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「#お仕置き」のBL小説を読む
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 大学構内を歩いていたら見覚えのある後姿が視界に入った。と同時に、私はそちらの方向に向かって一目散に駆け出す。ただならぬ気配を感じ取ったらしい彼が振り向いてぎょっとした顔をするのが見えたけれど、時既に遅し。私のタックルはギリギリ避けられなかった。

「おっ! まえ……、タックルかましてくる前に声かけろって言っただろ」
「声かけたら逃げるじゃん」
「そりゃあな」
「えー。ひどい」

 私にタックルされてしがみつかれても少し背中を反らしただけで身体のバランスが崩れることはない。さすがボーダー隊員。しかもA級一位の隊長さんだ。体幹がしっかりしている。
 私をやんわり引き剥がしながらモサモサした頭をガシガシ掻きむしっている彼は「またか」と言わんばかりの表情だ。自分で言うのは悲しいけれど、なんというか、とても迷惑そうな顔。女の子が好きなくせに私に絡まれるのは苦手らしい。私だってこれでもちゃんとした女の子なのに。

 太刀川慶という男は、見た目まあまあ、頭は残念、(私の見解では)普通の人よりかなりルーズな性格だ。だから、めちゃくちゃモテるってわけではない(と思う)けれど、軽いノリで付き合うならOKかなあという雰囲気で数人の女の子とお付き合いしたことがあると聞いた。私はその数人のうちの一人に名を連ねたくて、日々彼にタックル……ではなくアタックしているのだけれど、彼からの反応はご覧の通り芳しくない。
 友人に言わせてみれば、私の男の趣味は理解できないそうだ。世の中にはもっといい男が腐るほどいるとも言われた。けれども私にとっては世の中に腐るほどいる(らしい)いい男よりも、今目の前に立っているやる気がなさそうな男の方が素敵だと思えるのだから仕方がない。
 素直に伝えたのだ。彼に「好きです」と。「彼女にしてください」と。風の噂によれば彼は、来るもの拒まず去るもの追わず、とのことだったから「おー、いいぞ」と二つ返事でOKしてもらえると見込んで。
 しかし結果は惨敗。彼は「お前は無理」と即答してきたのであった。つらい。理由を尋ねても「とりあえず今は無理だ」の一点張りだから、どこをどう改善したら良いのかもわからない。今は無理ならいつかは無理じゃなくなるのだろうか。それもわからなかった。
 けれども諦めの悪い私は、フラれたにもかかわらずいまだにアタックを続けている。だって、好きなものは好きなのだから止められない。それに、諦めなければ無理じゃなくなる時がくるかもしれないし。

「太刀川もう帰る? 暇?」
「暇ではない」
「ボーダーの仕事?」
「いや、今日は違う」
「じゃあ何……」

 じゃあ何の用事があるの? と尋ねようとした時、私の背後から「太刀川くーん!」という可愛らしい声が聞こえてきた。彼はその声の主に視線を向けながら手を上げていて、しかもちょっぴりホッとしたような顔をしているように見える。
 私は振り向いて声の主であろう女の子の姿を確認し、自分とはかけ離れたそのふんわりしたオーラに目眩を覚えた。俺の好きな女の子のタイプはこれだ、と突きつけられているみたいで、不覚にも泣きそうになってしまう。
 彼がホッとしたような顔をしたのは、私から解放されるのが嬉しいからだろう。きっと今から彼女とデートに繰り出すに違いない。彼女はいないって言っていたはずなのに、いつの間に付き合うことになったんだ。私のことはそれほどまで眼中になかったということなのか。
 そりゃあ一度フった相手にしつこく付き纏われたら嫌気がさすのは当然かもしれないけれど、それならもっとちゃんと私を拒んでくれたら良かった。強い口調で完膚なきまでに冷たくあしらってくれたら、さすがの私だって諦めていた……と思う。たぶん。自信はないけれども。
 私たちのもとにやって来た可愛らしい女の子は、ご丁寧にも「太刀川くんと話してもいい?」と私に断りを入れてきて、育ちの良さが窺える。だから余計に、うじうじしている自分がちっぽけで情けなく思えてきて、落ち着きかけていた涙腺が緩み始めた。

「私は今から帰るところなのでごゆっくり!」
「みょうじ、待て」
「ごめんね太刀川、邪魔しちゃって。じゃあまた」
「おい!」

 逃げるようにその場を離れると、なぜか彼が呼び止めてきた。けれど、私が足を止めることはない。いくら打たれ強い私だって、可愛い女の子と想いを寄せている彼がピンク色の雰囲気に包まれながら話しているところを黙って見ているなんてできないもの。
 早歩きから小走り、そしていつの間にか猛ダッシュへ。私の足は必死に、彼から、彼と女の子から離れようとしていた。きっと防衛本能ってやつだ。これ以上自分が傷付かないように、私は私を守っている。
 大丈夫。こんなの今だけ。明日になったらまたタックルをかまして、何事もなかったかのように接することができるはずだから。こんな時のために、彼に彼女ができた場合の設定でちゃんとシミュレーションしていたというのに、現実はそう甘くなかった。
 覚悟していたつもりだったけど、全然、これっぽっちも、覚悟できてなかったんだなあ。心のどこかで、私がアタックし続けているうちは彼女なんて作らないだろうと思っていたのかもしれない。私のバカ。

「ばーか……」
「誰がバカなんだ」
「えっ!?」
「もしかして俺のことか? 確かによく言われるけどな、お前にだけは言われたくない」

 自分自身と彼に向けて放った独り言に反論されたことに驚いて顔を上げると、目の前に彼がいた。有り得ない。だって私はここまでダッシュしてきて、息が切れて苦しくなってきたから足を緩めて歩き始めたばかりなのだ。息をひとつも乱さずに私の進行方向にいるのはさすがにおかしすぎる。ボーダーで鍛えているからって、そんな忍者みたいなことができるのだろうか。
 と、彼をまじまじ見つめていたら先ほどまでとは服装が違うことに気が付いた。黒のロングコートに刀の鞘らしきものが二つぶら下がっている。もしかしなくてもこれはボーダー隊員の戦闘服? いつ着替えたの? その服を着たら忍者になれるの? どういうこと?
 いまだに状況が理解しきれず彼を上から下まで舐めるように見つめ続けていると、彼がずいっと近付いてきた。大股で一歩分。それだけの距離が縮まると、彼との体格差がはっきりわかる。

「なんで先回りしてんの? その服何?」
「細かいことは気にすんな」
「細かくないし気になる。こっちは全速力で走ってきたのに」
「そもそもなんで逃げたんだよ。何回も呼んだの聞こえてただろ」
「……あの女の子は?」

 いつもとは違う服装の彼がいつも通りの調子で言ってくるのを、可愛さのカケラもないトーンで対応する。こういうところが「お前は無理」と言われる要因なのかもしれないけれど、根本的な部分は変えられない。

「講義の資料もらって別れた」
「一緒に帰ったりしなくて良かったの?」
「なんで一緒に帰る必要があるんだ」
「だって……彼女、なんでしょ、」
「彼女? 違う違う。俺は今フリーだ」

 けろっとした顔で堂々と宣言されて拍子抜けした。「彼女だなんて一言も言ってないだろ」とごもっともな指摘をされて、勝手に早とちりして逃げ出したことが急に恥ずかしくなってくる。
 でも、そっか、彼女じゃないんだ。一気に肩の力が抜けて安堵。しかし彼の次の発言を聞いた私は、再び身体を強張らせることになる。

「彼女にしようと思ってる相手ならもう決まってるしな」

 いるんだ。気になってる人。彼女にしたいと思ってる人。どんな子だろう。やっぱり可愛いのかな。スタイルがいいのかな。ボーダーの人かな。知りたいけれど知りたくない。矛盾する感情のせいで頭の中も胸の奥もぐちゃぐちゃだ。

「そう、なんだ、」
「今日はそいつと飯でも食いに行こうかと思ってな」
「へぇ……デートのお誘い?」
「まあそんなとこだ。で、みょうじ。お前、今から暇か?」
「私? 私は特に予定ないけど……」
「よし。じゃあ飯行くぞ」
「え? は? ちょ、まっ、デートのお誘いしに行くんじゃなかったの?」
「だから今した」
「私にしてどうすんの」
「お前にしないと意味ないだろ」

 お互い首を傾げて「何言ってんだコイツ」という顔をして見つめ合う。いや、だって、デートのお誘いをしたい相手は彼が自分の彼女にしたいと思っている相手なわけで、それなのに私を食事に誘うって意味わからなすぎるでしょ。なんでそんな、私を誘うのが当たり前、みたいな顔してんの。これじゃあまるで彼女にしたい相手は私って言っているみたいじゃないか。
 ……え? まさかそんな、え? いや、違うよね、だって私は無理って言われたし。でも、デート……食事……え?

「何食うかな」
「ねぇ太刀川、」
「なんだ。食いたいもんがあったら言えよ」
「そうじゃなくて、あの、なんで私をデートに誘ったの?」
「さっきも言っただろ。彼女にしようと思ってるって。……あれ? 言ってなかったか?」
「聞いてないよ! だって太刀川、私は無理って言ってたじゃん……」
「ああ。あれはそういう意味じゃない」

 そういう意味じゃない? じゃあどういう意味なんだ。嬉しい状況のはずなのに手放しで喜べないこの感じ。中途半端でモヤモヤする。

「あれは、軽いノリで彼女にすんのは無理、って意味で言ったんだ」
「……つまり?」
「つまり? あー……なんだ? 付き合うか?」
「違う! 違わないけどなんか違う!」
「どっちだよ」
「付き合うけど! 太刀川、私のこと好きなの……?」
「たぶん好きなんだろうな。俺にしては珍しく時間かけて考えて、軽いノリで付き合う気分になれなかったのはそれだけ本気ってことなんだろって結論に至った。だから今日デートに誘うことにした」

 恥ずかしげもなくペラペラととんでもないカミングアウトをしてきた彼はいまだに何を食べようか考えているようで、そのあまりのムードのなさに現実味が感じられない。私、告白されたんだよね? 両想いなんだよね?
 何度も確認するのは憚られるけれど、でも、やっぱりまだモヤモヤしている。私の今までの努力は何だったんだ。嬉しさよりも何とも言えないモヤモヤが勝っている私をよそに、彼はまた追い討ちをかけるように言う。

「ああ、そうだ。タックルされると身体が密着してムラッとするから外ではやめてくれ」
「な、」
「毎回胸が当たるんだよ。お前CかDだろ」

 百年の恋も冷めそうなほどデリカシーのない発言だった。超がつくほどマイペースで人の話をちゃんと聞いてないことが多いし、誰が聞いているかもわからない道端で胸のサイズを平気で言い当てようとしてくるし(しかも正解だし)、友人の指摘は正しかったのかもしれない。
 けれども彼のことを好きな気持ちはどういうわけか消えてくれなくて、モヤモヤしていたことも彼が相手だとすごくどうでもいいことのように思えてきたから、私も適当な人間だよなあと思う。

「私、なんで太刀川のこと好きなんだろう」
「何か言ったか?」
「ううん。何も」
「やっぱうどんかコロッケが有力か」
「確認なんだけど、今から初デートってことだよね?」
「一応そういうことになるな」
「……まあいっか」

 そんなわけで私たちの初デートスポットは近所のうどん屋さんになりました。
 そういえばいつの間にか元の服装に戻っていたけれど、ボーダーは早着替えの達人集団なのだろうか。「今日のことは他のボーダーのやつらに言うなよ」と口止めされたから、彼は私のために何やらまずいことをしたのかもしれないけれど、私が真相を知ることは永遠になかった。

村人CとDのおとぎ話