

「別れを告げないと出られない部屋……?」
「何だそれは」
「え、ああ、うん、ここに落ちてて…」

 拾った紙に書かれていた文字を声に出して読んでいたら、嵐山が近寄ってきた。手に持っているそれを手渡せば、彼は端正な顔を歪めて難しそうな表情を貼り付けてから、無機質な文字の羅列を目でなぞり始める。
 現状から察するに、“別れを告げないと出られない部屋”というのは、今私達がいるこの部屋のことを指しているのだろうけれど、随分とざっくりとした情報すぎて私にはさっぱり意味が分からなかった。別れを告げるって、何に? 誰に? 謎は深まるばかりだ。
 隣に視線を向ければ、彼はいまだに薄っぺらい紙切れと睨めっこをしていた。賢い彼ならこの意味不明なメモの読解ができて、あわよくばこの部屋から早々に脱出できるかもしれないと期待していたのだけれど、たったこれだけで解決まで辿り着くのはさすがに難しそうな様子である。

「嵐山、向こうの壁には何もなさそうだった?」
「ああ…恐らく出口はあの扉しかないと思う」
「そっか…どうにかしてこじ開けられないかな。トリガー起動できたら手っ取り早いんだけど……」
「それはさっき試してみたが無理だった」

 トリガーが起動できさえすれば、荒療治ではあるけれど、弧月で切るなりアステロイドをぶっ放すなりしてこの部屋の壁を壊して脱出することが可能だと思ったのに、どうやらそれはできないらしい。
 さて困った。このままここに閉じ込められていたら防衛任務に遅れてしまう。彼も広報の仕事があると言っていたから時間を食うわけにはいかないだろうし、どうにかして外に出なければ。
 そこで思い出したのは先ほどの紙切れの存在と、そこに書いてあった文字のこと。“別れを告げないと出られない部屋”ということは、別れを告げれば出られるということになる。しかし、私と彼しかいないこの空間で別れを告げるとは一体どういうことなのか。
 解決までの道のりはそこまで難しくない。けれどもそれをどう実行に移すかが困難を極める。そしてどんなに頭を捻ろうとも、考えられる選択肢はひとつしかないように思った。どくり。心臓が嫌な跳ね方をする。
 彼も私と同じ考えに行き着いたのかもしれない。その証拠に、私が彼を見たのと彼が私を見たのはほぼ同時だった。

「みょうじ、」
「待って、嵐山。言いたいことは分かる。分かるけど、」
「こうなった経緯は分からないが、恐らくこの部屋を出る方法はこれしかないんだと思う」

 淡々とした口調だった。動揺など微塵も感じられない。それどころか、何かを決意したように凛とした雰囲気を醸し出して私を真っ直ぐに射抜く瞳は、どこまでも混じりっ気がなかった。

「この部屋はきっと、何かに別れを告げないと出られない」
「そう、だとは思う、けど、」
「ここにいるのは俺とみょうじだけだ。だから、」

 分かっている。けれど、私は彼ほど物分かりがよくないから、そう簡単に受け入れることはできそうにない。
 彼とは同い年のボーダー隊員として仲良くやってきた。大学も同じだから行き帰りが一緒になることも多かったし、迅や柿崎と一緒に食事に行くことも結構あった。私は、そういう関係が好きだった。けれども満足はしていなかった。
 彼はきっと知らない。気付いていない。私の気持ちに。頭が良い男ではあるけれど、その手のことには疎いのだと思う。もしかしたら好意を寄せられることに慣れすぎていて、その中の特別な好意というものを見つけ出せないだけなのかもしれない。そうだとしても、兎に角、嵐山准が聡いくせに鈍感な男であることに変わりはなかった。
 そんな彼に、私は今きっと別れを告げられようとしている。どういう意味での別れなのかは分からないし確認したいとも思わない。そもそも、私達は同僚、もしくは友達でしかないわけで、別れるという言い回しができるような関係ではないというのに、この部屋に私達を閉じ込めた犯人は何がしたいのだろうか。そして彼は、何を言おうとしているのだろうか。
 怖い。何を言われるのか分からなくて、というより、今から言われる言葉によって今までの関係が無に帰してしまうんじゃないかということが。そんな私の気持ちをよそに、彼は無情にも言葉を紡ぐ。

「だから俺は、友人であるみょうじと決別したい」
「…本気なの?」
「ああ」
「決別、って、」
「言葉通りの意味だよ」

 「これで、さよならだ」という言葉は、私の心臓を容易く抉った。
 決別。さよなら。それはつまり、もう今までみたいに大学とボーダー本部の行き帰りを共にしたり、同じ講義を受ける時に何の断りもなく隣同士に座ったり、防衛任務が終わった後に夜ご飯を食べに行ったり、他愛ないことで連絡を取り合ったり話をしたり、そういうことはできなくなるってこと? 嵐山はここから出られるならそれでも構わないと思ってるってこと? 私は嵐山にとってその程度の存在だったってこと?
 考えれば考えるほど苦しくて、自分の気持ちを伝えることもできずに友達という関係すらも失ってしまうことが悲しくて悔しくて辛くて、私はみっともなく目元に湖を作ってしまう。

「これで出られるようになったかな」
「……、」

 彼は私の顔を見ることなく独り言のように呟いてから扉の方に向かって歩き出す。その姿は相変わらず淡々としているように見えた。ああ、そうか、嵐山にとって私はそれぐらいのレベルの人間だったんだ。その事実を思い知らされて、遂に湖の水が溢れ出してきてしまう。
 ガチャリ。あれほどうんともすんとも言わなかった扉が簡単に開く音がした。良かった。これで出られる。けれども私にとってその代償はあまりにも大きすぎた。
 「みょうじ」と私を呼ぶ落ち着いた声音。大好きなその音色を、今は聞きたくなかった。聞いたら、ほら、ぽたぽたぽた。溢れる水の量が増してしまうのが分かっていたから。

「みょうじ」
「行って」
「みょうじ、」
「いいから先に」
「なまえ」
「っ、」

 奇しくもいつか呼んでほしいと思っていた名前をこんな時に呼ばれてしまって、溢れ出した水は止まることを知らない。どうして今、友達でもなくなった私の名前を呼ぶのか。そして、どうしてわざわざ真っ白な部屋の中心付近に突っ立っている私の元に近付いてきて手を握ってくるのか。私にはさっぱり分からなかった。

「なんで…、」
「何がだ?」
「もう、友達じゃないのに…」
「そうだな。友人のみょうじにはさっき別れを告げた」
「だったら、」
「だからこれからは友人ではなく、俺の恋人になってくれないか…なまえ」

 ぽたぽた、ぽたり。あれほど止まらなかった水が体内に戻っていくのを感じた。真っ白な床ばかりを見つめていた視線をゆっくりと上向かせる。彼は私に曇りひとつない眼差しを注いでいて、先ほどのセリフが嘘ではないことを表していた。まあ彼があんなことを嘘で言う筈はないから、本音に決まっていると言えばそうなのだけれど。
 引っ込んだはずの水分がまたせり上がってくる感覚があって、けれどもこれは先ほどとは全然違う理由で溢れそうなものだから、見られることを惨めだとはちっとも思わなかった。恐らく相当不細工な顔になっているとは思うけれど、彼がそんな指摘をしてくることはない。ただ優しい瞳だけをこちらに寄越している。

「駄目か?」
「……駄目だって言ったら、どうするの」
「そうだな…その時は……恋人になってもいいと言ってもらえるまで頑張るよ」
「…嵐山、准、らしいね」

 握られっ放しだった手を握り返す。そして、伝えた。「駄目じゃないよ」って。つう。頬を滑った雫は落ちることなく、つい今しがた恋人という関係に名前を変えた男の指にすくわれた。
 この部屋の存在も、私達を閉じ込めた人の思惑も、何ひとつ分からない。けれど、彼と友達としての別れのキッカケを作ってくれたことには、ほんの少しだけ感謝しておこう。
 さようなら、嵐山。その代わりに、宜しくね、准。

さようならぶ