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「#幼馴染」のBL小説を読む
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ワンツースリーでさようなら

 時々思うことがあった。なまえは今幸せなのだろうかと。結婚したことを後悔してはいないだろうかと。結婚すると決めた時から、いや、たぶんなまえのことが好きだと自覚した時から、自分のものにするなら死んでも幸せにしてやるという心持ちではあったが、果たしてそれは自己満足に終わっていないだろうか。情けない話だが、こればっかりはいまだに確認できずにいる。
 俺が「今幸せか」と尋ねたら、なまえは間違いなく頷くだろう。たとえクソみたいな生活だと思っていたとしても、平気な顔で幸せそうなフリをする。何かに傷付いていても、胸にわだかまりがあっても、不平不満があっても、それを俺にぶちまけることはない。そういう女だ。
 それを、面倒臭くなくていい、とは思えなかった。小さなことでグチグチ言う女は願い下げだが、なまえは何も言わなすぎる。結婚してからは、まあ、付き合っている時に比べたら自分の感情を表に出すようになった気がするが、それでもまだ何か俺に言っていないことがあるのではないかと思う。
 全てを知りたいわけじゃない。支配したいわけでもない。ただ、誰に頼れなくても、俺だけには頼ってほしい。縋ってもいい男だと認識されたい。それだけだった。結婚したら自ずとそういう思考になるだろうと思っていたが、なまえの根本的な性格は今のところどうにもなりそうにない。

 そんなわけで、俺たちの関係性は良くも悪くもそれほど変わらぬまま、いつの間にか結婚して一年が経つ。穏やかで安定した日々を過ごしているが、なまえは時々心ここに在らずという顔をしていることがあった。まるで今の生活が現実として受け入れられていないような、そのまますうっと消えてしまうのではないかと思わせるような、そんな儚げな顔を。
 名前を呼べば我に帰りはするが、いつか俺の元を離れて行ってしまいそうな危うさが残っている。俺がどれほどの決意をもって一緒に生きていくことを選択したかも知らないで、困った女だ。守られているだけでいいのに、それができない。不器用で、強い女だ。だからこそ俺はなまえに惹かれたわけだが。
 そんななまえが、珍しく自分から変な女に絡まれたと報告してきた。ヴィランではないようだが、どうやら俺のファンらしい。ファンならファンらしく黙って俺の活躍を見ていればいいものを、なまえに危害を加えようなどと考えただけでなく行動におこすとは、よっぽど俺を怒らせたいようだ。
 もしなまえに手を出そうもんなら、たとえ警察が逮捕しようが法的に裁かれようが、俺自身の手で制裁を下さなければ気がすまない。もちろんそんなことが起こらないように守るのが俺の役目なわけであって、幸いにもこの一ヶ月は何事もなく過ごすことができている。とはいえ、まだ油断していい状況ではなかった。

 そんな矢先の出来事だ。ちょうど仕事を終えて帰路に着いている夕暮れ時に、家までの近道で使う路地裏の角を曲がったところで一人の女と遭遇したのは。しかもその女は、驚いた様子もなく、何の躊躇もなく、俺の肩をポンポンポンと三回叩いてきたのだ。明らかに不審な行動である。
 見ず知らずの女だったが、俺は一瞬で勘付いた。肩ぐらいまでの黒髪に丸い眼鏡をかけた中肉中背の女。なまえから聞いた特徴と全く同じ。この女はなまえに危害を加えようとした女に違いない。
 この道でご丁寧に待ち伏せていたということは、俺の行動パターンを把握しているのか。だとしたらファンというよりストーカーである。心底気持ち悪ィ。いや、今はそんなことより先ほどの行動が気がかりだ。
 肩を三回叩かれた。そのことに何か意味はあるのか。なまえは何もされなかったと言っていたが、なまえには「レジストクワーク」という特殊な“個性”がある。それゆえに何も起こらなかっただけかもしれない。俺は素早く女から距離を取った。怪しい行動を取ったとはいえ、相手は一般人の女。あきらかな攻撃をされていない以上、プロヒーローである俺から手を出すことはできない。

「俺に何か用か?」
「……さようなら、爆豪なまえ」
「は? なん、っ……、」

 なんでテメェがなまえの名前を知ってんだ、と尋ねるより先に、激しい頭痛で視界が揺れる。なんだこの痛みは。女から攻撃されているのだろうか。だとしたらここで倒れるわけにはいかない。俺は気力だけでどうにか意識を保った。
 女はどこだ、と確認するために揺れる視界で前を見据える。そして視界に飛び込んできたのは、倒れている女の姿だった。どういうことだ? 俺に攻撃をしかけたわけじゃないのか?
 考えたいが、頭痛がどんどんひどくなっていってそれどころではなくなった。クソ。何やってんだ俺は。女をまともに確保できないどころか、応援を呼ぶことすらもできないなんて情けない。汗が全身から噴き出す。痛い。吐き気をもよおすほど頭が割れそうに痛い。もしかしてこのまま頭が吹っ飛ぶのだろうか? ……とすら思ったが、ある一点を超えてから痛みは緩やかになり、やがておさまった。
 一体何だったのだろうか。何もわからないが、とりあえず倒れている女を保護する。この女に出くわしてから頭痛が始まったのは間違いない。事件性があるかわからないので、俺はひとまず事務所と提携している専属病院に連れて行くことにした。

 事務所の人間に大まかな事情を説明し女を引き渡した俺は、ようやく帰路に着く。とはいっても、まだ夜の七時を過ぎたばかり。どうせ家に帰ってもすることはないし、急ぐ必要はない。
 いつもの道を通って、マンションのエントランスを抜けて自分の部屋の鍵をあける。そして扉を開けた俺は驚愕した。リビングの方からパタパタと足音を鳴らして見知らぬ女が出てきたからだ。

「人んちで何してやがんだテメェ!」
「え?」

 俺が怒鳴っているにもかかわらず、恐れるどころかあっけらかんと尋ねてくる女に、またもや驚愕する。なんだこの女は。今日は女難の相でも出ているのだろうか。こうも女絡みでわけのわからないことばかりが続く日は初めてだ。

「どうしたの?」
「それはこっちのセリフだ! 俺はどうもしてねェ。テメェがどうかしてンだよ不法侵入女」
「不法侵入って……、」

 先ほどまでとは打って変わって戸惑っている様子の女を睨みつける。どうやって入り込んだのかは知らないが、俺の家で盗みを働いたのが運の尽きだ。このままとっ捕まえて警察に突き出してやる。
 俺が戦闘態勢であることを察知したのか、女はリビングに走って戻って行った。このまま逃すつもりはない。しかし、帰り道に出くわしたあの女のように、この女も意味不明な“個性”を持っているかもしれない。無闇に距離を詰めるのは危険だ。
 俺は警戒心を緩めぬまま、ゆっくりとリビングに足を進める。そしてリビングへと続く扉を開こうとしたところで、先に扉が開いて女が出てきた。まるで今から買い物にでも出かけるかのような、優雅な格好で。とても不法侵入をするような様相には見えない。そういう手法なのだろうか。

「今日は実家に帰るね」
「は?」
「夜ご飯できてるから温め直して食べて」

 実家に帰る? 夜ご飯できてる? 何言っとんだこの女は。あまりにも突拍子もなさすぎることを言われ呆然としていた俺は、そそくさとパンプスに足を滑り込ませて家から出て行った女を追うことを忘れていた。
 普通パンプスで不法侵入するか? つーか夜ご飯作るか? 作らねぇだろどう考えても。意味がわからなすぎて混乱している俺を更に惑わすように、鼻をくすぐるいい香りが漂ってきた。もしかしなくとも、あの女が作った夜ご飯の匂いだろう。
 俺はふらふらとリビングに入る。ふと見ると台所には二人分の食器が丁寧に用意されていた。どうやら俺と仲良く夜ご飯を食おうとしていたようだ。頭がイカれすぎている。俺が見ず知らずの女と飯を食うとでも思っているのだろうか。

「なんなんだよあの女……」

 俺の呟きは、一人の静かな部屋の中で料理のいい香りに混ざって消えていった。