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 まただ。鼻をくすぐるこの香り。ここにいないのに、否が応でも脳が彼女のことを思い出す。残香というものは都市伝説か何かだと思っていたが、彼女に出会ってからは実際に存在するものなのだと実感させられた。

「みょうじ来てた?」
「ああ。また来ると言って三十分ほど前に出て行ったが」
「そっか」
「みょうじに用があったのか?」
「いや、ちょっと確認したかっただけ。ありがとう、レイジさん」

 ほらね。やっぱりここにいたんだ。香りが残ってるから間違いないとは思ってたけど。

 B級以上のボーダー隊員ならほぼ知っているであろうおれのサイドエフェクト、未来視。文字通り「少し先の未来が視える」この能力は、良くも悪くもおれの人生の基盤となっている。
 この能力のお陰で助かったことは数多くあるが、そのぶん苦労もしたし悩むことも多かった。そしてその悩みの一つは彼女に関することだ。
 おれはほぼ間違いなく、目の前の人間の未来が視える。正確に言うと、目の前の人間の未来の選択肢が視える、といったところだろうか。確定した未来が視えることもあれば不確定な未来しか視えないこともあるから、このサイドエフェクトは皆が思っているほど万能ではない。そしてどういうわけか、彼女の未来は全く視えないのであった。

 初めて出会った時は驚いた。今まで「視えない人物」と相対したことがなかったから。それが一般的な状態であることは理解していたが、おれにとっては異常だったのだ。
 嵐山たちと同じ大学に通う同い年の彼女は、高校生の時オペレーターとしてボーダーに入隊してきた。色々な隊を転々としていたが、今はフリーで本部の仕事を手伝っている。だからといって我らが玉狛支部と仲が悪いとか、そういうことは一切ない。むしろ宇佐美とは馬が合うらしく、よく遊びに来ているようだ。
 誰とでも分け隔てなく接する彼女はコミュニケーション能力が高いだけでなく、オペレーターとしての能力も長けているらしく、本部も重宝していると耳にしたことがある。とはいえ(こんな言い方をしたら失礼かもしれないが)、彼女はごく普通の、特別な何かがあるような人間ではない……はずだ。それなのに、未来が視えない。これは一体どういうことなのか。

 最初は考えた。彼女にも特別なサイドエフェクトがあって未来視を拒絶しているのかも、とか。おれの能力が一時的に落ちているのかも、とか。まあそんなことを色々。しかし実際のところ、彼女はサイドエフェクトを持っていないらしいし、おれ自身の能力が低下しているということもなかった。つまり現在進行形で、彼女の未来が視えない原因は不明なままだ。
 オペレーターである以上、彼女が直接的に戦闘に巻き込まれる確率はほぼゼロ。だから未来が視えなくても彼女に危険が及ぶことはそうそうないはずだし、戦況に大きく関わることもないと思う。視えなくても問題はない……のだが、個人的には大問題だった。
 視えないことがキッカケだったことは認める。視えないからこそ、彼女を「見て」いたことも。そうして気が付いた時には惹かれていた。落ちていた。おれにとって、初めての経験だった。

「迅くん、それは錯覚だよ」
「錯覚?」
「私の未来だけ視えないから興味深く観察してた。だから惹かれてるって勘違いしちゃったんだよ」

 伝えることが正解だったのか、不正解だったのかはわからない。しかし、初めての感情を持て余した若かりし頃のおれは、勢いだけで彼女に好きだと告白してしまった。その時の彼女の反応がこれである。
 そうか、錯覚なのか。彼女があまりにも当然のように「錯覚だ」と言い切ったから、当時のおれは妙に納得して引き下がってしまった。しかし、今となっては引き下がるべきじゃなかったと思っている。この気持ちは錯覚じゃないと言い切れるほど膨れ上がってしまっていたから。
 悲しいかな、気付いた時にはもう遅く、おれがどれだけ「好きだ」「本気だ」と伝えても「その話はもう終わったでしょ」と返されるようになり、遂には「またその話?」とあしらわれるようになってしまった。
 そこまでされたらおれも諦めたら良いのに、そう簡単に諦められないぐらい深く彼女の沼に沈んでしまったものだから目も当てられない。絶賛片想い継続中のおれは、今日も彼女の香りに振り回されている。
 どこの銘柄の何の香水なのかは知らないが、彼女からは常に良い香りがした。その香りも惚れた理由のひとつなのかもしれない。彼女がそこにいた証が色濃く残るものだから、おれはいつもまるで犬のように彼女の香りを辿ってしまうのだ。

 だから扉が開く音がして振り返る前に、ふわりと香ってきた匂いでわかってしまった。彼女がそこにいることに。どうやらレイジさんの言った通り、彼女が再び玉狛支部にやって来たらしい。
 振り向けば、案の定、そこにはおれをこっぴどくフってばかりの彼女の姿があった。彼女はおれと目が合うなり「あ」と声を漏らすと「ちょうどよかった」と顔を綻ばせる。
 その表情に意味はない。おれが相手じゃなくても、彼女は笑顔を傾ける。それをわかっていてもどきりとしてしまうのは、おれが彼女に惚れている証拠だ。

「ちょうどよかった、ってどういう意味?」
「そのままの意味。今日は迅くんに会いに来たから」
「なんで?」
「え……あれ? 今日じゃなかったっけ。迅くんの誕生日」

 言われて漸く思い出した。そうだ。そういえば今日はおれの誕生日。駿が本部でパーティーを開く準備をしていることも、今晩この玉狛支部のメンバーがパーティーを企画してくれていることも視えていたのに、彼女の香りに惑わされてすっかり失念していた。
 おれは「そういえばそうだった」と素直に忘れていたことを認める。彼女は自分の記憶が間違っていなかったことに安堵したのか、また表情をふにゃりと和らげた。

「これ、誕生日プレゼント」
「ありがとう。開けてもいい?」
「いいけど、大したものじゃないよ」

 彼女がおれに用意してくれた時点で大したものなのだが、それをわざわざ口にするような野暮なことはしない。おれはおもむろに包みのリボンを解いて中身を確認した。

「もしかして、香水?」
「そう。迅くんは諸々の理由でつけそうにないなと思ったから迷ったんだけど……ほら、前に少しだけ私の香水の話をした時に、おれに似合いそうなやつ選んでよ、って言ってたでしょ。本気じゃなかったかもしれないけど、私が使ってるのと同じブランドで迅くんっぽいのがあったから……いらなかったら捨てちゃって」

 呆然と美しいパッケージのそれを見つめるだけのおれに、彼女はつらつらとプレゼントを選んだ経緯を語ってくれた。正直なところそのセリフはあまり頭に入ってこなかったが、おれは辛うじて言葉を返す。「捨てないよ」と。
 おれは隠密行動を取ることが多いから、本当だったら香水なんてつけない方が良い。誰かがいたという形跡を残すべきではないからだ。
 しかし、もしこの香りを纏っていることで彼女がおれを思い出しやすくなるのなら。その香りを嗅いで、少しでもおれのことを考えてくれるのなら。おれは喜んで彼女が選んだ香りを身に纏おうではないか。
 丁寧に取り出したそれを一吹き。この香りがおれっぽいのかはわからないが、彼女が満足そうだから良しとしよう。

「うん、イメージ通り」
「みょうじの中でおれってどんなイメージ?」
「掴みどころがなくて自由気ままな風」
「ふーん」
「あと、」
「あと?」
「脆いくせに折れない」
「……それはイメージとは違うでしょ」
「そっか。脆いくせに折れないのはイメージじゃなくて事実だもんね」

 それは褒め言葉なのか貶し言葉なのか。どちらにせよ「私はそんな迅くんが好きだよ」とさらりと爆弾を投下してあっさり帰って行く彼女に、おれはただただ頭を抱えるしかないのだ。
 おれがお前のこと好きだって知ってるくせに、ずるいよなあ。すんすん。鼻から空気を吸い込むと、彼女の残香とおれの香りが混ざった匂いが身体中に染み渡っていくようで、頭がくらくらした。香り同士がぶつかり合うことなく「良い香り」になっているのは、彼女がそうなるように考えたのだろうか、なんて。
 未来が視えなくたって、おれがこのまま彼女に転がり落ちていくのは明らかだ。

コロコロコロン