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 誰がどう見たって、あの時の彼は間違いなくかっこよかった。ひらりと舞う黒い服の裾。きらりと光る長い双剣。ぎらりと輝く瞳。見たことのない大きな怪獣と私の間に突如として降り立った彼は、瞬く間に怪獣を両断した。
 彼が来てくれなければ、私は死んでいただろう。だろう、じゃない。死んでいた。確実に。だから彼は、私の命の恩人だ。しかし当の本人はそんな大それたことをしたつもりなどなさそうで、大きな怪獣を一瞥して「ザコだったな」と呟き、ついでと言わんばかりに私に手を差し伸べ「大丈夫か?」と声をかけてきたのである。あんなの、私じゃなくたって絶対にときめく。
 俺のお陰で助かったんだぞ、とふんぞり返ってもいいぐらいのことをしたのに、彼はそんな恩着せがましいことはひとつも言ってこなかった。それどころか、私が尋ねなかったら危うく名前さえ教えてもらえず、お礼をする機会を取り付けられずに終わるところだった。

「助けてもらったお礼をさせてください!」
「俺はただアレを切りに来ただけだからなあ……でもまあ、そんなに礼がしたいって言うなら」

 そうして、緩い感じであっさりと連絡先を教えてもらって、何度かやり取りをしている間に判明した。なんと驚くべきことに、彼は私と同じ大学に通っている先輩だったのだ。
 大学構内で見かけたことはないけれど、ボーダー隊員は忙しそうだからなかなか講義を受けに来ることができないのかもしれない……と解釈しかけたものの、同じ学年の嵐山くんや生駒くんは大学でもわりと見かけるのにおかしいなあという疑問も生まれる。しかしそこは、学年や学部が違ったら全く会わない可能性もあるのだろうと、あまり深く考えないことにした。
 そんなわけで、私からのお礼は食堂でお昼ご飯をご馳走することに決まった。命の恩人に対するお礼としては軽すぎると思ったのだけれど、彼から「十分だろ」というお返事をいただいてしまったので、それ以上食い下がることはできなかったのだ。
 彼の都合に合わせて食堂で待ち合わせをして好きなものを注文してもらい、向かい合わせで昼食をとる。彼はうどんとコロッケ定食という謎の組み合わせを美味しそうに貪っているけれど、本当にこんな、たかだか数百円のお礼で良かったのか甚だ疑問である。
 私は自分の昼食であるミートスパゲティーをくるくるとフォークに巻き付けながら考えていた。このお礼が終わったら、私と彼がやり取りをする理由はなくなる。もちろん、会う理由もない。けれども私は、これで終わりにしたくなかった。
 命を助けてもらったから。あの時の彼が途轍もなくかっこよかったから。単純だけれど、私は彼のことが好きになってしまったのだ。だから、どうにかして、これからも連絡を取り合える関係でいたい。あわよくば、時々で良いからこうしてお昼ご飯をご一緒したい。
 考えている間にも時間は過ぎていて、彼はずるずるとうどんを啜り、パクパクとご飯とコロッケを胃袋におさめていく。かたや私のスパゲティーは一向になくならない。

「食わないのか? それ」
「え?」
「もしかして腹へってないのか?」
「そんなことないです! ちょっと考え事してただけで」

 私が慌ててスパゲティーを口に押し込んで食べ始めると、彼は残りのコロッケとご飯を口の中に放り込み「ふーん」と相槌を打った。気付けば彼は今の二口で完食していて、残っているのは私の目の前にあるスパゲティーだけ。
 どうやって彼との次の機会を設けようかと考えていたけれど、何も思い浮かばなかった。彼はきっと今飲んでいるお茶を飲み干したら行ってしまうだろう。無念だ。

「考え事って?」
「は?」
「考え事してたって言ったよな、さっき」
「はあ」
「飯食う手が止まるような考え事って何?」

 まさか彼からそんな質問をされると思っていなかった私は、ポカンと口を開けたマヌケ面のまま固まってしまう。だって、彼の方から話しかけてくれるなんて、私の食事が終わるのを待ってくれるような素振りを見せるなんて、予想できるわけがないじゃないか。
 しかも考え事の内容が、どうやったら彼と今後も連絡を取り合えるか、不自然じゃない流れでお近付きになれるか、ということだったから、咄嗟に答えられやしない。スパゲティーを食べるどころじゃなくなってしまった私に「やっぱり腹へってないんだろ」と言う彼の指摘通り、私は今、ちっともお腹がへっていなかった。正確には、胸がいっぱいで食べられない、というやつである。

「太刀川さんのこと考えてました」
「俺のこと?」

 馬鹿正直に言うつもりなんてなかったのに、彼の不思議な格子の瞳と視線がぶつかったら頭の中が真っ白になって、気付いたら心の声が漏れていた。どうにかして誤魔化せないかと思ったけれど、彼の瞳が私を逃すまいと視線を注ぎ続けているものだから、脳がちっとも機能してくれない。ゆえに、上手い誤魔化し方も適当なかわし方も思い浮かばなかった。
 苦し紛れにスパゲティーを口に運び咀嚼してみたけれど、ちっとも味がしない。困った。どうしよう。

「俺のことって? 具体的にはどういう?」
「……助けてくれた時、かっこよかったなあって」
「ほう」
「太刀川さん、きっとモテるんだろうなあって」
「そう言われて悪い気はしないな」
「実際モテますよね?」
「いや。そうでもない」
「本命の彼女がいるとか?」
「いない」
「じゃあ私にもチャンスありますか」

 脳が働いていないせいで、またとんでもないことを口走ってしまった。混乱しすぎにもほどがある。これではほぼ告白と同義だ。たった二回しか会ったことがない、会話に至ってはほぼ今日が初めてみたいな状態で、この女は一体何を言っているんだ? とドン引きされるに違いない。
 痛手を受ける前に「冗談です忘れてください」とヘラヘラ笑いながら取り繕えば良いのに、私はただスパゲティーを掻き込むだけで何も言わなかった。我ながら、とんだポンコツである。

「あるだろ。普通に」
「え」
「チャンスなんて、その気になればいくらでも作れる」

 それがどういう意味で言われたものなのか、何に対しての発言なのか、私はイマイチ理解しきれなかった。けれど、たぶん、私は彼のことを好きなままでいい。それだけは、勝手にポジティブな方向へ解釈させてもらった。
 残りのスパゲティーを平らげる。そういえば彼は先に食べ終わったのに、最後まで私を置いて行ったりしなかった。暇潰し程度に会話をしてくれていただけかもしれないけれど、それでも、私にとっては十分すぎる気遣いだ。

「あの、お昼ご飯……またこうやって一緒に食べたりとか、できませんか……?」
「あー。俺あんまり大学来ないからなあ」

 なけなしの勇気を振り絞ってお誘いしたのに、あえなく玉砕した。今の発言は「お前とはもう昼ご飯は一緒に食べないぞ」という遠回しな意思表示だろう。
 チャンスはあるって言ったくせに、ちょっとだけ期待させておいてこの仕打ちはひどいんじゃないだろうか。勝手に一人相撲をしているのは私だけれど、でも、それにしたって。
 泣きたいような怒りたいような、よくわからない感情がとぐろを巻いていて、次の言葉が出てこない。「ボーダー隊員って忙しそうですもんね」とか「じゃあ大学に来た時、気が向いたら連絡くれませんか?」とか、上手なセリフはいくつか思い浮かんだのに、それらが音になることはなかった。
 それは、私が意気地なしだったからじゃない。先に彼の方が言葉を発したからだ。

「次は大学の外で食うか」
「……いいんですか?」
「だめな理由があるか?」
「私はないですけど」
「じゃあいいだろ」
「ほんとですか? いつなら大丈夫ですか? 私の方から連絡しても迷惑じゃないですか?」

 嬉しさのあまり思わず前のめりになって矢継ぎ早に質問をぶつけてしまったせいで、彼は呆れているのか引いているのか、目を瞬かせるだけで言葉を失っていた。私の馬鹿野郎。この短時間で何回やらかせば気が済むんだ。
 後悔している間に、くくく、と聞こえ始めた笑い声。それは他でもない、目の前の彼から発せられたものだった。今度は私が目を瞬かせて言葉を失う。

「とりあえず明日の夜は暇だな」
「それはその、」
「名前なんだったっけ?」
「へ? 私ですか?」
「そう」

 一応連絡先を交換した時に名乗ったんだけどな。登録してくれた時に確認しなかったのかな。興味がなさすぎて覚えてないとか、そういう感じかな。
 嫌な方向に向かいそうになる思考を軌道修正して、私はできるだけハキハキと答える。たとえ興味がなくて覚えられていなかったのだとしても、今こうして名前を訊かれたということは興味を持ってもらえたということに違いない。自分にそう言い聞かせながら。

「みょうじなまえです」
「みょうじな。覚えとく」

 ガタリと席を立つ彼に倣って自分も席を立つ。え、いや、ちょっと待って。明日の夜は暇だと言われて、それで、私は結局どうしたら良いのだろう。連絡しちゃっても良いのだろうか。ていうか明日なら今お誘いした方が早いのでは?
 悩めるのは皿やトレーを返却し終わるまで。それが終わったら、いよいよさようならの時間だ。ここまで散々やらかしているのだから今更慎重になってももう遅い気がするし、ここまできたら当たって砕けろの精神でいくしかない。私は息をしっかり吸い込んでから声を発した。

「あのっ」
「じゃあまた明日」
「また……明日……?」
「適当に連絡してくれたら適当に返す。たぶん」

 私の気合いを華麗にスルーしてひらひらと手を振り去って行く彼の後姿を呆然と見送る。適当に連絡って、好きな人相手に適当に連絡できるわけないんですけど。しかも、たぶん、って何だ。返事してくれない可能性もあるのか。いつも期待ばかりさせて中途半端にかわすのはやめてほしい。こっちの心臓がもたないから。
 私を助けてくれた時みたいな格好ではないというのもあるかもしれないけれど、今日話してみた感じだと彼はかなりルーズそうな性格だ。掴みどころがなくて何を考えているのかよくわからないし、正直、第一印象の「かっこいい」というイメージとはかけ離れている。
 けれども私はときめきを覚えたあの時よりも、今の方が胸を高鳴らせていた。もっと知りたい。もっと一緒にいたい。つまりやっぱり、私は彼のことが好きなのだ。この気持ちは理屈じゃない。

 ……と、自分の気持ちを再確認した翌日の夕方。ドキドキしながら連絡したのに返事がなくて落胆していたらメッセージではなく電話が鳴って、それこそ心臓が飛び出そうなほど緊張しながら通話ボタンをタップした私に対して、第一声「誰だっけ?」と言ってきた彼には、さすがに「はあ?」と言ってしまった。
 昨日「覚えとく」って、ちょっとキメ顔で言ったのはどこのどいつだ。ていうか昨日の今日で存在を忘れることってありますか? 私に興味を持ってくれたわけじゃないんですか? どういう気持ちで私の名前を訊いてきたんですか?
 彼に対して色々思うことはあったけれど、その前に自分自身に確認しておきたい。私、本当にこの人のことが好きで大丈夫か?

落ちたのは恋か穴か