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「#総受け」のBL小説を読む
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ゴキゲンナナメ45°に上昇中

「なまえ」
「大丈夫。なんともない」

 私の発言を聞いた彼は眉間に皺を寄せて、苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。きっと、まだ何も訊いていないのに先に答えられたことが気に食わないのだろう。しかし、毎日かかさず「つわりは? 体調は?」と尋ねられていたら、先に答えたくもなるというものだ。ちなみにこの後言われるセリフは「本当だろうな?」である。

「本当だろうな?」
「嘘吐く理由ないでしょ」
「我慢」
「してない」
「……ならいい」

 このやりとりで一連の流れは終了。本日の日課を終えた私は、ほっと胸を撫で下ろしてマグカップの中の温かいココアを啜った。妊娠したことを伝えた翌日から、よくもまああきもせず気にかけてくれるものだと感心しながら。
 前々から何となく察してはいたけれど、彼は心配性……というより、過保護だ。大事にしてくれるのは有り難いし嬉しい。しかし、私は子どもじゃないのだからもう少し信用してくれても良いのに、と思う気持ちもあるから複雑だ。
 信用されていないわけではない、ということはわかっている。彼は、私と私のお腹の中に宿るもう一つの命に何かあってはいけないから些細なことでも見逃すまいとしているだけなのだろう、ということも。それでもやっぱり「ちょっとぐらい放っておいてほしい」と思ってしまう私は贅沢者なのだろうか。

「今がつわりのピークなんだろ」
「そのはずなんだけどね」

 彼が妊娠・出産・育児について、一人であれこれ調べていたのは知っている。だからつわりのピーク時期まで把握していることに驚きはしなかった。それよりも私につわりらしき症状がこれといってないことの方が驚きである。
 彼に伝えるより前に、私だって色んなことを調べた。今から自分の身体がどんな風に変化していくのか。どのような心構えや準備が必要なのか。だから、つわりがくることも覚悟していた。しかし、妊娠が発覚してから早一ヶ月少々。すっかり寒さが深まった十二月、妊娠十週に入っても、私の身体には何の変化もない。
 つわりには個人差があります、とは聞いたものの、ここまで何もなくて良いのだろうかと逆に不安になったりもした。しかし先日の健診でも順調だと言われたし、つわりがないことを伝えたら「よかったですね」と返されたので、何も問題はないのだろうと気にしないことにしたのだ。
 彼にも健診の結果は伝えてある。そんなに私の体調を気にしなくても大丈夫だ、ということも。しかし(今までのことがあるから仕方のないことではあるけれど)彼にとって私の「大丈夫」は「大丈夫じゃない」らしく、本当に「大丈夫」な私からすると、日課となっているやりとりは正直まあまあのストレスだった。

 今まで彼に対してそれほどイラついたことはない。過保護だと思うことがあっても、愛されているからだと幸せに感じていたぐらいだ。今でもその気持ちが全くないわけではないし、彼の心配したくなる気持ちもある程度は理解しているつもりだけれど、なんというか、つまり私は今、いつもと違う精神状態に陥っているらしかった。
 今までより些細なことでイライラする。それに加えて、誰にも干渉されたくないと思うことが増えた(ような気がする)。彼の優しさが、今の私には毒になっているようにすら感じていた。
 しかし困ったことに、彼は何も悪いことをしたわけじゃない(むしろ私を気遣ってくれているだけだ)。だから無碍にもできないし突き放すことも憚られる。それがまたストレスとなって蓄積していくという悪循環。これも一種のマタニティブルーというやつなのだろうか。

 考えても答えは出ぬまま、また同じように一週間が経過した。相変わらず私には、つわりの症状らしきものがない。だから、ふらりと立ち寄ったコンビニで目にしたスイーツに目を奪われて、うっかり買いすぎてしまった。
 もともと甘いものは好きだけれど、一度に何個も食べたいとまで思ったことはない。ただ今日は、無性に甘いものが食べたくて堪らなくなってしまったのだ。シュークリームとプリンとプチケーキ。一気に食べず一日一つずつ食べれば良い……と思っていたはずなのに、帰宅するなりシュークリームを頬張りプリンをたいらげプチケーキに手をつけているのはなぜだろう。自分でも自分の行動が理解できない。
 摂取カロリーを考えると恐ろしいので、夜ご飯は食べない方が良いような気がしてきた。しかし食べなかったら、彼にいらぬ心配をかけてしまうことが目に見えている。今日はお菓子を沢山食べてしまってお腹がいっぱいだから、と説明すれば納得するだろうか。
 考えながらちょうどプチケーキを口に運んでいた時、玄関のドアが開く音がしてこちらに近付いてくる足音が聞こえてきた。こんなに早く帰ってくるなんて珍しい。どうして今日に限って……と思っている間に、彼が「ただいま」と言いながらやって来た。そして、シュークリームとプリンのゴミを見つめた後、食べかけのプチケーキを頬張っている私を見て眉を顰める。

「今から飯だろーが」
「そうなんだけど、どうしても食べたくなっちゃって」
「これ全部一気に?」

 信じられない、という気持ちを包み隠さず表情にあらわしている彼の視線に耐えられず悪戯がバレた子どものように俯いたものの、フォークにのったケーキを口に含む私はどこまで食い意地が張っているのか。そんなにお腹がすいているわけじゃないのに、これではとんだ食いしん坊みたいだ。
 自分で自分のいやしさが嫌になる。でも、私だってこんなはずじゃなかった。だから彼に言われなくたって、この行動が正解ではないことぐらいわかっているのに、彼はきちんと指摘してくる。

「そんな腹の足しになんねえモンよりちゃんとした飯食えや」

 わかっているのだ。彼の言う通り、栄養バランスの整った食事を規則正しく食べる方が私にも私のお腹の中の子どもにも良いってことぐらい。彼の言うことはいつも正しい。しかし今の私にとっては、その正論が「正解」ではなかった。
 イライラ。ムカムカ。正論を振りかざされたからこそ、指摘されずともわかっているからこそ、余計に腹が立つ。私はこんなに情緒不安定な人間じゃなかったはずなのに。淡々と「そうだね。ご飯作らなきゃ」って、ケーキを食べる手を止めてキッチンに行けば良いだけなのに。たったそれだけのことが、今の私にはできない。
 残っていたケーキを一気に頬張って立ち上がる。一生懸命咀嚼して、美味しいはずなのに味はほとんどわからないまま飲み込んで、乱雑にゴミをまとめてゴミ箱の中に放り込んだ。そして彼に向かって、いまだかつてない声量で叫ぶ。

「私は腹の足しになるものじゃなくて心の足しになるものが食べたいの! 毎日毎日、栄養あるモン食えとかちゃんと寝ろとか無理すんなとか、私は子どもじゃないんだから全部わかってる! 勝己が言うこともやることも全部正しいけど、正しいことばっかりしてたら息が詰まるの! つわりがあってもなくても体調が良くても悪くても放っといて! 私の好きなようにさせて!」

 誰かに向かって大声を出すなんて、生まれて初めてのことだった。お腹の子どもには申し訳ないけれど、胎教に悪いとかそんなことを考えている余裕はない。私は言いたいことだけぶちまけると唖然としている彼に背を向けて寝室に向かった。
 ベッドに倒れ込んで布団にくるまり、このままふて寝してやろうと思い目を瞑ったのに全然眠れそうになくて目を開け、自分の言動を振り返ったところで急に冷静になる。言いたいことを言ってすっきりしたはずなのに虚しくて、自分の暴走具合と情緒の乱れ具合にドン引きした。
 彼も驚きを通り越して呆れているに違いない。呆れられるぐらいで終わるならまだ良いけれど、こんな女を支えるのは無理だと匙を投げられたらどうしよう。私の様子を見に来る気配もないし、本当に見離されてしまったのかもしれない。
 今更になって自分のしたことを反省する。しかし、あの時はもうどうやっても止められなかったのだからどうしようもない。すごくどうでも良いことでこれほどまでに頭の中も心の中もぐちゃぐちゃになっている自分が情けなくて、自分を制御することができず彼に八つ当たりしてしまったことが子どもみたいで恥ずかしくて、じんわり目頭が熱くなってきた。泣きそうだなんて信じられない。どれだけ弱くなったんだ、私。
 ぐすり、鼻を啜って目元を拭い、再び目を瞑る。今日はもう何も考えずに寝よう。一度リセットして、明日から切り替える。彼には朝ご飯の前に謝ればいい。自分に何度も言い聞かせて、私はやっと眠りについた。

 目を開けると真っ暗だった。隣に彼はいなくて、一体何時なんだろうと身体を起こす。するとタイミングよく寝室のドアが開いて、彼が入ってきた。逆光だから表情は確認できない。
 寝ようと思って来たのかな。じゃあ夜中? とりあえずお風呂に入ってまた寝ないと明日も仕事だし……と、静かに頭の中でこれからのことを整理していると、彼が近付いてきた。寝る前の出来事を思い出し気まずさはあるものの、私に逃げ場はない。

「風呂入れてある」
「……ありがとう。それから、」
「飯食うなら用意しとく」
「うん……、ごめ、」
「他になんかあるか?」
「ない、です……」

 彼の声に怒気は含まれていないように感じた。ただ「ごめん」の一言を言わせてもらえないあたり、棘を感じるような気もした。とはいえ、私のことを見捨てずにお風呂や食事の準備をしてくれているのだから感謝しなければならない。
 私はゆっくりベッドから降りるとお風呂場に向かった。のそのそと服を脱ぎ、シャワーを浴びて湯船に浸かる。心地良いお湯加減だ。しばらく身体を温めてから浴室を出て、寝間着に着替えて髪を乾かす。
 さて、お腹はすいたようなすいていないようなよくわからない感じだし、正直そんなに食べたい気持ちではないけれど、彼が用意してくれているのなら食べようか。髪を乾かし終えた私は台所へ足を向けた。
 夜ご飯は何を用意してくれたのだろう。彼が作った栄養バランスの整った食事を想像しながら台所に来た私は、テーブルの上に何の料理も置かれていないことに呆然としてしまった。やっぱり彼は静かに怒っているのだろうか。私が戸惑っていると、目の前にすっと白い箱が差し出された。ケーキ屋さん特有の、あの白い箱だ。

「なに、」
「買ってきた」

 なかば押し付けられるような形で箱を受け取った私は、そっとテーブルに置いておそるおそる中を確認した。シュークリームとプリンとケーキ。さっき私がコンビニで買ってきたものと同じラインナップだけれど、彼が買ってきてくれたのは有名洋菓子店のものだ。連日長蛇の列で早い時間に売り切れることで有名なお店なのに、どうやって手に入れたのだろう。
 彼の顔を見ても「今食うなら皿持ってくる」としか言われなくて、こんなものをわざわざ買ってきてくれた意図が汲み取れない。彼が私のご機嫌取りをする必要はないはずなのに、一体どうして?

「なんでこれ買ってきてくれたの?」
「どうせなら安モンじゃなくて一番美味ェやつ食わせてやろうと思っただけだ」
「どうやって手に入れたの? 夕方にはもう売り切れてたでしょ」
「知り合いに頼んだ」

 そこまでしなくても良かったのに、という言葉は、すうっと溶けて消えていく。だって、そんな捻くれたことを言う気持ちにはなれなかったから。
 単純に嬉しかった。捻くれたことは何も思わずに「この人は本当に私のことを大事に想ってくれているんだな、嬉しいな、有り難いな」と。彼に対する正の感情しか芽生えなかった。だから私は、素直に好意を受け取った。

「ありがとう」
「ん」
「明日二人で半分こしよ」
「全部食えや」
「半分こがいい。二人で食べたいの」
「わぁーった」
「ごめんね」
「何が」
「我儘で」
「……安心した」
「え?」
「ちゃんと言えンだなって」

 あんなにひどい八つ当たりをしたのに、怒りもせず、むしろ安心したと言って口角を上げる彼に驚いた。あれだけ支離滅裂な私の言葉を受け止めて、理解して、行動してくれて、こんなに恵まれていて良いのだろうかといっそ怖くなる。

「呆れてないの?」
「ビビった」
「勝己でもビビることあるんだね」
「今までお前にあんなデケェ声出されたことねンだからそりゃビビるわ」
「私も自分でびっくりした」
「そんだけたまってたっつーことだ」

 ごめん、と。ぽつりと落とされた言葉に涙腺が緩んだ。また、感情がぐらつく。彼は何も悪いことなどしていないのに、私がただわがままで情緒不安定でおかしくなっているだけなのに、謝らせてしまったことが申し訳ない。その反面、意味不明な状態の私に寄り添おうとしてくれていることが嬉しくもある。
 ぐ、と唇を噛んで俯く私の頭をポンポンと撫でて優しく胸元に引き寄せてくれる温かさに、とうとう私の涙腺は耐え切れなくなった。彼の腰に腕を回してしがみつき、みっともなくぐずぐず泣く。恥ずかしいとか、子どもみたいだとか、何度も思った。けれども彼は何も言わずに背中を撫でてくれるから、甘えてしまう。吐き出してしまう。

「身体は大丈夫そうだけど、心が大丈夫じゃない、かも」
「かも?」
「大丈夫じゃない、です」
「ん」
「自分でも自分がわかんないし、上手くコントロールできない」
「そういうもんなんだろ。当たりたい時は当たりゃいいし言いたいことがあンならさっきみたいに言え」
「勝己のストレスが溜まるよ」
「ンなもんストレスでもなんでもねえわ」
「勝己ってそんなに心広かったっけ?」
「お前には」
「……そっか」

 彼はそれからずっと、私が自分から離れるまで抱き締めてくれていた。温かくて、優しくて、安心した。何にイライラしていたのかわからなくなるほど、心が落ち着いて、私にはこの人がいないと駄目だと、改めて思いしらされる。
 都合がいいよね。放っておいてくれって言っておきながら、気にかけてもらったら喜んで、甘えて、許してもらって。でも彼はこれからも絶対に、どんなに理不尽な八つ当たりをしたとしても私を責めないのだろう。
 相変わらず私には優しくて甘いなあと思った。彼と同じぐらい優しくなりたいなあと思った。それから、やっぱり好きだなあと思った。