×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



 これは駄目なやつだ、と。肌に伝わる感触で全てを悟った。初めて、不快とは違う苦痛を味わった。あの日の記憶が蘇る。

 恋愛経験は乏しい方だ。しかし、全くの未経験というわけではない。こんな俺でも、過去に一人だけ、付き合った女がいる。
 その女は「私のこと好きじゃなくても良いから」と、何度も俺に迫ってきた。付き合う真似事だけで良いからどうしても付き合いたい、と。
 俺以外にも男なんて腐るほどいる。真似事をするだけで良いなら、俺じゃなく他を当たった方が手っ取り早いに決まっている。それなのに女は、なぜか俺に固執していた。

「私は影浦くんが好きだから、影浦くんが良いの」
「だから俺は、」
「お願い」

 何度目の告白だったのだろうか。それまでとは違って鬼気迫る懇願っぷりと肌を刺す感覚に、俺は女の本気を感じ取ってしまった。だからつい「分かった」と了承してしまったのだ。
 女と付き合い始めてからの日常は、それまでと大きく変わりなかった。教室で話す頻度が増えたり、時々帰路を共にしたり、気が向いた時に携帯でやり取りしたり。
 他に経験がないから比べようがないが、恐らく一般的な恋人同士よりもずいぶんと淡白な付き合い方をしていたのではないかと思う。それでも女は満足そうで、俺に擽ったい感触を与え続けていた。
 そんな関係から二ヶ月後。気付いたら、俺は絆されていた。付き合い始めてから知った女の表情や動きや香りや、その他色々な一面に、いつの間にか惹かれるようになっていたのだ。
 しかし、自分の感情を伝えるのは憚られた。元々、両想いになる見込みはないという前提でスタートした関係だ。それなのに蓋を開けてみればご覧の有り様。どのツラ下げて今更「好きになった」などと言えるのか。
 自分の気持ちを言っても言わなくても、恋人という関係は続く。それならば、あえて口にする必要はないのではないか。そう考えた俺は、女に真実を伝えぬまま関係を続けていた。
 だから、バチが当たったのかもしれない。

「今まで私の我儘に付き合ってくれてありがとう」
「は?」
「半年間、楽しかった」
「どういうことだ」
「今日でお別れしよう」

 付き合い始めて半年。別れは突然訪れた。何の前触れもなかった。言動も、伝わってくる感情も、前日までは変わりなかったのだ。
 それなのに、あの日、目の前で爽やかな笑顔を傾けてくる女からは、前日までのような感情は伝わってこなくなっていた。それまで向けられていたのが「好き」という感情だったなら、その感情はごっそり消え失せていて、代わりに全く感じたことのない感情をぶつけられたのだ。
 女はボーダー隊員ではないから、俺のサイドエフェクトのことは知らない。だから、俺を欺くために感情をコントロールしたということは有り得ないと思う。それに、例えサイドエフェクトのことについて知っていたとしても、感情というのはそう簡単にコントロールできるものではないだろう。
 たった一日で、半年間の関係をすっぱりと断ち切れるほどの何かがあったというのだろうか。だとしたら、俺にはそれを知る権利があるはずだ。

「理由は」
「もう十分満たされたから」
「随分と自分勝手なこと言うじゃねーか」
「あれ。やっと終わりか、って喜ぶかと思ったのに」

 俺の気持ちを知らない女は、あっけらかんとそう言ってのけた。
 こんなことになるぐらいなら伝えておけば良かった。伝えていたら何かが変わったのだろうか。別れずに済んだのだろうか。今伝えたらどうなるのだろう。考えて、言おうかと思って、口を噤む。
 自分に向けられている女からの感情に「好き」はもうない。ということは、俺が今「好きだ」と言ったところでどうにもならないことに気付いてしまった。
 何を言っても駄目なんだな、と。全てを悟った。

「……分かった」
「うん。じゃあね、影浦くん。お元気で」

 後腐れなく笑顔で手を振って俺の元から離れて行った女は、翌日から学校に来なくなった。転校したとか自主退学したとか、色々な噂は飛び交っていたが、本当のところはよく分からなかった。分からないまま、女は俺の前から姿を消した。中学三年の春のことだった。

 そして三年が経った今。忘れもしない、あの日と同じ笑顔を携えた女が俺の前に現れた。古傷を抉られるようなじくじくとした痛みに、思わず表情が歪む。

「久し振りだね、影浦くん」
「みょうじ、おめー今までどこにいやがった?」
「私に興味持ってくれるなんて嬉しいなあ」
「話逸らすな」
「うーん、まあ、色々あって。全部聞きたい?」

 学校からの帰り道。こっちは制服。女は私服。学校には通っていないのだろうか。今どこで何をしているのだろう。それより、あの日から一体何があった?
 尋ねたいことは山ほどある。しかし生憎、俺には時間がなかった。今日に限って防衛任務が入っているのだ。今日だけではない。今週はなぜか忙しくて、来週にならないとまとまった時間は取れそうにない状態だった。

「来週なら、聞ける」
「聞いてくれるならいつでも良いよ。もうどこにも行かないから」

 そう言って笑った女から向けられた感情には身に覚えがある。胸が騒ついた。三年も経ったが、この感触だけは忘れない。
 「じゃあ連絡先交換する?」「来週のいつにしよっか?」「待ち合わせ場所どこが良い?」と勝手に話を進める女に、一歩近付く。携帯に落としていた視線が俺に向けられて、交わった。

「まだ俺のことが好きなのか」
「え?」
「おめーはまだ俺のことが好きなのかって訊いてんだよ」

 これだけは来週まで待てない。刺さった感情を確認せずにこのまま防衛任務に向かうなんて、できるわけがなかった。
 キョトンと俺を見つめてくる瞳は揺らがない。こちらが逸らしたくなってしまうほど真っ直ぐだ。しかし、ここで目を逸らすわけにはいかない。女の口から返事を聞くまでは。例えその感情を、既に肌で感じていようとも。

「よく分かったね」
「じゃあなんであの日、」
「影浦くんは?」
「な、」
「影浦くんは、私のこと同級生として覚えてただけ?」

 何と答えるべきか迷う。迷って、言い淀んで、しかし、今度こそ言おうと決めた。あの日と同じ後悔はしたくないから。
 ……と、格好をつけてみたが、結局のところ俺は、相手の感情が分かっていないと自分の気持ちを伝えられないだけの臆病者だ。そんな自分に腹が立つ。しかし今はそんなことを考えている場合ではない。

「好きだっつったらどーすんだよ」
「え! 何? もう一回言って!」
「もう言わねー」
「ふふ、良いよ。これから先、何回でも言ってもらうから」

 それはそれは嬉しそうに顔を綻ばせる女から向けられる感情が、あの日の苦痛を洗い流していく。
 今も俺のことが好きだと言うのなら、あの日だって好きなままだったのではないだろうか。それならばどうしてあの日だけ「好き」という感情を消すことができたのか。なぜ別れを切り出さなければならなかったのか。
 やっとのことでお互いの気持ちが通じ合ったとはいえ、謎はまだ多い。しかし、今日はもうタイムリミットを過ぎていた。

「連絡先」
「ああ、うん」
「絶対逃げんなよ」
「もちろん」

 手早く連絡先の交換をして、再会の余韻に浸る間もなくボーダー本部へと足を向ける。が、直後、背後から「影浦くん!」と呼ばれて振り返ることとなった。

「私、影浦くんの体質のこと知ってたよ」
「は」
「三年前から、知ってたよ」
「……なんで、」
「急いでるんでしょ。早く行かなくちゃ」
「てめー……!」
「続きはまた来週、ね?」

 また一つ増えた謎。俺のサイドエフェクトのことを知っていた? 本当に? だとしたらこの女、もしかして三年前からこの展開を目論んでいたのでは?
 折角両想いだと分かってそれなりにスッキリした気持ちで防衛任務に臨めると思っていたのに、今日はどうやっても集中できない運命にあるのかもしれない。こうなることも女のシナリオ通りなのだろうか。
 一歩を踏み出す前にもう一度女を見遣る。微笑む女から向けられる感情は優しく俺を突き刺すばかりで、擽ったくて堪らなかった。

空白を埋める謎