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ライフ・イズ・デンジャー

 子どもがほしくないのか、今後はどうするつもりなのか。わざわざ訊かずとも、彼の性格的に子どもが苦手であろうことはなんとなくわかっていたから、あえて確認したことはなかった。およそ一年、彼がどんな時でも避妊し続けてきたのは、きっとそういうことなんだ、と。勝手に自己完結させていた。だからまさか、彼が避妊具をつけず行為に及ぶなんて思ってもみなかった。

 私自身、子どもがほしいのかと尋ねられたら答えに困る。どちらかというと子どもが好きな方ではない。というか、扱い方がわからなくて困惑してしまうから、彼が望まないならそれでもいいと思っていた。……いや、たとえ結婚してすぐに彼が望んでいたとしても、私は「ちょっと待って」と言っていたかもしれない。
 子どもができるということは、すなわち自分が母親になるということ。私は誰かの親になれるような人間だろうか。今守られてばかりの私が、小さな命を守ることなんてできるのだろうか。そんな不安が常にあったからだと思う。
 お互いの親が孫の誕生を待ち侘びていることは知っていた。彼はどうか知らないけれど、私は心の隅っこの方で期待に応えられなくて申し訳ないという思いを抱えながら、この一年と少しの間二人だけの生活を続けてきた。今回の件がなかったら、たぶん私たちは一生子どものことなんて考えなかったのではないだろうか。

「起こしたか?」
「ううん、目が覚めた」

 目を開けると当然のように彼が隣にいる。それが途轍もなく幸せだと感じる朝。私の髪を梳いて、その流れで頭を撫でる手は、余すことなく甘く柔らかい。ちょっと気を抜いたらこのままどろどろ溶けてしまいそうなほどに。
 私がおもむろに、やや遠慮がちに擦り寄ると、無言で抱きとめてくれる。きっと「珍しいな」と思っているだろうけれど、何も言わずに最低限かつ最高の対応をしてくれるところも甘いなあとニヤけずにはいられない。帰ってきた幸せを、噛み締める。

「朝ご飯作るよ」
「まだいい」
「仕事は?」
「昨日の今日で来いとは言われねーだろ」
「それもそうか。でも私は支度しないと」
「なんで」
「仕事だから」
「休みだろーが」
「いや違うけど」
「休みにした」
「誰が?」
「俺が」
「いつ決めたの?」
「今」
「…………じゃあ連絡しとく」

 私の発言に、彼は少し驚いていた。私自身も驚いている。今までの私なら「休めるわけないでしょ」「休む理由がないよ」と言っていたと思うから。けれども今日は、どうしても彼との時間を奪われたくなかったのだ。いつも真面目に働いているのだから、たった一回のズル休みぐらい許してほしい。
 私が昨日スーパーで事件に巻き込まれたことは(巻き込まれたというか自分から巻き込まれにいったと言うべきかもしれないけれど細かいことはいいのだ)、職場にも連絡がいっているだろうか。もし連絡されているのであれば、それを口実に今日は大事をとって休ませてもらいたい、と伝えればスムーズに話が進むと思うのだけれど。
 起きたばかりの頭で、これからの自分の行動をぼんやりと考える。時計を見ればまだ六時過ぎ。七時半ぐらいに連絡すれば問題ないはずだから、あと一時間半ほどは猶予がありそうだ。
 さて、それまで二度寝してしまうか、ゆっくり朝ご飯の準備を始めるか。悩みかけたところで、彼がゆるりと、それでいて有無を言わさぬ絶妙な強さで背後から私の腰を自分の方に引き寄せた。これは「行くな」という意味だろう。となると必然的に、私が後者を選択することは不可能となった。

「寝るの?」
「気が向いたら」
「今日どうする?」
「……外には出ねェ」
「珍しいね。引きこもるの好きじゃないのに」
「たまにはいいだろ。文句あンのかよ」
「私はどっちかというと引きこもり体質だから有難いけど」
「なら大人しく寝とけ」

 ぐい、と。また一段と距離が近くなって、彼の身体と私の背中がぴったりとくっつく。ついでに彼の顔が近付いてくる気配を察知して、蕩けそうになる顔面を必死に引き締めた。少し気を抜いたら、私はきっと甘さで溶けて消えてしまう。現実的に考えたらそんなことは絶対に有り得ないのだけれど、彼にはそう思わせるだけの力があった。
 後頭部に彼の唇が寄せられて、擦り寄られる。犬のようでいて猫のような動きだ。やらしい手つきで身体をなぞられたりはしていない。ただ甘えるみたいに密着しているだけ。それに安心している反面、ちょっと物足りなさを感じているなんて、彼にバレたら何と言われるか。
 昨日の夜、嫌というほど散々愛してもらったのに、私の身体と心はまだ彼を欲している。彼はもう満足なのだろうか。それとも私に遠慮している……もしくは気遣ってくれている? 顔が見えない私には、判断のしようがなかった。
 身体の向きを変えてぎゅうぎゅうとしがみついたら、さすがに積極的すぎて引かれるだろうか。この数ヶ月の反動だと思って無言で受け止めてくれそうではあるけれど、私のもともとの性格的に、行動に移す勇気は出ない。と、そこでなぜか、唐突に昨晩の情事中のやり取りを思い出した。それは、目を覚ます前にも夢の中でうとうとしながら考えていたこと。

「……子ども」
「は?」
「昨日、できてもいいって」
「ああ」
「なんで急に?」
「急じゃねェ」
「でも今までずっと、」
「ほしくなかったわけじゃねえし」
「え……そうなの?」

 青天の霹靂だった。思わず首をくるりと捻って彼の表情を窺おうとしたけれど、あまりの距離の近さで上手く見えずに終わる。それならばと身体を反転させようとしたけれど、彼はおそらく、今あまり自分の顔を見られたくないのだろう。腰を強めにホールドされていて、それも叶わなかった。
 子どもがほしくなかったわけじゃない。それはつまり、少しでも私との間に子どもを授かってもいいと思っていたということ。私が想像していた彼の子どもに関する考え方は、どうやら間違っていたらしい。

「俺に子育てができると思うか?」
「…………イメージはできない」
「だろうな」
「でも、できるよ。子育て」
「なんで断言できンだよ」
「勝己にできないことはないから」

 彼は才能マンだ。ヒーローとしての活動はもちろん、勉強も運動も料理も、その気になれば社交ダンスや茶道だってできてしまうかもしれない。そして何より、彼はこの偏屈な恋愛音痴の私を恋に落とした。それが、彼に不可能はないという何よりの証拠になる。
 本心だった。だから言い切った。というのに、後ろでクツクツと笑い声が聞こえてきたものだから、思わず顔を顰める。私なりに大真面目に答えたというのに、何がおかしいのだろう。失礼極まりない。

「私は真面目に答えたんだけど」
「わーってる」
「じゃあ何がおかしいの?」
「お前は俺のことになると自信過剰だな。自己評価はクソ低いくせに」
「私のことはいいの」
「よくねェわ。お前も一緒に育てンだぞ」
「できると思う? 私に。子育て」
「できるだろ」
「なんで断言できるの?」
「俺がいるから」

 それはそれはもう清々しくなるほどキッパリと言ってのけた彼に、今度は私が笑ってしまった。「お前こそ何笑っとんだ」と言われても、よくもまあそこまでたっぷり自信を持って自分の存在を強く推せるよなあと、尊敬と呆れで笑いがこぼれてしまうのは仕方のないことではないだろうか。
 でもまあ確かに、彼の言う通りだ。彼がいるなら、一人じゃないなら、私にも子育てができるような気がする。私だけだったら小さな命を守ることはできないかもしれないけれど、彼と一緒なら守ることができるかもしれない。いや、違う。もし子どもを授かったら、守らなければならないのだ。私が。私たちが。その命を、ありとあらゆる危険から。
 ああ、そうか。彼はきっと私より先に覚悟を決めたのだ。自分が守ることを。私を守ると決めてくれた時が一度目だとしたら、彼はこれで二度目。一言で「守る」と言っても、その責任は途轍もなく重い。自信家だけれど無謀ではない彼は、その重みを誰よりも知っているから、およそ一年の時間をかけて真剣に考えてくれたのだろう。私と、まだ見ぬ子どもの未来を。

 くるり、彼の腕の力が少し弱まった隙を見て、身体を反転させる。先ほどまで躊躇っていたのが嘘のように、身体が勝手に動いていた。ぎゅうぎゅう、目の前の身体にしがみ付く。そうしたくて堪らなくなったのだ。彼が恋しくて、愛しくて。
 当初の予想通り、彼は無言で私を受け入れてくれた。しかし私の予想は数秒で上回られる。なんてったって才能マンの爆豪勝己が相手なのだ。私の予想の範疇におさまってくれるわけがない。
 後頭部と腰に丁寧に手を回して抱き締め返してくれながら、耳元でそっと囁く。「いい誘い方だ」と。揶揄うように、蕩けるように、愉しそうに。もともと「誘ったつもりはない」などと言うつもりはなかったから、私は何も言い返さない。ただゾクゾクと背中に期待を駆け巡らせるだけ。
 事務所への連絡を七時半までにする。今日のミッションはたったこれだけなのに、こなせないかもしれない危機が迫っていることを肌で感じる。ようやく見ることができた彼の顔は、いつも通り整っていて、いつも以上に獰猛だった。