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 例えば曲がり角でトーストを口に咥えた女の子とぶつかった、みたいな。そんな、ベタだけれどなかなかレアな出会い方だったと思う。

「わ、ごめんなさい!」
「いや、こっちも前見てなかったし…あっつ!」

 人でごった返す食堂でぶつかったのは、ヒーロー科ではない女の子だった。がちゃん、と音を立てて俺の腕にぶつかったトレーの上にのっていたのは、運悪く汁がたっぷり入ったうどん。ぶつかった衝撃でたぷんと揺れた汁は、俺の右腕に容赦なく攻撃をしかけてきた。幾ら身体を硬くさせようとも熱さには敵わない。
 制服も濡れてしまって散々なことになったけれど、これはあくまでも事故だ。この子のせいじゃない。というのに、その子は俺の前で青ざめた顔をして必死にハンカチで腕を拭いてくれている。逆に申し訳ない。

「ほんとにごめんなさい!」
「や! マジで大丈夫だから。こんなのすぐ乾くし」
「服、脱いでください」
「え。いや……え?」
「責任もって綺麗にするので!」

 このタイミングで一緒に食堂に来ていた上鳴と峰田が現れて、俺は女の子にシャツを脱げと言われているところを目撃されてしまうという最悪の事態に陥った。案の定「羨ましい!」「いつの間にそんな相手を…!」などと勝手な妄想を膨らませてぶーぶーと詰め寄られるハメになった俺は「そういうんじゃねぇんだって!」と弁解を試みる。が、当たり前のようにアイツらには全く理解してもらえなかった。今日は厄日か。
 依然としてぎゃーぎゃーうるさい馬鹿二人は放っておいて、俺は尚も汚れたシャツを恨めしそうに見つめる女の子へと視線を流す。俺も大概ツイていないと思うけれど、この子の方も災難だろう。可哀想に。

「うどん、汁少なくなったけど食べれそう?」
「それは…たぶん、大丈夫…です」
「良かった。じゃあ今度は誰にもぶつからねぇように気をつけて」
「あ、あの、」
「ん?」
「名前、教えてもらっても良いですか…」

 やや俯きがちに、けれども騒つく食堂でもしっかり聞こえる澄んだ声で俺の鼓膜を震わせた女の子に、俺は自分の名前と学年とクラスを教えた。逆に彼女の名前と学年とクラスを教えてもらって、同学年であることが判明。どうやら普通科らしい。
 みょうじなまえと名乗った女の子は、よく見ると目がくりっとしていて可愛らしく、そりゃああの二人が騒ぎ立てるわけだと、今更のように妙な納得をしてしまった。

「ご飯食べ終わったら服綺麗にします。教室に行っても良いですか」
「そこまでしなくても、」
「私の“個性”、漂白なんです」
「ヒョウハク?」
「漂白剤とかの、漂白」
「ああ…え?じゃあ、」
「そのシャツもすぐ綺麗にできます」

 どこまで責任を感じているのかは分かりかねるけれど、ここまで言われてしまったらもう断り切ることはできなくて。俺の口は「じゃあお願いしようかな」と、勝手に言葉を紡いでいた。

◇ ◇ ◇


 世の中には色んな“個性”があるものだと感心しつつ、俺は自分の汚れたシャツが綺麗になっていくのを眺めていた。彼女の白い手が触れたところが、瞬く間に白くなっていく。さすが“漂白”。
 別に汚れたら洗濯すりゃ良いし、と思っていたのにどうしても納得してくれなかったみょうじさんは、宣言通り、昼休憩が半分ほど過ぎた頃にA組までやって来た。みょうじさんが声をかけたのが緑谷だったおかげで大騒ぎにならずに済んだのは幸運と言えよう。俺は気付かれたらうるさい連中から逃げるように、そそくさと空き教室に移動した。緑谷、こっそり教えてくれてありがとう。
 空き教室に着くなり、みょうじさんは服を脱いでくれと言ってきたので正直躊躇った。別に上半身裸になろうが俺は構わないけれど、いくら理由があるとは言え、女の子の前でほいほい脱ぐというのはどうかと思ったのだ。
 だから俺は一応、服を着たまま汚れを取ることはできないのかと確認した。すると「うっかり腕まで漂白しちゃったら大変だから…」などと苦笑しながら言ってくるではないか。腕が真っ白になるのはさすがに俺も困る。というか怖い。そんなわけで俺はこうして大人しくシャツを脱ぎ、絶賛作業中の女の子をぼーっと眺めているわけである。

「すげぇ。もう綺麗になってる」
「こういうことでしか使えないから…」
「めっちゃ便利じゃん。洗濯いらず」
「量が多いと“漂白”しきれなかったりするから、結局は洗濯機に入れてるよ。シミ抜きとか、ちょっとしたことでなら使えるけど…そこまで便利じゃない」
「ふーん。でも俺は助かった。ありがとな」
 
 すっかり綺麗になったシャツに腕を通しながらお礼を言えば「もしまた何か綺麗にしてほしかったら言ってね」と不意打ちの笑顔を向けられて、俺はどきりとしてしまった。あ、やべ。可愛い。普段こんな純粋な笑顔を向けられることがないからだろうか。突然の攻撃を受けた俺は、慌てて顔を逸らした。
 そんなことがあってからというもの、俺はあの子のことをよく思い出す。会話をしたのはあの時だけ。名前とクラスは知っているが、科が違うから合同で何かをするということはないし、ヒーロー科は授業数が多いので下校時刻が被ることもない。あの時食堂で出会ったのは、本当に奇跡みたいなものだったのだ。
 …と、思っていたら。二度目の奇跡が起きた。遠くだけど確かにあの子だ。うどんの汁ぶっかけてきた子。違う。俺のシャツを綺麗にしてくれた子。またうどんか? いや、あの皿はカレーっぽい。
 たった一度しかきちんと会話をしたことのないその子のことを目で追う。人混みに紛れて消えてしまった。いやいや、でもどっかにいるだろ。どこだ。
 「切島? どうした?」と。瀬呂に声をかけられて初めて、必死になって彼女のことを探していた自分に気付いた。何やってんだ俺。なんであの子のこと探してんだ、俺。そうしてある答えに辿り着いた時、何かがすとんと胸に落ちてきたような気がした。そうか。俺はあの子に恋をしているんだ。
 たった一度。されど一度。なんで、どうして。そういうのは全然わかんねぇけど。たぶん、そうだ。胸が騒つく。彼女を探す。そこで、どん、と左腕に衝撃が走った俺はハッとした。

「ごめんなさい!」
「……いた」
「え? あ、切島くん? ごめん、痛かった?」
「痛くねぇよ。全然」
「でも今、いた、って……」
「今日はカレーなんだ」
「へ? うん」
「……シャツ。汚れた」

 二度あることは三度ある。奇跡は三度起こったのだ。俺はぶつかった衝撃で飛び散ったらしいカレーのシミに目をやりながら、呟くように言う。だって、この機を逃すわけにはいかない。
 案の定、彼女は慌てて謝罪の言葉を繰り返して「綺麗にするから!」と申し出てくれた。俺ってヤなヤツだなあ。でも、どうしても。また彼女と二人きりになりたかったのだ。この恋を始めるために。

白く濁れ